赤丸米のふるさとから 越中のささやき ぬぬぬ!!!

「勧進帳」の真実、富山県高岡市福岡町赤丸村の消された歴史⇒「越中吉岡庄」から「五位庄」へ

🔴【応仁の乱】の渦中に在った【越中国】⇒室町時代の「畠山家の相続問題」と「越中国」!!

2019-09-04 | æ—§ç”ºå 富山県西礪波郡福岡町赤丸








●「応仁の乱」の直前に「第八代将軍足利義政」は「畠山氏総領」と成っていた「畠山満家」の孫に当たる「畠山義就」から「総領」を取り上げて、同じ「満家」の孫の「政長」に与えた為に「畠山義就」は河内国に逃れた。その時に「足利義政」は『越中国宮川(河)庄』を三河国吉良郡一色(愛知県西尾市)を本貫地とした足利一門の「一色七郎政照」に与えて、早々に任地を守る様に指示している。
この庄園は富山空港近くの富山市秋ケ島等を含む庄園で、「越中蜷川氏」の所領の「蜷川郷」に隣接している。「足利義政」は「政所代蜷川氏」の一族の「政所伊勢氏」の権力に頼ったとされ、「畠山政長」の任国と成った越中国の防護を固める為に足利一門の一色氏を越中に配したものと見られる。
「足利義政」が当初は「畠山義就」を総領に据えたものの、義就が命令に叛く振りをした為に、突然に「畠山政長」を畠山氏総領に指名した事から、「義就」と「政長」が長く畠山家総領の地位を巡って争い、『応仁の乱』の一因と成った。

▼「三代将軍足利義満」の母は「越中蜷川氏」と「宇多天皇」の血を継ぐ事から「越中蜷川氏」は「足利一門」とされ、富山県の「新川郡」と「利波郡」を統治したとされる。この様な背景からも、越中国は室町幕府にとって重要な拠点で在った。後に「足利義材」が越中国放生津に逃れて臨時政権を建てた事も、この様な背景からだと見られる。








▼「足利義満」が室の業子の追善料として「五位庄」を京都の「相国寺」の庄園として寄進した時に、その底地は「畠山満家」に預け置かれた(※「富山県史 中世」)とされる。
この「畠山満家」の「三回忌」は、現在、高岡市関町に在り、「国指定重要文化財木造千手観音像」を祀る「総持寺」が「五位庄赤丸村」から海沿いに移転していた時期に、雅楽の演奏を交えて盛大に執り行われたと言う。(※「大須観音文書」愛知県名古屋市)
⇒この「畠山満家」の家系の相続問題が「応仁の乱」の大きな原因と成っていた。



「五位庄53ヶ村惣社延喜式内社赤丸浅井神社」




■「越中統治絵図」(※「畠山文書」羽曳野市資料叢書)


後白河上皇以来、後醍醐天皇迄天皇家庄園として続いた「越中吉岡庄」は、「足利義満」が南北朝を統一して「五位庄」に改名され、「五位庄」は義満の妻「業子」の追善供養の為に、義満が創建した「臨済宗相国寺」(※塔頭寺院「鹿苑寺舎利殿金閣」)に寄進された。奈良時代の創建とも伝わる吉岡庄の中核施設で在った「赤丸浅井城」には、「室町幕府守護畠山持国」の名前が見られる。(※「越中絵図」畠山文書)

🔽「源氏系図」には「足利義勝」の加冠を行い、「将軍足利義勝」の側近で在った「畠山持国」の記載が在る。












■「畠山満家」の三回忌法要を営んだとされる「衆徳山総持寺」と「国指定重要文化財木造千手観音座像」
この法要は「越中守護畠山持国」が亡き父の「室町幕府管領畠山満家」の三回忌法要で、厳かに雅楽の演奏を交えて執り行われたと云う。





🔻名古屋真福寺大須観音記録(舞楽曼陀羅供養記録)
【射水市新湊博物館主任学芸員松山充宏氏論文 参照】
①富山市日本海文化研究所紀要 第22号 2009年
②砺波市立砺波散村地域研究所研究紀要 第26号 2009年










この記事についてブログを書く
« ðŸ”´ðŸ¯ 越中国赤丸村舞谷に在... | ãƒˆãƒƒãƒ— | ðŸŒ¸ðŸŽ 越中国(富山県)砺波... »

「旧町名 富山県西礪波郡福岡町赤丸」カテゴリの最新記事