
●静寂に包まれる修行道場、重要文化財「妙興寺」

■文化財の山門では時折、音楽家が練習をしている。

■本堂の天井には素晴らしい龍の絵が在る。

■重要文化財の鐘楼には越中高岡市で製造された鐘が在る。

■柳生流無刀取りの師の『上泉伊勢守修行の地』の看板もある。
■室町幕府の第6代将軍(将軍1428年 ~1441年)で第3代将軍足利義満の五男の足利義教(僧名 義円)の比護を受け、剣聖「上泉伊勢守」が修行して「無刀取り」を体得した愛知県一宮市「臨済宗別格本山 妙興寺」は多くの修行僧を抱える修行道場になっている。この寺は現在の形の「細切り蕎麦」を編み出した寺で「妙興寺蕎麦」と言われた。古くは蕎麦粉を水や、お湯で溶いて団子状にして食べる「蕎麦かき」で在ったが、妙興寺の修行僧はこれを細切りにして湯がく現在の「お蕎麦」を編み出して、古くは参拝者に振る舞われていたという。妙興寺には多くの末寺が在り、ここで修行した僧が各地に派遣された為にこの蕎麦作りが拡がったとされ、特に信州にはこの寺の末寺が多い様だ。
妙興寺の稲垣宗久老師には、文化財の維持管理を含めて様々な御教示を頂いた。折に触れ、老師に招待されて老師の居室に案内されて、必ず「お抹茶」の接待を受け、人生の指針を頂いた。
在る時に、抹茶碗に「僧がお尻を出して火に尻炙りをした碗」で抹茶を頂いた時に、「この絵は、仏教の本質を現したある高僧の伝説を描いたもので、この薪は【木造の仏像を薪にしたもの】で、単なる仏像の形を信仰する仏教の誤りを示された場面だ。本来の信仰は【形】では無く、心からの【信仰】で在る。仏教の理解無くては仏教徒とは云えない。」と御教示頂いた。
又、人生の折々に的確な『格言』を記した【書】を贈って頂いた。日々、雑務に追われて食事を掻き込んでいた時には【莫妄想 マクモウソウ】の言葉を頂いた。人間は不安に駈られて知らぬ間に様々の【妄想】に駈られて、いたずらに恐れや、不安に駈られて必要以上に緊張し、バタバタする。特に経営者や営業職は毎日、想定しない対人関係をその都度処理しなくてはならず、成績にも左右される。日々、知らない間に緊張を持続しており、これでは正確な判断力を欠く場合が在る。時には【一杯のお茶】に集中して煩悩を去る事が必要で在り、特に人前で緊張して上手く話せない人達には、【自分が思っている程、他人は自分に注目していない。】と思えば、緊張から解放される。「全ては過剰な自信に基づく」もので、一個のあるがままの自分で在れば様々な煩悩を払う事ができると云う教えだ。
又、リタイアする時には【白雲抱幽石 ハクウンハユウセキヲダク】の書を頂いた。「高い山の石は泰然として雲に囲まれても動じない」と云う中国の漢詩の一節だ。今迄、時間に追われていた者が、突然、時間が余るとその時間が余る事に不安を感じて、それが悩みになる。先輩の話を聞くと、ゴルフに毎日没頭したり、犬の散歩を一日に四回もしたり、山々を放浪して時間を潰していると云う。健康管理以前に生きる根拠を見失った為にバタバタしていると云う。この言葉は、「小人閑居して不善を為す」の言葉通り、「迷い」からあらぬ方向に生活が流される事を戒められた言葉だ。
これ等は、形ばかりの信仰に流され、日々、様々な煩悩に流される人間は、特に禅僧の様に特殊な修行や学問が無くても、幾つかの真理に気付くだけで、高僧の座禅にも匹敵する効果が在るとの教えで在った。【合掌】


●●千万円?の襖絵
