goo blog サービス終了のお知らせ 

makoto's daily handmades

日々暮らすだけの生き方
写真の二次使用は許可しませんので悪しからず

奈良県と大阪府・背中を押してもらった旅をしてくる

2019-09-30 19:19:25 | 遠出

先日、MIFさんから「御陵印、いつ行く?」と声をかけてもらいました。

御陵印(ごりょういん)は、今年2月・3月にかけて桃山、月輪、多摩の3か所の宮内庁書陵部(くないちょうしょりょうぶ)の陵墓監区事務所でいただいてきました。

残すは畝傍(うねび)、古市(ふるいち)の2か所です。

MIFさんが行こうよ、と言ってくれなければ、私が重い腰を上げることはない場所です。

今朝は4時半起きで、最寄り駅から始発電車で品川駅に向かい、品川駅の6時始発の新幹線に乗って一路京都駅を目指しました。

ちなみにMIFさんは代休なので一緒に行きました。

今回も写真多めなのでお暇なときにご覧ください。

 

京都駅には午前8時2分に到着しました。

ここから近鉄の特急電車で、大和八木駅まで行き各駅停車に乗り換えて畝傍御陵前駅で下車しました。

ここから徒歩で移動します。

まずは神武天皇陵(じんむてんのうりょう)に参拝しました。

予想はしていましたが、これまで参拝した天皇陵の中では1番陵墓の形状が判然としないこんもりとした森のようでした。

そして宮内庁管轄なのに菊の御紋がほぼ見当たりません。

ここから畝傍陵墓監区事務所に向かいました。

ここで係の方からご案内いただき、陵墓印を自分で押しました。

私がこれまで陵墓印をいただくときに、1度も順番待ちの方がいらっしゃいませんでしたが、今回は私たちの後からお一人やって来ました。

陵墓印を集めている方に遭遇したのは初めてで、少々驚きました。

ちょうど私が残り3つ程度くらいでしたから、あまりお待たせせずに次の方に場所を譲ることができてよかったな、と感じました。

 

ここから徒歩で移動しました。

橿原神宮(かしはらじんぐう)です。

左側のテントは大祭の準備のためにあるそうです。

橿原神宮は、神武天皇をお祀りした神社です。

神武天皇は、天皇家の初代。

日本書紀や古事記で書かれているものの、神話の時代の話なので…と実証史学では少々注文がつく存在ではありますが、日本の天皇家はこの方から始まったとされている方です。

 

そして誰がなんと言おうと、その神宮の大きさには目を見張りました。

私は伊勢神宮には何度か参拝していますが、遷宮を続ける伊勢神宮とは違った意味での威厳を感じました。

ここから橿原神宮前駅まで歩き、近鉄で古市駅まで行きました。

ここからタクシーで古市陵墓監区事務所に向かい、陵墓印をいただきました。

事務所のすぐ隣にある応神天皇陵を参拝しました。

 

応神天皇陵もこんもりとした森のようでした。

 

歴史好きの方ならご存じかとは思いますが、天皇陵墓については宮内庁が発掘調査の許可は下りていません。

世界で1番古い由緒ある家系である天皇家を、学術的検証の対象にはできないという観点が大きいのかもしれません。

目的の2か所を回って正午になりました。

 

さてここから徒歩で近鉄線の道明寺駅まで歩き、近鉄で大阪阿部野橋駅に行きました。

私は今回が生まれて初めて近鉄線に乗ったので、阿部野橋駅がどこかも分かりません。

MIFさんが「阿部野橋駅はほぼ天王寺駅だよ」と教えてくれますが、そもそも阿部野橋駅がどこかもチンプンカンプンです。

すると「阿部野橋はあべのハルカスがあるところ」と教えてくれました。

なんとなくですが、大阪駅よりは南の方くらいの知識はあったので、「よくわからないけど、まぁ、どうにかなるだろう」と不安の中でもどうにか理解しました。

 

ここで近鉄百貨店の中のとんかつ屋さんで昼食にしました。

私にしては珍しくカツカレーにしましたが、意外とルーがサラサラしていて、珍しく感じました。

MIFさんに言わせると「ココイチのカレーみたい」とのことですが、私はCoCo壱番屋には1度くらいしか行ったことがないので、比較は難しいです。

 

