今年も、慈恵医大病院のゴスペル・コーラスのコンサートの司会をさせていただいた。関係者が「慈恵ゴス」と呼ぶこのコーラスは、今年で発足10周年のゆるやかなグループだ。お医者さん、看護婦さん、薬剤師さん、病院事務の職員さん、医学や薬学を学ぶ大学生など、慈恵の医療関係者を中心に結成されている。入院中の患者さんたちに、少しでもクリスマス気分を味わってもらえないだろうかと考えた先生方が、病棟内の小さなスペースで歌い始めたのが発端だったそうだ。年を追うごとに人の輪が広がり、外部のゴスペル好きの仲間もたくさん加わって、いまや60人近い大所帯になっている。
私が「慈恵ゴス」に出会ったのは、2007年。発起人の沖野先生兄妹(精神科ドクターと耳鼻科ドクター)が声をかけてくださって、クリスマス・コンサートでピアノ伴奏をさせていただいたのが最初だった。以来、ピアノだけでなく、音響や司会などで、細々と隅っこに加えていただいている。みんなのあたたかい歌声とやさしい笑顔に、いつも心がほっとする。音楽があって良かった、と心から思える。
クリスマス・コンサートの内容は、ゴスペル風にアレンジされた曲の他、讃美歌やクリスマス・ソングを交えて10曲ほど。会場となる病院併設ビルのロビーは、手作りのかわいらしい装飾に彩られて異空間に変わる。客席には、寝間着にコートを羽織った患者さんの他、車いすやストレッチャーに乗った方もいらっしゃる。患者さんのご家族も、寄り添うようにして聴いていらっしゃる。お子さんたちもいれば、お年を召した方もいる。
コンサート後半で、お客様と一緒に「きよしこの夜」歌うと、私はいつも胸がいっぱいになってしまう。涙をぬぐう患者さんの姿を見ると、思わず泣き出しそうになる。指揮者である麻酔科ドクター・内海先生の言葉を、毎回思い出すからだ。「その患者さんにとっては、これが最後のクリスマスかもしれないんだ。人生最後のクリスマスを、病院で過ごさなくちゃいけないかもしれないんだ。そう思って歌わなくちゃ、だめなんだ。」
今から13年前、母が最後に入院したときのことを思い出す。テレビも本も雑誌も目にしたくないと言うので、私はいくつかCDを見つくろって病室へ持って行った。どれを聴いても煩く感じると言う。普段あまりクラシックを聴かなかった母が、「この曲だけは心が落ち着くわ」と喜んだのが、グリーグの「最後の春」だった。私はとてもじゃないけれど、題名を告げられなかった。「ああ、グリーグだね。本当にきれいな曲だよね」
タイトルは「過ぎにし春」「過ぎた春」などと訳されていることもあるが、元になっているグリーグ自身の歌曲の詩(ヴィニェ作)を読むと、明らかに「最後の春」だ。自分の寿命を悟った人間が「これが自分にとって最後の春になるのだろうか」と歌っている。中田喜直が曲をつけた三好達治の「たんぽぽ」のワンフレーズ「あわれいまいくたびめぐりあふ命なるらん」に近いものを感じる。この美しい春も、人生で最後かもしれない――グリーグの切ないメロディーにこめられた詩情が、母には直観的にわかったのかもしれない。
母が病院で息を引き取って以来、私は「お医者さん」という人種があまり好きでなかった。何年もの間、救急車の音を忌み嫌い、病院という場所を避けていた。そこで誰かが日々頑張っているということなど、考えたこともなかった。生命倫理の研究室にいる間も「患者の権利」ばかり気になって、医療従事者が何を感じて仕事をしているかということに、思いを馳せたことなど一度もなかった。2007年の秋に、初めて慈恵ゴスの練習に参加した日も、「病院の空気なんて吸いたくない」という複雑な気持ちがどこかに巣食っていた。
指揮者の内海先生は、真剣で、熱くて、指導も厳しかった。合唱の初心者さんが必死に歌っていても、宿直明けで体力の限界まで頑張っている人がいても、まったく容赦ない。「できようができまいが、みんなで一生懸命になって作る」という情熱が、やたらと新鮮だった。繰り返し繰り返し、丁寧に指示を出し続ける内海先生のエネルギーが、私の強張った気持ちをほぐしていくような気がした。
ある日、新生児集中治療室の小児科のお医者さんが練習の途中でやってきた。疲れ切った様子で、激務の中のほんの少しの休憩時間を割いてきたようだった。見ると、みんなと声を合わせて思い切り歌う彼女の頬に、とめどなく涙が流れている。誰も何も言わずに、歌い続けた。ほんの10分後、職場へ走り戻る彼女の顔は、明るく毅然としていた。救えなかった命、どうにもできない命と向き合う人の姿を、私は目の当りにしたのだった。
コーラスのメンバーと少しずつ話を交わしているうちに、自分と同世代の人たちが、情熱を持って医療現場に立っているということを、肌で感じるようになった。自分と同じように血と肉と感情を持った人達が、葛藤と無力感と戦いながら生きている。ときには、どうにもできない命と向き合って生きている。どんなに手を尽くしても、「これが最後のクリスマスになるかもしれない」患者さんとも、まっすぐ向き合っている。気負いもなく、それぞれが、ただ一人の人間として、ひたすらに。
