北岳山麓合唱団

ソウルジャパンクラブ(SJC)の男声合唱団です。毎週火曜日、東部二村洞で韓国の歌と日本の歌を練習しています。

ロデオ通りに行くならば

2013年06月15日 16時29分41秒 | ソウルライフ

江南のロデオ通り(로데오 거리)は、江北の弘大入口(홍대입구)と並ぶ、若者文化の発信地。

富裕層が集まる江南の一等地にあるせいか?どことなくアッパーな雰囲気が漂います。

私がお勧めするのは、ここで紹介するような表通りではなく、裏通りのほう。

そこは、大人の隠れ家。ロデオに行く機会があれば、ぜひ、裏通りを散策してくださいね。


韓国人は詩が大好き 女流詩人 高静熙

2013年06月15日 13時28分32秒 | 韓国

多忙で更新が遅くなりましたが、11日はパン先生の練習日でした。

残念ながら、私自身を含め、多くの人が急用でアウト。西ヶ谷さんと影近さんのお二人で、みっちりトレーニングされたとのこと。パン先生はもちろんのこと、西ヶ谷さんと影近さん、どうもお疲れさまでした

パン先生の3曲目はコ ジョンヒ(高静熙。1948-1991)という女流詩人の詩による「君の声」(그대 음성)。未知の詩人で、浅学ゆえに、いろいろ調べてみたら、けっこう有名な詩人のようです。

 

ここでは、詩人の生まれ故郷(全羅南道海南郡)に残されている、生家の説明文をそのまま紹介します。

この家は自由を求める詩心を熱く燃やし、民族、民衆、そして女性の解放のために生きていった詩人、高静熙の生家である。詩人は1948年1月17日(陰暦)に父コ ヤンドン氏と母キム ウンニョ女史との間に五男三女中、長女として生まれ、本名はソンエ(聖愛)である。

 

1969年、「黒鳥」同人として活動し、1975年、「現代詩学」を通して文壇に登壇した後、「木曜詩」同人、民族文学作家会の理事等を歴任し、大韓民国文学賞を受賞した。1979年、韓国神学大学を卒業し、光州YMCA大学生部の講師、クリスチャンアカデミー出版部責任幹事、家庭法律相談所の出版部長を経て、キリスト教精神に立った、自由、愛、正義の精神を実践していった。また1984年から女性主義共同体の集まりである「もう一つの文化」の創刊同人として参加し、中心的な役割を担当した。「女性新聞」の初代編集主幹を歴任するなど、女性運動家としての人生を生きた。1991年6月9日、智異山登攀中に不意の事故により、43歳で人生を終えた。

 

詩集として、「誰が独りで葡萄の樽(술틀)を踏んでいるのか」(79年)、「失楽園紀行」(81年)、「招魂祭」(83年)、「この時代のアベル」(83年)、「泪の花」(86年)、「智異山の春」(87年)、「あの墓の上の青い芝」(89年)、「光州の涙の碑」(90年)、「女性解放、出師表」(90年)、「美しい人、ひとり」(91年)等と、遺稿詩集「すべて消えゆくものどもは余白を残す」(92年)がある。高静熙の詩の世界はキリスト教的な世界観の地上での実現を夢見る、希望に溢れた詩(うた)から、民族民衆文化に対する熾烈な模索、女性解放を目指すフェミニズム文化の先駆者的な作業に至る、多様な詩的探求であり、高静熙のすべての詩には、生命への強い意志と愛が溢れている。

 

団員の皆様には、「君の声」(그대 음성)の日本語訳詩と韓国語発音をお送りしておきましたので、ぜひ御参考下さい。

 

高静熙詩碑(全羅南道、光州市)

 

 

ソウル在住の日本人にもあまり知られていませんが、韓国人は詩が大好き。詩集もよく売れていて、少なくとも、私が最初に韓国の土を踏んだ、90年代の半ばまでは、書籍のベストセラーに詩集が必ず登場していました。

最近はどうかな?と思い、インターネットで調べていると、NHKの「論点・視点」2013年03月20日で、荒川洋治さん(現代詩作家)が「韓国の詩が伝えるもの」というテーマで、お話されていました。(下記参照)

http://www.nhk.or.jp/kaisetsu-blog/400/150686.html

 

荒川さんによれば、やはり最近においても詩集が読まれているとのこと。「全書籍の年間ベストテンに、何冊か、詩集が入ることはごく普通」とのこと。地下鉄乗り場や地下道で、詩の掲示をご覧になった方も多いと思います。(日本でも、韓国詩に関心を持っている人がいらっしゃいます。興味のある方は「韓国詩」あるいは「韓国の詩」で、検索してみてください。)

韓国人が日本人以上に詩に親しんでいることは間違いないと思います。理由は....私の推測ですが、韓国人にとって詩を作るという行為は、日本人が俳句や川柳を練るような感覚ではないか?と。

我々は学校教育の場で俳句を習い、SJCに俳句同好会があるように、成人してからも、俳句を続けられる方がいます。同じ感覚で、韓国の人は学校で詩を習い、詩を作り、大人になってからも、詩作や詩の鑑賞を続けられるのではないか?と。最近は分かりませんが、私も若いころは、インテリの友人から自作の詩を聞かされました....。

 

詩に親しむと、韓国語に対する語感をやしなうことができます。

中級以上の韓国語学習者の方には、ぜひ、韓国の詩を勉強されることをおすすめします。方法としては、まず詩を手で紙に書き写し、次に、大きな声を出して、詩をゆっくり読み上げます。

独学でそこまでするのは、めんどうだ、という方は、私もお付き合いしますので、ぜひ、声をかけてください。

     