さてここから海遊館に向かいました。

最寄り駅は大阪港駅です。

海遊館は8年近く前に行ったことがあります。

この時、いろいろありましてこの直後に体調を崩してしまったことがありました。

そこで私にとってかなりの鬼門のように感じている施設でした。

もう海遊館には2度と足を踏み入れられないのではないか?と思っていたくらいです。

この巨大水槽が不安を少々かき立てるのです。

ジンベイザメのアップ。

ちょっと分かりづらいでしょうけれど、ジンベイザメのご飯タイム。

 

手の震えとか、気分が悪くなるとか、そう言った症状は出ませんでしたが、やはり気持ちのいいものではありませんでした。

もっともダメであろう館内の喫茶店は、場所が変わったのか、それとも入店しなかったからなのか、ここはスルーできました。

 

クラゲコーナー。

以前来たときに、クラゲコーナーで名古屋港水族館の存在を知りました。

2年前に名古屋港水族館を訪れることに繋がったので、海遊館はそう言う意味でも特別な存在です。

生き物タッチができる水槽。

以前は、ルートの8割ぐらいを逆走できたのですが、今回は中間の6割くらいしか逆走できないようになっていました。

 

海遊館を出てから、不二家のミルキーソフトクリーム(カントリーマアムつき)で一休み。

このソフトクリーム、練乳からできているのかと思うくらいものすごく甘かったです。

私はペットボトルのブラックコーヒーをもっていたのですぐ口直ししましたが、MIFさんはお茶のペットボトルを買い足していました。

 

大阪港駅から本町駅で乗り換えて新大阪駅から新幹線に乗り帰路につきました。

MIFさんに背中を押してもらわなかったら、陵墓印集めもまだ終わらなかっただろうし、海遊館は2度と行かなかったかもしれません。

 

そしてMIFさんも私も、中学の修学旅行以来の奈良県訪問でした。

いや、正確には13年振りに国道25号線で奈良県を通過して以来かな?

今回も奈良県には正味2時間くらいしかいなかったので、いつかは奈良県の寺社や古墳、文化施設をめぐってみたいと思っています。

今回も定休日だったから、大阪府立近つ飛鳥博物館は諦めて行きませんでした。

 

今回もMIFさんのおかげで自分のやりたいことを少し実現できました。

ありがとうございました。


慌てて買い物

2019-09-29 19:19:19 | 日記

明日外出先で使う用紙(ケント紙)が足りない…それに気が付いたのが午後5時過ぎ。

違う紙でももちろん問題ないのだけれど、シリーズ化して集めているのでどうしても同じ紙がいいな、と思うのです。

しかなたい、買ってくるか、と慌てて出掛けました。

この用紙はご近所で購入したのではなく、JR川崎駅近くのラゾーナ川崎にある丸善さんの文具コーナーで購入しました。

日曜日の夕方にラゾーナ川崎に行くだなんて、滅多にないのでモノの見事に人酔いをしました。

でもお目当ての用紙は購入できました。

ついでに欲しかったペンとファイルも。

もう文房具はある分を使い切ったら、100均の製品だけでいいと割り切っていたのですが、やはりそれだけでは間に合わないモノもあるのだな、と感じる一面でもありました。

 

さて欲しい文房具を購入して、ちょっとお惣菜を買ったら40分近く経過していました。

この施設は30分以内なら駐車場料金が無料ですが、それ以上は金額に応じて無料になります。

無料になるためにお惣菜を追加購入しているのですが、どうやら入庫から39分くらいなら無料で出られたみたいです。

知らなかった…。

ま、またには買ったお惣菜を食べるのもいいものです。

※普段から私は買ってきたお惣菜をあまり食べない派。

あわてて買い物をすると何かしらヘマをしてしまいますが、今回は大丈夫そうかな?

 

 

 


マツボックリその後 最終章

2019-09-28 21:00:51 | 日記

今日もヒマラヤ杉のマツボックリを手に持ったら、グラグラしました。

なんだろう?と思っていたら、分解が始まりました。

 

右側がシダーローズと呼ばれる部分(マツボックリの先端部分でここは分解しません)。

左側が残った本体(マツボックリの下部)。

 

指で本体を触っていたらボロボロと崩れていきました。

左側が本体(下部)、真ん中が崩れたマツボックリ、右上がシダーローズ。

 

つい夢中になって指で触っていたら完全に分解しました。

左上が本体(マツボックリの芯と最下部)。

右上がシダーローズ。

左下が薄皮状態の種。まるで花鰹。

左下がマツボックリの厚い皮。まるで厚削りの鰹節。

関東地方では鰹節は一般的でスーパーマーケットで普通に鰹節、花鰹、削り節等、何種類も見かけますが、他の地域はどうなんだろうか?とふと思いました。

 

