6/26(日)はトコメイト2セミナー不成立による東京での休日。
「まず間違いなく不成立。だが企画しないといけない」という企画で、
そのおかげで(?)観光ができる。
30度を超えるとの天気予報なので、
高尾山は熱中症になりそうやし…、断念。
となると…と思っていたところに、
SNSで飛び込んで来た武相荘(旧白洲邸)の情報。
白洲次郎・正子夫妻については詳しくは知らないが、
「知っておきたい」気持ちと、
建物や環境が落ち着いた自然な雰囲気だし
疲れない程度で往復できそうなので、ここに決定。
午前中は溜った仕事やスプーンのブログを書き、
13時過ぎに出発。
新宿から小田急に乗って、
鶴川で降り、徒歩15分くらい。
少し迷って武相荘の駐車場に入り、通り抜けて進むと
↓

小奇麗な住宅街から一転して林の中に入る。
↓

そのまま進むと入館券や土産物を売っている建物があり
こちら側が徒歩での入口だった。
↓

↑
テレビモニターで武相荘の紹介がされているが、
↓

↑
結構人が多いことにビックリ、後で見ることに。
次郎が乗り回していたといわれるアメリカ車
↓

門をくぐると
↓

柿の大木
↓

きれいに敷き詰められた石畳の向こうに、
ミュージアムとなっている茅葺の大きな建物
↓

江戸時代に建てられた養蚕農家を、
昭和18年(1943年)に、夫妻が購入。
現在に至るまで手を入れながら、この美しさを保っているそうな。
↓

↑
難破船から引き揚げられた常滑焼の甕
まさしく、正子の美の世界への入り口
武蔵と相模の境にあることと、
“無愛想”をかけて“武相荘”と命名された、

↑
南西の角にも大きな甕(たぶん常滑焼)に
放り込まれたる木の枝も、いとをかし。
↓

この建物内は撮影禁止。
「葬式無用 戒名不要」の次郎の直筆や
正子の書斎がそのまま残されている。
南側の和室には、正子が愛用した夏物の食器や、
小千谷ちぢみなどの着物が展示。粋で美しい。
「PLAY FAST」と書かれたこの建物
↓

階段を上ったところにあるステンドグラス。
↓

↑
中から見ると、このように美しい。
中はバーになっていて、二人の大きな写真
↓

GENTLEMEN ONLY と書かれている。
↓

↑
次郎が1947年、終戦連絡中央事務局次長を辞す際に、
マッカーサーに贈った椅子のレプリカ

↑
当然のことだろうが、展示物はマッカーサーに関するものが多い。
↓


↑
庭に眼をやると、白・黄・赤の草木が、自然の美を保っている。
↓


昔の峠をそのまま生かした散策路

次郎の遺髪が納められている小さな石の塔
↓

白洲次郎に関しては「日本で一番カッコイイ男」として
称賛しているサイトもあれば
吉田茂と共に、戦後最大の裏切り者」と
酷評しているサイトもあり評価はいろいろ。
私はよくわからないが、
GHQに「従順ならざる唯一の日本人」と言わしめた人物であり、
今の憲法は彼がいなかったら
できなかったであろうことは、間違いなかろう。
「まず間違いなく不成立。だが企画しないといけない」という企画で、
そのおかげで(?)観光ができる。
30度を超えるとの天気予報なので、
高尾山は熱中症になりそうやし…、断念。
となると…と思っていたところに、
SNSで飛び込んで来た武相荘(旧白洲邸)の情報。
白洲次郎・正子夫妻については詳しくは知らないが、
「知っておきたい」気持ちと、
建物や環境が落ち着いた自然な雰囲気だし
疲れない程度で往復できそうなので、ここに決定。
午前中は溜った仕事やスプーンのブログを書き、
13時過ぎに出発。
新宿から小田急に乗って、
鶴川で降り、徒歩15分くらい。
少し迷って武相荘の駐車場に入り、通り抜けて進むと
↓

小奇麗な住宅街から一転して林の中に入る。
↓

そのまま進むと入館券や土産物を売っている建物があり
こちら側が徒歩での入口だった。
↓

↑
テレビモニターで武相荘の紹介がされているが、
↓

↑
結構人が多いことにビックリ、後で見ることに。
次郎が乗り回していたといわれるアメリカ車
↓

門をくぐると
↓

柿の大木
↓

きれいに敷き詰められた石畳の向こうに、
ミュージアムとなっている茅葺の大きな建物
↓

江戸時代に建てられた養蚕農家を、
昭和18年(1943年)に、夫妻が購入。
現在に至るまで手を入れながら、この美しさを保っているそうな。
↓


↑
難破船から引き揚げられた常滑焼の甕
まさしく、正子の美の世界への入り口
武蔵と相模の境にあることと、
“無愛想”をかけて“武相荘”と命名された、

↑
南西の角にも大きな甕(たぶん常滑焼)に
放り込まれたる木の枝も、いとをかし。
↓

この建物内は撮影禁止。
「葬式無用 戒名不要」の次郎の直筆や
正子の書斎がそのまま残されている。
南側の和室には、正子が愛用した夏物の食器や、
小千谷ちぢみなどの着物が展示。粋で美しい。
「PLAY FAST」と書かれたこの建物
↓

階段を上ったところにあるステンドグラス。
↓


↑
中から見ると、このように美しい。
中はバーになっていて、二人の大きな写真
↓

GENTLEMEN ONLY と書かれている。
↓


↑
次郎が1947年、終戦連絡中央事務局次長を辞す際に、
マッカーサーに贈った椅子のレプリカ

↑
当然のことだろうが、展示物はマッカーサーに関するものが多い。
↓


↑
庭に眼をやると、白・黄・赤の草木が、自然の美を保っている。
↓


昔の峠をそのまま生かした散策路


次郎の遺髪が納められている小さな石の塔
↓


白洲次郎に関しては「日本で一番カッコイイ男」として
称賛しているサイトもあれば
吉田茂と共に、戦後最大の裏切り者」と
酷評しているサイトもあり評価はいろいろ。
私はよくわからないが、
GHQに「従順ならざる唯一の日本人」と言わしめた人物であり、
今の憲法は彼がいなかったら
できなかったであろうことは、間違いなかろう。
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