4月の時点で限界がきていたのだが、医者の休日や連休が原因とかで、明後日まで、診察は不可能だと。診察の必要は無いのだが、診察をしないと、紹介状は書けない、といわれたら、その先に患者が勝手に進むわけにもいかない。腹膜播種から溜まり始めた腹水が、ここに来て急激に膨らみ始めて、もう胃までせり出してきた。こうなるとブラジャーのホックを止めると苦しくなる。一週間前までは、まだ少しウエストラインもくびれていたのだけれど、いまは完全にずん胴になった。お腹が圧迫されて痛いので、伏して寝ることも、不可能になった。お腹はついに妊婦のように膨らんできた。上半身はあばら骨が浮き出るくらいにガリガリになってきているのに、胃と腹部だけが膨らんで飛び出る、異形に陥っている。膀胱が圧迫されているためか、一回の尿の排泄が、日本酒のお猪口半分も出ない、排尿困難に陥っている。腹膜の中の臓器は全部酷い圧迫を受けて、じわじわと内蔵機能不全に陥っていく。風船に水や空気をポンプで送り込んでいくと、いつかは破裂する、同じ原理だ。腹膜播種ー腹水、となると典型的な末期癌の末期症状だ。呼吸困難や咳も少し始まり、心臓のヒヨヒヨも時々起こるようになった。こういう状態になると、自宅や外出先で、意識をなくして突然倒れる可能性が出てくるらしい。
毎日飲んでいるたくさんのお薬の入手先、振込先、毎回の量、補充の必要などを確認せねばならない。あまりに種類が多いので、できたら表にしておこうと思っているが、いつまで身体が動くか。動作がすでにのろくなってきている。身体を休めて眠り込んでいる時間が増え始めている。少なくとも明日中に、入院のしたくだけは、なんとか済ませておきたい。ようやく診察の日に辿り着いたとしても、すぐに紹介状を書いてくれるとは限らない、から、この腹水がすぐ抜けるかどうかも分からない。抗がん剤の副作用は抜けているし、まだモルヒネも打っていないので、意識は今のところ保てている。朦朧ともしていない。ただ筋肉はもうしわしわになってきている。
あと何日、一人で動けるだろうか。
・・・・・追記:2016年5月5日・・・・・
昨日書いた予定を何一つこなせなかった。
日光浴のため公園に行き、ベンチで身体を横たえて目を閉じていた。
「もしもし、失礼します。大丈夫ですか?脱水症かなにかでは無いかと」
目を開けて声の方をみると、親切そうな初老の男性の心配顔が。
ついに、行き倒れ者に見えたのかと、吃驚した。
トイレに行き、顔を確認。両目がドスンとへこみ、頬の厚みが
全く無くなって三角形になっていた。
午前中に連休中、最初で最後の唯一の電話が、同市に住むSMさんからかかってきた。
この文章で近況を知って、気になってお見舞いの電話を下さった。
彼女は仕事をしながら、両親の介護をしている。
私は死にたいとは思わないが、彼女は死んで楽になりたいと思う時があるようだ。
私も死にそうになるような親の介護の経験があるので、彼女の苦悩が良く分かる。
私は膨大なシャンソンの研究資料を持っているのだが、そのごく一部を、最近入会した信州大学シャンソン研究会(代表吉田正明教授)に寄贈することが出来た。後世の研究に何らかの形で役立てていただくことが出来れば、こんな嬉しいことはない。どなたとも面識はないが、情熱は受け止めていただけるのではないかと思っている。まだレコードの他に、紙媒体の資料が山ほどあるが、それらに手をつける時間はもうない。この研究会に滑り込みセーフで出会えて本当によかったと思っている。
私が一番恐れているのは、遺体だけでなく、私の人生そのものが、ほとんどゴミのように扱われるのではないかということだ。それが一番の苦悩、苦痛だった。
しかし最後の最後に、私が定期刊行物やリトルマガジンなどに昔々長年書き散らしてきたものを、なんとか年譜にまとめてあげよう、という方が現われた。遠く北海道の金石稔氏だ。
年譜といえば、以前支路遺耕治が亡くなった時に志摩欣也が仕上げた「年譜」に感動したことがある。それ以前には吉田城が仕上げたマルセル・プルーストの年譜に、「年譜」の持つ魅力に目を開かれた思いがしたことがある。私ごときが年譜云々というのは、おこがましいが、せっかくの阿吽塾の金石稔氏のお申し出にすっかり甘えて、私の人生の過去録をなけなしの資料共々、委ねることにした。こまごまとしたものだが、完全異分野未発表のものも含めると、量は相当多い。多くのお時間を奪い取ることになるのではと思うと、心苦しいが、そのお気持ちに感謝と共に飛びついてしまった。このことを外部に公表しても良いと言って下さったので、敢えて書いてみた。私の人生がゴミのように一瞬の内に破棄・焼却されることから、危機一髪免れることができた。
私がこの十数年一番力を入れてきたTel Quel Japon関連の記事に関しては、論壇の大御所、西尾幹二先生のBlogに特別リンクを貼っていただいたし、ごく最近もご自身のBlogで、数回にわたり再度の掲載・ご紹介をしていただいた。媒体を通して私の魂までもが生き残れるのかどうか、そこまではわからない。なんらかのかたちで思いがけない人たちにバトンを渡せるかどうかも、全く分からない。しかし遺体はともかくとして、私の人生は、少なくとも一瞬の内にゴミのように破棄・焼却されることからは免れた、と思っている。
死は手探りの闇の果てに辿り着くものではなく、未来に繋がる微かな光に導かれていくものではないかと考えられるようになった。有り難いことだ。
合掌。