薄皮に包まれた種。

どうなっているかな?と割ってみました。

種は未熟なのか、とっても小さくて、中のほとんどは液体(松ヤニみたいな感じ)でした。

強烈な針葉樹らしい香りがして、これはこれでいい匂いと感じました。

まるで針葉樹林帯を散策しているみたいです。

 

台風15号通過後、9月9日に倒木したヒマラヤ杉から私が取ってきたマツボックリは2つ。

そのうちの1つが成熟時のように分解し、シダーローズになりました。

もう一つはまだまだ堅くて分解はまだ先になりそうですが、このレポートは今回で最後とします。

自然界では10月頃に樹上で分解して、シダーローズが地面に落ちてきて、マツボックリの破片は風に飛ばされていくそうです。

そんな風に分解していくだなんて、ヒマラヤ杉が倒木するまで知りませんでした。

台風15号の爪痕はとても大きな災害となりました。

東京電力によるとすでに全域で電力復旧とはなっています。

暴風で屋根が飛ばされて室内から空が見えても柱が倒れていなければ、一部損壊となる等、罹災証明書には納得されていない方も多いのだとか。

いざ自分に降りかかる災害だったら、と思うと心から恐ろしく感じます。


漫画「魔道具師ダリヤはうつむかない」1巻を読む

2019-09-28 13:43:28 | 読書

左が漫画・住川惠。

右が漫画・釜田。

原作・甘岸久弥(ともに同じ)。

キャラクター原案・景(ともに同じ)。

同じタイトル、同じ原作者、同じキャラクター原案だけれど、描く漫画家が違う作品が同時発売です。

ややこしいけれど、読むとかなり違います。

片方では何ページもかけて説明する件が、もう片方ではサラリと描かれていたり、一方では完全に割愛しているエピソードがあったり、読み比べてさらに面白くなるという感じです。

 

私は右側の釜田さん作品(角川書店版)を先に読んだのですが、話の展開は釜田さん作品の方がテンポがよく感じました。

背景の好みは左側の住川惠さん作品(マッグガーデン版)で、過去のエピソードが盛りだくさんな印象でした。

 

ヒロインは前世の記憶を持ったまま異世界に転生しています。

異世界では魔道具師といって、魔法と道具を組み合わせた便利アイテムの開発者の家系に生まれます。

前世では日本の現代で育ち、過労のため若くして亡くなってしまいます。

前世の記憶があるから、便利アイテムを開発していくのですが、それが幸せも不幸せも引き寄せてしまう展開でした。

この先の展開とともに、2つの漫画がどのように展開していくのかが楽しみでもあります。

 

今のところ2つの漫画は展開速度が少々異なりまして、釜田さん作品の方が展開が少しだけ早いです。

そしてつい数年前なら、こういう商品展開はあり得なかったな、と思います。

こういうことは商業ベースの作品ではなく、コミケ等の同人誌でならあったと思いますが、イヤハヤこの手法を商業ベースに取り入れられるだなんて、私では想定できないことが現実になっていることに、ただただ驚いています。

☆☆☆20191002追記☆☆☆
  1. コメント欄にささみさんでご指摘をしていただいた通り、写真と説明文を左右間違えていましたので、訂正しました。

意外な発見

2019-09-27 19:52:21 | 日記

ことわざ「どんぐりの背比べ」。

意味は、どれも同じくらいでパッとしない、だったのだけれど…。

ちゃんと見比べるとかなり違うことに気が付きました。

意外と個性豊かではないか、と気が付くとなかなか面白いです。


パート 9月10回目

2019-09-27 18:18:18 | 労働

今日もお客様が少なめでした。

夏休みが終わって、9月から10月初めくらいはお客様が少なくなります。

まず子どもさん達が少ないです。

すると保護者もいらっしゃらないのです。

秋は学校行事もあるし、習い事の発表会もありますから文化施設を訪れる機会が少し減るのでしょう。

それに行楽シーズンですから、観光地の文化施設なら混雑するでしょうけれど、私の勤務地は観光地ではありません。

 

