「私ね、N響と共演することになったの。」放課後の階段で、まーちゃんがぽそりと言った。意味がよくわからず聞き返すと、まーちゃんは少し恥ずかしそうに下を向いたまま、言葉を足して説明してくれた。「今度、学校にN響の人たちが何人か来るでしょ。コンサートがあるでしょ。そのときに、私リコーダー吹くことになったんだ。」中学3年生の秋だった。
まーちゃんは私の小中高の同級生で、歯医者さんのお家のお嬢さんだ。家も近くて教会学校もずっと一緒だった。部活も同じだったし、卒業してからもあれこれ一緒に演奏した。世界的に有名な古楽器コレクターのパパを筆頭に、音楽大好きの一家で、今でも家族ぐるみのお付き合いをしている。子供時分、私が合奏の楽しみを覚えたのは、日曜日の彼女のお宅だ。
まーちゃんは、小学校の頃からリコーダーを習っていた。みんなが学校でプラスチックのリコーダーをやっとこさペエペエ吹いている頃、彼女は漆黒の木のリコーダーでバロックを吹いていた。水泳が得意で、並外れた肺活量を持ち、長いフレーズもお手の物だった。プロのクラリネット奏者が彼女を見て「どうしてそんなにまっすぐ息が出せるのか」と、感嘆したという。
そのまーちゃんが、一流のプロと舞台の上で共演する! 中3の私は、驚きと誇らしさで、目がくらむような心地がした。足取り軽く階段を上るまーちゃんを見上げながら、さっそく曲名を訊ねた。「ヴィヴァルディのごしきひわ。」ふーんと返事をしたものの、正直私は「ゴシキヒワ」とは何語なのかも、わからなかった。
ヴィヴァルディのフルート協奏曲ニ長調「五色ひわ」。ゴシキヒワは、スズメ目のかわいい鳥だ。この協奏曲では、その鳴き声を模したフルートソロが、速いパッセージでぴよぴよと鳴く。急緩急の3楽章形式で、1楽章が始まってすぐ、ソロのカデンツァがあり、鳥は大いにその美声を披露する。このフルートパートを、リコーダーで吹くというのだ。
しっかり者の次女のまーちゃんは、どんな大変なことでも、ぎゃあぎゃあ騒いだりせず、きちんとこなす。鑑賞行事の日、ソプラノ・リコーダーよりも小さい「ソプラニーノ・リコーダー」を持って、彼女は静かに舞台に立った。N響メンバーによる弦楽アンサンブルと音楽の先生のチェンバロをバックに、立派にソロを吹いた。礼拝堂に高く響く鳥の声。私は世界中に自分の友達を自慢したかった。
その年の暮れ、中高部の課外クリスマス・コンサートで、再度この曲が演奏されることになった。今度伴奏を担当するのは、我々学生15人ほどの弦楽アンサンブル。ヴィオラがいなかったので、私は「第三ヴァイオリン」。シンプルな伴奏で和声が変わるのが新鮮だったし、リコーダーと弦楽器が呼応する感じも楽しかった。なにより、まーちゃんのリコーダーと一緒に演奏できることがうれしくてたまらなかった。
コンサート会場は、とてもきれいな教会だった。白く高い天井にリコーダーの囀りが飛んでいく。緊張と熱気とまぶしさで、くらくらしそうになりながら、一心不乱にヴァイオリンを弾いた。「ゴシキヒワ」という鳥が、キリスト教絵画で「受難」を象徴するとは知らなかった。今思えば、クリスマスの教会コンサートにふさわしい曲だったのだ。
この日のチェンバロは、まーちゃんのお姉さんの陽子ちゃんが弾いていた。美しい2楽章はヴァイオリンはお休みなので、楽器を下して、姉妹の奏でる極上の音楽をみんなで聞いた。リコーダーの澄んだ音が、のびやかに飛んでいく。バロックらしく、繰り返しの2回目はメロディーに装飾がつけられている。それがまるで光の粉のようにキラキラしていた。この世の中には、こんなにも素晴らしい瞬間があるんだな、と思った。
友達がこれほど「誇らしい」と純粋に感じたのは、生まれて初めてだった。もし私がソロを吹くことになったら、もう嬉しくなって大声で言いふらして歩くだろう。まーちゃんにはそんな様子は微塵もなく、難しい16分音符に文句も言わず、謙虚な姿で真摯に楽器を吹いている。友達がいるだけで有難いのに、誇りに思える友達がいるって、すごいことなんだ。譜面台の隙間から、真ん中の通路に続く真紅の絨毯が見えた。一生忘れない、美しい景色だった。
