ぼくはドイツとフランスの病院で全身麻酔の手術を二度受けている。麻酔を掛けられたと思ったら次の瞬間にはもう目が覚めていて、その瞬間の間に何時間も経っていたことを知らされた。時間知覚あるいは意識を奪われただけだ。目覚めさせられなければずっとそのまま、すなわち死んでいるという経験を二度したわけだ。夢も見なかったようで、完璧な麻酔なのだ。麻酔されている途中で死んだなら、身体から解放されて、かえって何か見ることになったかも知れない。ともかく、いかなる苦痛も無かった(あんな楽で無感覚なものは無い)。すべての感覚や意識そのものを消されたわけだから。ああやって死なせてもらえるなら、こんなに楽なことは無い。文字通りの安楽死の経験をぼくは二回したと言えるのだ。
べつに現在死にたいと思ってこれを書いているのではない。むしろこんなことを書くくらい元気であるが、ふと、あの全麻が主観にとって死と同じ状態をもたらしたのなら、死そのものへの恐怖というものは主観には完全に存在しないな、ということを、ぼくは想像ではなく事実で二回も知っているわけだと気づき、そのことをここに記したのである。死そのものは、当人にとっては、そのくらい(麻酔状態と同じ位)、存在しないものなのだ。