さて今日もデータ修正をしました。

私が好きな分野の資料なので、面倒な修正作業も意外と楽しみです。

ちょうど「群書類従(ぐんしょるいじゅう)」という資料の修正をしているのですが、私が学生時代にも少し開いたことがある資料です。

この資料は、江戸時代に編纂されたのですが、日本のこれまでの様々な書物が将来散逸してしまうのを危惧して、1度まとめておこう、とまとめられたモノです。

この続編として続群書類従、続々群書類従と続いていきます。

私が扱ったのは、戦前に活字化された群書類従を、昭和の終わりに再編したモノなので、史料としては二次資料、三次資料となるので、原本そのものではありません。

 

私の勤務地は群書類従にほとんど登場しない地域なので、なんでこの本があるのかな?と思いました。

文化施設としてこの本くらいはないと格好がつかないから、という意味合いが強いのかもしれません。

でもこの先の時代では、本もデジタル化が進みますから、紙の本がこの先どのくらい保存できるのかな?とも感じています。

 

今日も楽しく仕事をしました。

次回も楽しく働きたいです。

 

 


マツボックリその後

2019-09-26 11:02:52 | 日記

9月9日の台風15号通過後に倒木したヒマラヤ杉のマツボックリ。

今朝の姿はこんな感じです。

取ってきた当日は堅くてこれはこのまま枯れるかな?と思っていました。

ところが5日後くらいから時々パキパキと音を立てて広がってきました。

この後も暫く保存しますが、どんな風に変化していくか見ていきたいです。

ところでまだ千葉県方面では停電が続いています。

神奈川県も報道はありませんが、大きな爪痕が残っています。

 

 

↓これは取ってきた当日のマツボックリ。


草履の話

2019-09-26 09:27:41 | 日記

今月初め、S叔母から電話がありました。

「H子がT子の草履を壊したのだけれど、makotoの草履を貸してくれない?」と。

H子もT子もS叔母の娘で私の従妹。

 

H子は私と同じで足が大きく、草履ならLサイズかそれ以上。

T子は私と身長は同じくらいでも、Mサイズの草履。

小さい草履をムリやり履いてぶっ壊したという顛末です。

ちなみにH子は研究職なので、一族の女性の中では抜群の高所得者です。

私ならH子にT子分の草履を保障させて、自前で草履を買うことを勧める、というそれくらい買え、と言いいます。

 

このドケチっぷりはH子らしいとしか言えません。

どうやら壊した草履も抑ものままだと言うから呆れます。

 

私の草履はあるモノの、これは1度も履いていないのに経年劣化で壊れていました。

そうでしょうねぇ、そんなもんだろ、と思っていてので断りました。

ところが私の実家にある、私が姪っ子達に譲った振袖一式の中にある草履に目をつけたS叔母。

当然のように借りたらしいです。

私の姪っ子達は身長も足のサイズも私よりも小さいので、S叔母ったら「H子用にもらっちゃおうかな?」だってさ。

 

ハイハイ、お好きになさって。

私はもう自分の手を離れた振袖一式のことなんて知りませんから。

それにしてもH子のドケチッぷりとS叔母の自分都合の思考にはいつも「スゴい」としか言えません。

私は自分の草履が新品のまま壊れてしまったので、いつ買い換えるか、を気にせねば…。

 

というのも今や町の呉服屋さんはほぼ閉店してしまい、この春には、実家近くにあった呉服屋さんも閉店してしまったとか。

ここで前述の振袖一式や、結婚するときに着物一式を購入したので、今後どこに着物関係の購入をすればいいのか分かりません。

デパートの呉服屋さんにはいい思い出がないので、行きたくないしね。

履き物ならAmazonで買うしかないのかな?


神奈川県箱根町・90代の老婦人達と温泉旅行第3弾 その2

2019-09-25 18:55:15 | 遠出

箱根旅行2日目です。

今回宿泊したホテルは、芦ノ湖畔のとてもステキな施設です。

私は荷物を少くするため、電車でいく旅行はたいてい山歩き用の服装などを組み合わせていますが、いやーハズカシイくらいでした。

オシャレな服の1枚も持っていくべきだったかな?と。

 

さて、ステキなホテルにはステキなお庭があるモノです。

今朝もゆっくり朝食を済ませて、お庭散策をしました。

 

そして11時にチェックアウトしてから、ホテルのバスで元箱根近くの成川美術館(なるかわびじゅつかん)に送っていただきました。

今年2月に亡くなった堀文子さんの企画展を観覧しました。

堀文子さんは日本画家で、その作品は私が小学生の頃、NHK「今日の料理」テキストの表紙を飾っていた方。

その絵も展示してあり、なんだか見た覚えがあるなぁ、と思い出しました。

 