これが最後の春かもしれない。最後のクリスマスかもしれない。思えばこれは、私でも、あなたでも、目の前にいる人であっても、患者さんであっても、同じことなのだ。たとえ自分にできることはわずかであっても、一生懸命に自分の役目を果たす。できるかぎりを尽くして生きる。そんな日々でありたい。「慈恵ゴス」のみんなが教えてくれた情熱を、いつも胸に抱きながら。
私が「慈恵ゴス」に出会ったのは、2007年。発起人の沖野先生兄妹(精神科ドクターと耳鼻科ドクター)が声をかけてくださって、クリスマス・コンサートでピアノ伴奏をさせていただいたのが最初だった。以来、ピアノだけでなく、音響や司会などで、細々と隅っこに加えていただいている。みんなのあたたかい歌声とやさしい笑顔に、いつも心がほっとする。音楽があって良かった、と心から思える。
クリスマス・コンサートの内容は、ゴスペル風にアレンジされた曲の他、讃美歌やクリスマス・ソングを交えて10曲ほど。会場となる病院併設ビルのロビーは、手作りのかわいらしい装飾に彩られて異空間に変わる。客席には、寝間着にコートを羽織った患者さんの他、車いすやストレッチャーに乗った方もいらっしゃる。患者さんのご家族も、寄り添うようにして聴いていらっしゃる。お子さんたちもいれば、お年を召した方もいる。
コンサート後半で、お客様と一緒に「きよしこの夜」歌うと、私はいつも胸がいっぱいになってしまう。涙をぬぐう患者さんの姿を見ると、思わず泣き出しそうになる。指揮者である麻酔科ドクター・内海先生の言葉を、毎回思い出すからだ。「その患者さんにとっては、これが最後のクリスマスかもしれないんだ。人生最後のクリスマスを、病院で過ごさなくちゃいけないかもしれないんだ。そう思って歌わなくちゃ、だめなんだ。」
今から13年前、母が最後に入院したときのことを思い出す。テレビも本も雑誌も目にしたくないと言うので、私はいくつかCDを見つくろって病室へ持って行った。どれを聴いても煩く感じると言う。普段あまりクラシックを聴かなかった母が、「この曲だけは心が落ち着くわ」と喜んだのが、グリーグの「最後の春」だった。私はとてもじゃないけれど、題名を告げられなかった。「ああ、グリーグだね。本当にきれいな曲だよね」
タイトルは「過ぎにし春」「過ぎた春」などと訳されていることもあるが、元になっているグリーグ自身の歌曲の詩(ヴィニェ作)を読むと、明らかに「最後の春」だ。自分の寿命を悟った人間が「これが自分にとって最後の春になるのだろうか」と歌っている。中田喜直が曲をつけた三好達治の「たんぽぽ」のワンフレーズ「あわれいまいくたびめぐりあふ命なるらん」に近いものを感じる。この美しい春も、人生で最後かもしれない――グリーグの切ないメロディーにこめられた詩情が、母には直観的にわかったのかもしれない。
母が病院で息を引き取って以来、私は「お医者さん」という人種があまり好きでなかった。何年もの間、救急車の音を忌み嫌い、病院という場所を避けていた。そこで誰かが日々頑張っているということなど、考えたこともなかった。生命倫理の研究室にいる間も「患者の権利」ばかり気になって、医療従事者が何を感じて仕事をしているかということに、思いを馳せたことなど一度もなかった。2007年の秋に、初めて慈恵ゴスの練習に参加した日も、「病院の空気なんて吸いたくない」という複雑な気持ちがどこかに巣食っていた。
指揮者の内海先生は、真剣で、熱くて、指導も厳しかった。合唱の初心者さんが必死に歌っていても、宿直明けで体力の限界まで頑張っている人がいても、まったく容赦ない。「できようができまいが、みんなで一生懸命になって作る」という情熱が、やたらと新鮮だった。繰り返し繰り返し、丁寧に指示を出し続ける内海先生のエネルギーが、私の強張った気持ちをほぐしていくような気がした。
ある日、新生児集中治療室の小児科のお医者さんが練習の途中でやってきた。疲れ切った様子で、激務の中のほんの少しの休憩時間を割いてきたようだった。見ると、みんなと声を合わせて思い切り歌う彼女の頬に、とめどなく涙が流れている。誰も何も言わずに、歌い続けた。ほんの10分後、職場へ走り戻る彼女の顔は、明るく毅然としていた。救えなかった命、どうにもできない命と向き合う人の姿を、私は目の当りにしたのだった。
コーラスのメンバーと少しずつ話を交わしているうちに、自分と同世代の人たちが、情熱を持って医療現場に立っているということを、肌で感じるようになった。自分と同じように血と肉と感情を持った人達が、葛藤と無力感と戦いながら生きている。ときには、どうにもできない命と向き合って生きている。どんなに手を尽くしても、「これが最後のクリスマスになるかもしれない」患者さんとも、まっすぐ向き合っている。気負いもなく、それぞれが、ただ一人の人間として、ひたすらに。
これが最後の春かもしれない。最後のクリスマスかもしれない。思えばこれは、私でも、あなたでも、目の前にいる人であっても、患者さんであっても、同じことなのだ。たとえ自分にできることはわずかであっても、一生懸命に自分の役目を果たす。できるかぎりを尽くして生きる。そんな日々でありたい。「慈恵ゴス」のみんなが教えてくれた情熱を、いつも胸に抱きながら。