入院の間隔をなるべく引き伸ばすこと、カートをする回数をなるべく少なく抑えること、が患者のできる努力のすべてだと、以前に書いたが、これは正しくないことが分かってきた。
カートは消耗するけれど、大きなおなかでうんうん頑張ることのほうが、はるかになけなしの体力を消耗する。足腰も痛める、骨や心臓にも負担がかかりすぎるし、そのうえ、がんばることは大小の排泄機能を不全にして、余計に苦しみを増す。緩和治療には、癌を縮小させる力はないが、つまり治癒は望めないが、苦痛や衰弱をできるだけ緩やかにすると言う働きがあり、それが仮に死への急速な一直線でしかないとしても、患者にとっては、ありがたいことなのだ、ということも分かってきた。
だから次の入院を少し早めようと思う。次の次の入院も考慮に入れて、早く日にちを決めたいと思うが、やはりもろもろの状況を考え、今のところ決断は下せていない。
腸が癒着していて、そこに癌細胞が絡みついていて、腸閉塞の危険も常にある、既にある。しかし今の状態では、手術は無理、抗がん剤も無理。カートで対処するしかない。今回の腹部のパンパンは、腹水だけではないような気もする。腸の詰まりだ。すでに出るものが出ない。出せば、2,3日の入院の延期は可能になるような気がする。少し瞬間的にでも楽になるはずだからだ。せめて手を変え品を変え、試みてみようと思う。
足腰も弱っていて、動くにも大きな苦痛を伴う。従ってもう治療にはいけないし、散歩も不可能、梅雨なので、日光浴もできない。うんうんと唸りながらベッドから降りて、洗濯や食事や片づけや資料の発送や、PCでのメイル打ちなどをしているが、毎日18時間以上はベッドの上でぐったりと眠っている。そして衰弱は日々激しくなる。まだ、遣り残したこと、今しなければならないこと、がたくさんある。その気持ちでその精神力で、生きながらえている。薬も一杯飲みながら。
しかし精神力だけでは、動きづらいことや食欲の低下、日々急速に進むエネルギーの低下までに対処することはできない。これからが、うめき。叫び、わめく、断末魔が待っている。所謂壮絶な末期癌末期の闘病である。日本ではまだ不可能なのに、ここに来て初めて「安楽死」を考えるようになった。
35年も前に書いた、松岡洋右のジュネーブ演説の英文解釈問題集を本の形にしてお葬式の代わりお配りしようと思っている。今はもういかなるものもかけない。予備校講師をしていた昔に書いたものだが、当然のことながら、どこでも採用されなかった。歴史解釈は一切入れていない。純粋な受験問題集である。「つんつろりんの、かっくん」といって死ぬのが夢だったが、臨終の場に誰もいなかったら、そう言ったところで意味がない。それに変わるBruxellesの最後のギャグのつもりの(死亡連絡のお配りもの)である。制作は北海道の古い文学友達に全面依存している。私がまだ「生きたい」という希望を保てるのは、100%彼の伴走や励ましのおかげである。
是非にチャレンジしたいと思う受験生や読者の方がいらっしゃれば、(コメント欄に非公開で)早急に御連絡いただきたい。死亡連絡先名簿制作には、まだ手をつけていない。名簿完成前に死んだら、残念ながらお約束は果たせない。死亡報告も出来ない。
2016年6月14日
gooのシステム・メインテナンスは午前中に終わったようだ。
またもや緊急入院だが明日に決まった。
痛みと苦しみと衰弱で家でがんばったところで
何も出来ない。早く腹水を抜いて、たとえ4,5日でも
苦痛緩和を図りたい。そういえばLhasa de Sela
がインタビューで、誕生や死のことをbig bangのように
説明していたことを突然思い出した。
死に逝くと言うことは日常的想像を超えたbig bangなのだろう。
2016年6月19日
15日に入院して、昨日18日に退院してきた。
前回は、その衰弱ぶりを鏡で見て大変ショックを受けたが
まだ「めじから」が強く残っていた。今回の入院では
それがすっかり消えて、さらに別人の顔になり
目はとろんと空虚になりかけている。
もう誰が見てもカート治療を始める前の私と同じ人物とは思わないだろう。
尿の出が悪いのは、腹水のせいが大きいが、腎臓機能が弱っているのも原因らしい。出血傾向が見られるようになり(どこからか分からないが、ついに!)貧血症状や極端な低血圧症状が常時現われてきた。
炎症反応数値も極端に上昇しつづけている。
腹水を抜いたので、胃や骨や心臓への負担は随分と軽減したが、退院時の3日後にはすでに御腹が膨らみ始めてきた。今回は外出許可願いも言い出しにくい状態だった。早く退院したのはそのためだ。
次回の入退院時に、私の主治医が不在なのが今の一番の心配事だ。次回は別の医師の担当になる。
今回の3度目は、濃縮再注入時の副作用である、長時間の歯のガチガチや強い全身の悪寒に襲われることがなかった。今回は、6,7時間かけてゆっくりと点滴を落としたからかもしれない。終始身体が温かくて助かった。
次回の入院は今月末か、来月初めを予定しているが、そこまでどのように「生き抜く」か、不安だ。ここまで来たら、もう「成せばなる」の気力しかない。
私の希望としての終日と、冷静な判断の終日の予想を退院時に主治医に告げてみた。「一応そう思っておいて、それを超えれば、よかったよかったと喜べばいいのでは」、というのが主治医のアドヴァイスだった。この病院の主治医は、大学病院の主治医と異なり「死ぬ死ぬ死ぬ死ぬ死ぬ、お前は死ぬ死ぬ」と言い続けないのがいい。不快云々と言うより、もう聞き飽きてしまった。主治医はやさしく接してくださって少し楽観的で、励ましたり安心させたりしてくださるかたがいい。5月6月と生きてこられたのも、今の主治医と今の病院のおかげだ。カートをしなかったら、苦しんだ挙句にすでに亡くなっていただろう。
くれぐれもパソコン等、無理しないでください。