成川美術館から芦ノ湖を望みました。

残念ながら曇っていて、富士山は見られませんでしたが、とてもゆったりとした気分になりました。

ここからタクシーで箱根湯本駅近くの喫茶店ユトリロさんで、遅くて軽い昼食を食べました。

それからロマンスカー(小田急線の特急列車)の時間まで、駅前のお土産物屋さんでお買い物を楽しみました(主に私の祖母が)。

 

祖母のように元気なハイシニアは、お土産物を買うのが好きです。

お出かけしたら、お土産物を買わないと気が済まないのかな?

私もS叔母も「お土産は自分の分を買えば良いのよ、自分で持てる分だけ」と言うのですが、それでは気が済まないのです。

祖母の言い分は「箱根まで旅行に連れてきてもらったから、そのお礼」と私たちにお土産を買って持たせようとするのです。

ここで祖母を野放しにすると、どっさり買い込むことになります。

そこで私もS叔母も1,000円くらいの商品を見繕って、これが欲しいと言います。

それが丸く収まる手っ取り早い手段だとようやく学習しました。

この時、小田原名物の練り製品を選んで「今晩のおかずにするわ、1品助かっちゃった」とひと言添えれば、祖母は大満足でニコニコ。

ここまでが、帰りのお土産ひとくだりです。

Kさんのいいところは、ここで私の祖母に張り合ったりしないこと。

私が「いつもS叔母によくしていただいていますから、Kさんはお気遣いなく」とひと言添えればニコニコしてくれます。

 

今回の旅行では、本当にたくさんの海外からの旅行者を見かけました。

中には老婦人達に声をかけてくれる方もいらっしゃって、私が「They are my granma.91years old.」とカタコトの英語で答えると、皆さん驚きの表情とと拍手してらっしゃいました。

Kさんは私の祖母ではないけれど、そこまで説明する必要も感じなかったからね。

楽しそうに芦ノ湖畔で過ごす海外からの旅行者達を、老婦人達も楽しそうに見ていました。

もう湖畔の水辺で、飛んだり跳ねたり、はしゃいで遊ぶことは老婦人達には難しいけれど、他の人が楽しそうにしているのを見るだけでも楽しそうでした。

 

それに老婦人達は身長が140センチ台ですから、背が高い海外からの旅行者にはコビトにでも見えるのでしょうか?

 

毎回もですが、箱根は今や観光客の半分以上は海外からの旅行者ではないか、と感じました。

しかもいろいろな国から訪日しているのですから、お店や観光施設での対応もちょっと海大変なのだろうな、と感じました。

 

そして最後まで元気に参加してくださった祖母やKさんに感謝です。

また宿泊費を援助してくださった、Kさんのご主人やその手配をしてくださったS叔母のご主人(私の叔父)にも感謝です。

次があるかは分かりませんが、楽しい旅行になりました。

私にとっては、40代になっても変わらず自分の祖母達と旅行ができるだなんて、こんな稀な経験ができることが嬉しいです。

私と同世代だと、祖母どころか、自分の両親の介護問題が出てくるお年頃。

両親との旅行でさえも介護問題で思うままにならないモノです。

その点から考えても、私は希有な体験をさせてもらっています。

 

そして毎回このメンバーでの旅行を快く送り出してくれるMIFさんに感謝です。


神奈川県箱根町・90代の老婦人達と温泉旅行第3弾 その1

2019-09-24 21:38:41 | 遠出

まさかの3度目となる90代老婦人達との温泉旅行にやって来ました。

 メンバーは、S叔母、私の祖母、S叔母のお姑さんのKさん、私の4人。

Kさんは、私の祖母と同い年で91歳で軽い認知症があります。

祖母とKさんは20代からの顔見知りで、S叔母の結婚により親戚付き合いが始まった関係です。

 

今回も小田急線新百合ヶ丘駅から合流してロマンスカー(小田急線の特急列車)で箱根湯本駅まで行きました。

ここからタクシーで芦ノ湖畔の元箱根港に向かいました。

この近くにある絹引きの里(きぬびきのさと)といううどん屋さんで昼食をとりました。

うどんと言っても、メニューによっては蕎麦と変更できますし、うどんが丸細うどん(まるぼそうどん)です。

最近はお店でたべるうどんが、讃岐うどんのように太いうどんが多いのです。

でも私の実家近くでは30年くらい前までは、うどんは細うどんか太うどんを選べたのですが、最近は見かけなくなりましたねぇ。

しかも丸細うどん自体が珍しくなりつつあります。

(丸細うどんは、冷や麦とスパゲティの中間くらい太さです)

