■高岡駅南の「総持寺」では、毎年、11月15日11時より【国指定重要文化財】の【千手観音座像】の「年一回の御開帳」が在る。昔は30年に一回しか御開帳されなかった「秘仏」だが、御住職のお計らいで、近年は年一回の御開帳になったとの事。
この仏像は高野山の麓の【河内金剛寺】から【南北朝時代】に伝わったとされ、「京都駅前に在った七条仏所の慶派」の【幸賀】の手によるもの。胎内には、【後鳥羽上皇】や鎌倉幕府評定衆の【藤原浄円】や多くの信徒等の胎内名がビッシリと書かれており、国でも全容が解明されていない本当の【秘仏】と云える。又、胎内には【仏舎利】が納められていた事を示す「奉納仏舎利」の記載も在り、近年、総持寺では「二基の仏舎利容器」も発見されており、高岡市内には鎌倉時代制作と鑑定されたこの千手観音像の「胎内仏」を祀っている檀家も在る。河内金剛寺は「女人高野」とも呼ばれ、【後白河上皇】が創建された皇室所縁の寺院で、南北朝時代には、南朝と北朝の天皇が「行在所」とされた希有の歴史を持つ名刹で、南朝の【後村上天皇】等の牙城となった寺院でも在る。
この仏像は、富山県では木造千手観音像としては唯一【国指定重要文化財】に指定されている仏像で、昭和12年には【国宝】に指定されたが、現在は法律改正の為に「重要文化財」とされている。奈良や京都の国宝にも勝る歴史を持つこの【千手観音像】は【後白河上皇】から【後醍醐天皇】迄、上皇領の「後院領」や「天皇家領」として続いた【越中五位庄】の前身の【越中吉岡庄】の【赤丸村】に伝わったものと【国宝概説】は記載している。この跡地は【観音寺遺跡】と呼ばれ、高岡市市営の温浴施設【こぶし荘】の隣地一帯が跡地とされ、近年は高岡市の「西山丘陵の観光化」の為に、五位庄用水沿いの現地には案内板も設置されている。
(※近年、笹が繁茂して案内看板が見えにくく成っており、西山全体の大きな「総合観光案内板」は県道沿いの[「性宗寺」の後交差点角]ファミリーマート前に立てられている。)