見えない鳥の存在: Blog版

Blog: L'oiseau Invisible
blog目的が途中から激変してしまった

綱引きの敗北

2016-01-22 | 死神との綱引き

今日の運勢は最悪、悪い予感がしていた。
しかし空は晴れていた。いつものように希望を持って、判定を聞きに行ったのだが、綱引きの敗北が言い渡された。CA125のマーカー値は3535、腹水も僅かながら溜まり始めていると。医者にはわかるのだ。この先どうなるか。11-44-919-1148-3535、もうマーカー値を求めての血液検査はしません、と宣言された。しても意味がない。腹水は溜まり始めると早い。苦しくなって抜くと、あとは死への一直線。
形式的に抗がん剤は勧められたが、一旦断っているので、他の人の空きを待たなくてはならない。つまり優先順位は一番最後。しかも前の抗がん剤開始のときにこう言い渡されている。抗がん剤は、数ヶ月の延命に繋がる場合もあるが、(3期のCの場合は)それ以上は望めないと。
治る可能性があるわけではない。一度はそれでも抗がん剤にすがりついた。でももう二度と抗がん剤にすがりつくのはやめようと思う。手術前から死は、すでに繰り返し宣言されていたではないか!

日ごろの必死の努力が報われて、いままでながらえてきた。それを忘れないで、今までの治療を続けようと思う。腹水はまだ苦しいほどには溜まっていない。排便排尿にやや異常が見え始めている。それと、体重の減少。この先体重の減少に比例して、腹水が溜まっていくのだ。私の知っている方に、がん細胞は活動していないと宣言されたにも関わらず、腹水が溜まり続けて、衰弱してなくなられた方がいる。腹水は口にした栄養を全部横から奪い取ってしまうので、がん患者はがりがりに痩せて全体的に小さくなって、そして死ぬ。
抗がん剤に批判は高まっているが、がん細胞の勢いを殺ぐのは、抗がん剤しかない。少しでもマーカー値を下げたり、その間延命させたりするのは、やはり抗がん剤が一番なのだ。抗がん剤は毒薬なので、それで、その副作用で死ぬ可能性も高い。しかし、副作用がゆるい場合は、医学的には抗がん剤に勝る治療は今のところ日本ではない。抗がん剤の毒性で死ぬ確率と、抗がん剤をしないで放置することによって(また代替療法によって対処する場合も含めて)死ぬ確率と、さて、どちらが高いかという話なのだ。それは部位にも寄るし、ステイジにもよる。そしてなにより、個人の体質にもよる。つまりは寿命と言う言葉で置き換えると一番わかりやすい。末期癌はどう転んでも死に至る病なのだ。決してみくびってはいけない。がん細胞は恐ろしく聡明で、抗がん剤はもとより、どんな治療にもすぐに対策を講じて、乗り越えて行く。早期発見がやかましく言われるのは、そのためだ。がん細胞が充分な知力を持たぬ幼い間なら、少量の抗がん剤でも、あっという間に死ぬ。がん細胞が小さい初期ならば、「恐ろしいほどの聡明さをまだ持ち合わせていない」からだ。しかし成長したがん細胞にやられた末期患者は、どんな手を打っても死ぬし、どれだけ抗がん剤を打ち続けても死ぬ。いずれにせよ、精一杯いくばくかの「延命」が可能になるか否か、それだけのことだ。幸い「延命」を願う気持ちが、もう萎えてしまったわけではない。一日でも長く元気で生きていたい。そのために全力で、末期癌患者という現実と戦っていきたい。今までの人生に大きな意味を持たせるか否かが、それにかかっている。生きてきた過去、自分の人生に対する、肯定であり、敬意であると思っている。そして「死」に直面しつつも、そう思える現状の「幸」(つまり、まだ死にたくないという気持ちが在るということ)に対して、心からの感謝を捧げたい。
まだ尻餅をついた段階で、否応なしに綱でズズーと引きづられて
泣き叫ぶのはもう少しだけ先送り、に願いたい。



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