 

食後、海賊船(遊覧船)に乗りました。

元箱根港(もとはこねこう)から桃源台港(とうげんだいこう)まで25分で行き、ここで船を乗り換えて桃源台港から箱根町港(はこねまちこう)まで25で行きました。

海賊船の1番先端の部分です。

この場所は特別船室で別料金が発生しますが、ぜひともこの風景を老婦人達に体験してもらいたくて、チケットを購入しました。

じつは私も初めての経験です。

ちなみに最後に海賊船に乗ったのは小学生時代ですから、35年くらい前でしょうか。

意外と楽しめました。

 

このあと箱根町港で下船して、箱根関所跡を見物しました。

この港から関所跡までは徒歩で移動しましたが、途中に箱根の寄木細工の土産物屋さんが多くて、すこし見物をしました。

本来、寄木細工は畑宿(はたじゅく)という旧東海道沿いの集落が本場なのですが、観光施設の周辺にも土産物屋さんでたくさん扱っています。

これまで、この一行での箱根旅行では、寄木細工の店に立ち寄ったことが無かったので、目の保養にもなりました。

関所跡には、私は昨秋MIFさんと見物しましたが、S叔母、Kさんはたぶん初めてとのこと。

祖母は2~3年前に見たと言っていました。

 

ここですこし雨が降ってきましたので、茶屋で休んだり、資料館に立ち寄ってから、隣の敷地である恩賜箱根公園からバスで元箱根港に向かいました。

本当は箱根町港に戻って、船で元箱根港に行けば10分程なのですが、老婦人達が少々疲れて来たみたいなので、バスで行った方が楽だと判断しました。

元箱根港からはホテルの無料送迎バスに乗りました。

 

ホテルはKさんのご主人(S叔母のお舅さん)が資金援助してくださり、なおかつS叔母のご主人(私の叔父)が手配してくださったのですが、箱根湖畔で有名なホテルの1つに宿泊となりました。

 

そのホテルは、いつかは泊まってみたいと思ったことはあっても、まさか今回がその「いつか」だとは思っていなかったです。

そう、自分では選ばないようなホテルだったのでかなり腰が引けました。

ここはラウンジです。

お部屋もとても素晴らしく、一行の誰もが「広すぎて使いづらい」と言うくらいでした。

なにせ私が1番背が高く、あとの3人は150センチに満たない身長で痩せています。

そりゃあ広すぎて、テレビの前のソファセットにちょこんと固まって座るよねぇ、と。

食事もとても素敵で美味しかったです。

秋にちなんで、うさぎや満月を象ったり、ススキの穂が添え物でありました。

とくに松葉に似せて、茶そばを揚げた飾りがとてもかっこよかったです。

 

今日、Kさんには3か月ぶりに会いましたが、ちょっと私のことが分かりづらかったみたいです。

祖母が「私の孫よ、Sの姪っ子」と説明しましたが、分かりづらかったのかな?

私自身、もっと認知症が進んだ方と仕事で接した経験もあるので、ムリに理解してもらうつもりもありません。

それよりも親切に接して、敵意が無いことを認めてもらう方が先決だと判断しました。

 

関所跡の茶屋で2人っきりになったときに、Kさんから「あなたはどうして年寄りに親切なの?」と尋ねられました。

私は「いえいえ、普通のことですよ」とお答えすると、Kさんは「あなたは年寄りと一緒に暮らしたことがある人なのね」とニッコリ。

私も「そうですね」とニッコリ。

たぶんKさんにとっては、S叔母や私の祖母の知り合いの介護関係者だと感じていたみたいです。

今回は、最後まで私の名前を呼ぶことはありませんでしたが、素敵な笑顔を拝見できたので、喜んでいただけたかな?

 

わたしにとって祖母もKさんも杖無しで箱根まで旅行に来られるのですから、その方がウルトラ超絶嬉しいことです。

祖母もKさんも、人生のボーナスタイムなのです。

楽しいひとときを過ごして、思い出の1つにしていただければ、私も嬉しいです。

さて、明日も楽しむぞ!