 

NHK解説委員室 解説アーカイブスより転載

現代詩作家 荒川洋治
 
韓国では、新しい大統領が就任しました。政治、経済、社会の動きは、伝えられますが、韓国の文化、芸術となると日本人の関心はそれほどは高まっていないようです。ぼくは1976年、いまから37年前に、軍事政権下の韓国に行って以来、今日まで15回、韓国を旅しました。ソウルの他、韓国最北端の駅・新炭里 (当時)や古い民家の残る安東・アンドン、韓国の普通の暮らしが見える原州・ウォンジュ、東海岸の江陵・カンヌンなど、地方の町や村を訪ねています。

書店では、詩集を買うこともあります。韓国では詩がとても読まれています。韓国の大型書店では、通常、詩集のベストセラーと、小説のベストセラーが毎週、 店内に掲示されます。韓国の全書籍の年間ベストテンに、何冊か、詩集が入ることはごく普通のことです。地方の書店の詩のコーナーも、とても充実していま す。

日本は、小説を中心として「散文」が文学の主流ですが、韓国では、詩が文学の中心、その点、西欧の人たちの意識に近いように思います。中国伝来の、詩を重んじる制度「科挙」の影響もあります。戦前、日本に対する抵抗運動の、先頭に立ってたたかったのが、詩人たちだったことを人々は忘れていません。そうしたことが詩への関心や理解とつながっている。日本のように短歌、俳句などの定型詩があまりなかったこともあり、自分のことばで、自分のリズムで、自由に書く 「自由詩」が発達しました。散文が「社会」に合わせることばだとしたら、詩は「個人」のことばである。
「個人」の内部から出たことばを、大切にうけとめるという、ひとつの考え方、生き方が、韓国の詩から、伝わってきます。この間、韓国第二の都市プサンで、 プサン在住の詩人たちと会うことができました。詩人たちは、自分の詩集を渡すとき、「私の・・という詩集です」と、胸を張って渡します。日本では、詩を書 くというだけで肩身がせまく、どんなに高名な詩人でも、はずかしそうにそっと渡すものですが、韓国では、詩人イコール・エリートとみられるので、堂々と詩や詩人の話をします。

蔚山(ウルサン)という町に行ったとき、たまたま薬局に入ったところ、その店のまだ若い女性が「日本の詩人では田村隆一の詩が、大好きだ」と。びっくりしました。田村隆一は、戦後の現代詩を代表する詩人です。韓国では、詩は特別なものではなく、自分たちの身近な世界なのです。韓国の詩は、戦前、日本の統治下にあったころから日本との深い結びつきをもっています。二人の詩人を紹介しましょう。
まずは、白石(ペク・ソク)。韓国で出た「白石詩全集」と、このほど日本で翻訳された、青柳優子訳の白石詩集です。白石は1912年、平安北道(現在の北朝鮮)に生まれ、日本の青山学院に学びました。
ソウルで活動のあと戦後、故郷に帰ります。白石は、戦後、そのまま北朝鮮にとどまり、以後消息不明に。1995年ころ亡くなったということです。
「旅人も宿主も 祖父さんも孫も 筆売りも鋳掛け屋も 大きな犬も子犬も みな焚火にあたる」。名作「焚火」など、地域の暮らしを素材に、新鮮な詩を書 き、注目されました。奇をてらうところがなく、詩に落ち着きがある。それでいて深い人間愛を感じさせる。それは韓国の詩のとてもいいところだと思います。 日本でもっとひろく知られていい詩人です。
戦前の白石のようすを、当時朝鮮にいた日本の詩人、則武三雄(のりたけ・かずお)が「葱」という詩で書いています。その詩は韓国の「白石詩集」の冒頭に掲載されています。

韓国の国民的詩人といえば、尹東柱(ユン・ドンジュ)。このほど日本で金時鐘訳が出ました。1917年、父祖移住地の中国・北間島(プッカンド)生まれ、 原籍地の現・北朝鮮の中学、ソウルの専門学校、日本の立教大学、同志社大学に留学。治安維持法違反の嫌疑(そんな事実があったとは思えない)で逮捕、裁判 もないまま、終戦の半年前、福岡刑務所で急死(生体実験説も)。27歳という若さでした。最期に何かひとこと話したが、日本人の看守には、ききとれなかっ た。
尹東柱は、『空と風と星と詩』という手書きの詩集を三部つくる。没後、初の詩集が刊行され、韓国の人たちの心をとらえました。
〈人生は生きがたいものだというのに/詩がこれほどもたやすく書けるのは/恥ずかしいことだ〉。
自分の書くものを客観的に見つめる。見つめ抜く。ここにも「個人」の感性と、ことばを大切にする韓国の詩の力がみてとれます。中国では、尹東柱の生家が保存されています。同志社大学の構内には、1995年、尹東柱の詩碑が建てられました。

尹東柱は、中国、北朝鮮、韓国、そして日本と、東アジアの四つの国と深いかかわりをもったことになります。どの国の人たちにも、だいじな詩人。こうした戦前生まれの詩人たちは、「半島」国家の命運そのままに、中国や日本との関わりのなかで、苦難の詩を生み出しました。そのあとの戦後・現在の新しい世代の詩人たちは、歴史的な呪縛から解き放たれ、より自由な詩の世界をめざしています。でも詩のことばが、とても大切なものであるという思いをもつことに、変わりはありません。詩だけではありません。

どんなことでも、熱心に耳を傾け、語りあう。そんな空気のなかで、韓国の詩の世界がつづいています。

http://www.nhk.or.jp/kaisetsu-blog/400/150686.html