音の向こうの景色

つらつらと思い出話をしながら、おすすめの名曲をご紹介

シェイファー 「自由の象徴」

2012-08-22 22:23:53 | その他
 小学生の頃、父の知り合いの指揮者さんが振るコンサートに連れて行ってもらった。年に1、2度だったと思う。曲目はいつも、ベートーヴェンやチャイコフスキーの定番シンフォニーで、いずれも子供にとっては「知らない曲」で「長い曲」だった。私はおとなしく席に座り、しばしばぐっすり眠った。
 子供が飽きないようにという配慮だったのか、父はときおり私にポケットスコア(A5サイズの総譜)を手渡してくれた。父なりの音楽教育だったかもしれない。おそらくは、自分が読むために持って行って、途中で小さな音符に目が疲れて私に投げてよこした、というのが実情だったと思う。いずれにせよ、曲の途中で無造作に、はい、とスコアが渡された。
 私は開かれたページの中から、「今どこにいるのか」を必死になって探し出す。さっさとしないと、音楽は次のページに逃げてしまう。オーボエのひと節や、特徴的なリズムを手がかりにして、なんとか現在地を見つけ出すと、何か素敵な乗り物に乗ったような気持ちで楽譜の流れを追っていく。
 ところが、オーケストラのスコアには落とし穴が随所に潜んでいる。まず、ページによって、書かれている五線の段数が異なるのだ。長くお休みをしている楽器の五線が省かれている (私が使っている「Finale」という楽譜編集ソフトの用語では「最適化」と言う)。ページによって段組が違うことを知らなかった私は、演奏する楽器の少ない静かな場面になると、毎度迷子になってしまった。
 そこで慌ててあちこちページをめくっていると、冒頭の旋律が聞こえてきたりする。「あ、繰り返しだ!」急いで最初のページに戻って、ほっとする。ところがしばらくすると、違う調に変わってしまう。またもや取り残される。ソナタ形式は曲者だった。
 スコアの一番の謎は、五線によって調号(最初についているシャープやフラットの数)が違うことだった。みんなでひとつの曲を演奏しているのに、なぜスコアの真ん中辺の人たちは、違う調なんだろう。どう考えても、耳から聞こえてくる音と、書いてある音が違う。中学生になるまで、私は世の中に、B管、A管などの移調楽器があることを知らなかった。
 さらにおそろしかったのが、ト音記号でもヘ音記号でもない、変な音部記号。ヴィオラの譜面に使われるアルト記号だ。当時はなんとなくこれが魔女の文字のように見えた。スコアを手渡されるたびに、その記号のついた段を追いかけ、ある日気づいた。このパートの人たちは、書いてある音と、ひとつズレた音を弾いている! 魔術的な匂いがした。オーケストラは、不思議な力に満ちて見えた。
 私が初めて自分でスコアを買ったのは、高校2年のときだ。吹奏楽バンド用の「自由の象徴」という曲だった。部活仲間のわら(吉原祐美子氏)が、弟さんの吹奏楽発表会でこの曲を見つけてきた。彼女は、部活のミュージカルのオープニングに「この曲を使おうよ!」と推薦してくれた。何かが始まる楽しい予感があるような、わかりやすい明るい曲だった。静かな中間部は、プロローグのセリフを入れるのに、ぴったりだった。
 銀座の楽器屋さんの管楽器フロアに、生まれて初めて足を踏み入れ、どきどきしながらスコアとパート譜のセットを買った。開けると、知らない管楽器の名前がずらりと並んでいた。おまけに移調楽器ばかりで、スコアは段ごとに調号が違う。なんだこれは。まったくブラス文化に触れたことのなかった私は、面食らった。
 我々のミュージカルで使うためには、とにかくこれを、ピアノ4手用に書き換えなくてはいけない。共通の調号がついている段をピックアップし、少しずつ読み解きながら、4段の五線譜に音を移していく。頭の中で移調し、わからなくなったらドレミを書き入れる。やり始めてみたら、これがなかなか面白い。魔法の世界だと思っていたスコアの秘密を、自分の手で解いていくような気がした。
 後になって知ったのだが、シェイファー作曲「自由の象徴」は、初心者の多いブラスバンドのために書かれた曲だった。どうりで、私にも理解しやすかったわけだ。デイヴィッド・シェイファーはアメリカの学生バンドの指導者として、この手の作品を多く残している。技術のない初心者でも楽しめるように、合奏の喜びが感じられるように書いているのだ。きっと彼の曲を演奏して、音楽が大好きになった少年少女が、アメリカにも日本にもたくさんいるに違いない。
 この曲が作曲されたのは1991年。私が楽譜を買ってきたのは、1993年。最近まで知らなかったのだが、当時は新しい曲だったのだ。まさか太平洋の向こうで、「ブラスバンドをやっていない」一高校生が、スコアを1つ1つ解読して胸をときめかせていたとは、よもやシェイファー氏も思わなかっただろう。私にとっては、新しい世界を開いてくれた、希望の一曲だった。

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