高田博厚の思想と芸術

芸術家の示してくれる哲学について書きます。

体操が非精神的となる場合

2023-04-24 22:11:00 | 日記

体操が非精神的となる場合

2023年04月24日

 
意識が外部に、つまり即ち身体に向っている場合である。その根本には、精神内容にではなく外的ノルマに意識が向いているという状態がある。そうすると意識が芯からずれて、人間は途端に疲労を覚える。これが疲労の正体なのである。そのとき人間は自分の外部である身体をも意識するから、そこで疲労回復や身体強化のために体操でもするかという発想は、本末転倒の発想なのである。 
 
 
余計なことをせずに単純に無為に休めばよいのである。そうでなければ遊ぶ。動物はそうしている。 
 
 

  


教養と創造

2023-04-24 19:00:58 | 日記

教養と創造

2023年04月24日
テーマ:自分に向って

 
「科学の限界から哲学が始まる」(ヤスパース)とは、「学問の限界から愛が始まる」ということだろう。ところで学問は愛にとって必要だろうか。学問が教養のことなら たしかに必要だ。そして教養という意味での学問はぼくはじぶんのために充分したし、そういう学問はこれからもする。それほどの必然性は見いださないということだ。ぼくの目標が愛であるのなら。もっと愛に時間をつかってよい。芸術創造などに。学問は海のように無際限であり、海を全部知ろうとすることは真摯であることではない。

推敲:
(「科学の限界から哲学が始まる」(ヤスパース)とは、「学問の限界から愛が始まる」ということだろう。ところで学問は愛にとって必要だろうか。学問が教養のことなら たしかに必要だ。そして教養という意味での学問なら、ぼくはじぶんのために充分したし、そういう学問はこれからも無論、習慣のようにする。だが、そんなに強い必然性はもう見いださない。ぼくの目標が愛であるのなら。むしろ、もっと愛に時間をつかってよい。芸術創造などに。学問は海のように無際限であり、海を全部知ろうとすることは、ほんとうに真摯であることではない。)
 

勉強の強迫観念から解放されよう、自分をもっと大事にして落ち着こう、という気持から書いたのである。 
 
 





うまくいったと思ったことで上手く行くことは決してない

2023-04-24 04:10:57 | 日記

うまくいったと思ったことで上手く行くことはない



 
人間、うまくいったと思ったことで上手く行くことはけっしてない。なぜならそう思った時点で、実現すべき当のものは、不埒な性質のものになっているからであり、実現の条件を欠いてしまっているからである。実現の条件とは、天を味方にしてしまうような無制約的な動機であり真摯さである。学問計画でも そういう姿勢がないと実現しない。全面的な敬虔さがなければ、まっとうではない。