まーちゃんは私の小中高の同級生で、歯医者さんのお家のお嬢さんだ。家も近くて教会学校もずっと一緒だった。部活も同じだったし、卒業してからもあれこれ一緒に演奏した。世界的に有名な古楽器コレクターのパパを筆頭に、音楽大好きの一家で、今でも家族ぐるみのお付き合いをしている。子供時分、私が合奏の楽しみを覚えたのは、日曜日の彼女のお宅だ。
まーちゃんは、小学校の頃からリコーダーを習っていた。みんなが学校でプラスチックのリコーダーをやっとこさペエペエ吹いている頃、彼女は漆黒の木のリコーダーでバロックを吹いていた。水泳が得意で、並外れた肺活量を持ち、長いフレーズもお手の物だった。プロのクラリネット奏者が彼女を見て「どうしてそんなにまっすぐ息が出せるのか」と、感嘆したという。
そのまーちゃんが、一流のプロと舞台の上で共演する! 中3の私は、驚きと誇らしさで、目がくらむような心地がした。足取り軽く階段を上るまーちゃんを見上げながら、さっそく曲名を訊ねた。「ヴィヴァルディのごしきひわ。」ふーんと返事をしたものの、正直私は「ゴシキヒワ」とは何語なのかも、わからなかった。
ヴィヴァルディのフルート協奏曲ニ長調「五色ひわ」。ゴシキヒワは、スズメ目のかわいい鳥だ。この協奏曲では、その鳴き声を模したフルートソロが、速いパッセージでぴよぴよと鳴く。急緩急の3楽章形式で、1楽章が始まってすぐ、ソロのカデンツァがあり、鳥は大いにその美声を披露する。このフルートパートを、リコーダーで吹くというのだ。
しっかり者の次女のまーちゃんは、どんな大変なことでも、ぎゃあぎゃあ騒いだりせず、きちんとこなす。鑑賞行事の日、ソプラノ・リコーダーよりも小さい「ソプラニーノ・リコーダー」を持って、彼女は静かに舞台に立った。N響メンバーによる弦楽アンサンブルと音楽の先生のチェンバロをバックに、立派にソロを吹いた。礼拝堂に高く響く鳥の声。私は世界中に自分の友達を自慢したかった。
その年の暮れ、中高部の課外クリスマス・コンサートで、再度この曲が演奏されることになった。今度伴奏を担当するのは、我々学生15人ほどの弦楽アンサンブル。ヴィオラがいなかったので、私は「第三ヴァイオリン」。シンプルな伴奏で和声が変わるのが新鮮だったし、リコーダーと弦楽器が呼応する感じも楽しかった。なにより、まーちゃんのリコーダーと一緒に演奏できることがうれしくてたまらなかった。
コンサート会場は、とてもきれいな教会だった。白く高い天井にリコーダーの囀りが飛んでいく。緊張と熱気とまぶしさで、くらくらしそうになりながら、一心不乱にヴァイオリンを弾いた。「ゴシキヒワ」という鳥が、キリスト教絵画で「受難」を象徴するとは知らなかった。今思えば、クリスマスの教会コンサートにふさわしい曲だったのだ。
この日のチェンバロは、まーちゃんのお姉さんの陽子ちゃんが弾いていた。美しい2楽章はヴァイオリンはお休みなので、楽器を下して、姉妹の奏でる極上の音楽をみんなで聞いた。リコーダーの澄んだ音が、のびやかに飛んでいく。バロックらしく、繰り返しの2回目はメロディーに装飾がつけられている。それがまるで光の粉のようにキラキラしていた。この世の中には、こんなにも素晴らしい瞬間があるんだな、と思った。
友達がこれほど「誇らしい」と純粋に感じたのは、生まれて初めてだった。もし私がソロを吹くことになったら、もう嬉しくなって大声で言いふらして歩くだろう。まーちゃんにはそんな様子は微塵もなく、難しい16分音符に文句も言わず、謙虚な姿で真摯に楽器を吹いている。友達がいるだけで有難いのに、誇りに思える友達がいるって、すごいことなんだ。譜面台の隙間から、真ん中の通路に続く真紅の絨毯が見えた。一生忘れない、美しい景色だった。
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