見えない鳥の存在: Blog版

Blog: L'oiseau Invisible
blog目的が途中から激変してしまった

別室の上映会 Trail of Tears

2016-04-26 | Bruxellesの原稿

Trail of Tears (Two Part Series)
Documentary producer Philip Coulter re-examines the great Cherokee removal of 1838.(音声)

Trail Of Tears Short Documentary :
C-SPAN Cities Tour- Chattanooga: Trail of Tears :

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
We Shall Remain, Episode 3
Trail of Tears Part 1~Part 7

(映像)

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(1) We Shall Remain - After the Mayflower  :
(2) We Shall Remain - Tecumseh's Vision :
(3) We Shall Remain - Trail of Tears:
(4) We Shall Remain - Geronimo :
(5) We Shall Remain - Wounded Knee :

 


別室の上映会  嘆きの天使

2016-02-20 | Bruxellesの原稿

Marlene Dietrich - The Blue Angel - Full movie
映画 嘆きの天使 解説へリンク
あまりにも有名な映画であり主題歌なのだが、映画を初めて全編みた。
デートリッヒが別人のように若い。
それから20年代のドイツのキャバレーの雰囲気が少し体感できた。

作品の感想はまだいえない。
シャンソンを2曲思い出した。
これは前半を見ての感想だ。
後半は悲惨すぎて、まだ言葉が出ない。
決して同情しているわけではないが、悪趣味なほどやりすぎ。

前半を見て、思い出した2曲のシャンソンを探してきて貼り付けることで、とりあえずの感想としたい。
Correspondances過去記事
Monsieur WilliamとLes Dames de la Poste


Julie and Julia (2009)

2016-01-01 | Bruxellesの原稿

直前の記事で映画「Julia」を取り上げて、Juliaのモデルに思いを馳せてみた。モデルはおそらくあの二人に限定されるとは思うが、主人公の名前で、またあの人に立ち返ってしまった。
「見えない鳥の存在」のこの過去記事を再度ご覧ください。
Spy Sorge&Donovan(展開2)&Stephenson (3)
Juliaという名前は面白く楽しい戦勝国女性スパイの代名詞のような使われ方をしているのだろう。少なくとも名前だけは、この人からの拝借に違いあるまい。



2009年にはこんな映画まで出来ていた。簡単なあらすじを求めて、日本のBlogに当たってみた。どのような受け止め方をされたのだろうか?
◎ジュリー&ジュリア Julie and Julia (2009)
そのいち : そのに : そのさん :
Julia Childを演じたMeryl StreepのInterviewでも同じような感じですね。
こちらは実際のJulia Childの番組「The French Chef」からOnion Soupのつくり方。


(違和感ありませんか?)

完全に映画の話に入ってしまいますが、Meryl Streep, Julia Childにここまで似せて演技しているのですね。
演技と言うより「物まね」?
Meryl Streep vs. Julia Child
追記:2015年12月23日
「神経」といえば、料理人がパンの扱いを
しくじっているところ、しかも落としたものを
再び、パンに戻しているところ、
帽子をかぶらず、手で髪の毛にさわっているところ、
非常な違和感を感じるのですが
これが彼女の個性なのでしょうね。
まだそういう時代だったのでしょうか?



2015年11月25日の記事を書いた時から、鶏を持ってにっこり、のこの写真に、なにかしら深い抵抗を感じていたのですが(つまり、日本人的には、神経を疑う、の図に思える)、この辺を民俗学的に検証すると、日本に原爆が落とされた理由、すなわち徹底的な敗戦の理由や、今後の国際政治の展開や未来の世界覇権の展望などが、はっきりと見えてくるような気がするのですが、あなたはどう思われますか?各民族の”神経”を分析すれば、その政治思考を操る根源のようなものが、見える。思想や宗教や文化云々よりも、はるかに単純に見えてくる、そんな気がしませんか?
ご覧ください。「Julia Child Chicken」 You Tube
食するのは同じなのだから、単なる慣れの問題でしょうが、しかし「慣れ」こそが民族的感性の根源でしょう。違いますか?

追記:2015年12月29日
京都の北白川の温泉場で出会った人と友達になった。
ありがたいことに彼女は忙しい中Blogを読んでくれる。感想も聞かせてくれる。Julia & Julieも実際見たのだそうだ。ただStoryを良く覚えていないが、何かスパイに関係が有るの?と質問が来た。
説明を加えてこのリンクを送った。
One to One : Covert Affair:
ついでに私も今回これをじっくり見て、OSSの正体がかなり
浮き上がってくるのを感じた。

Jennetはルーズベルトからトルーマンに代わったことを
方針の転換の原因に挙げているが、スパイたちは
Julia Childは
日本の敗戦の後旧宗主国が再び
かつての植民地を武力で取り戻しに来たことに
大変ショックを受けたようだ。
Jennetもはっきり言っているがOSSは
New Dealerたちの巣窟で、本国の方針の転換によって
1949年あたりから、元スパイたちはかなり厳しい
立場に立たされる。後にマッカーシーなどによって
ごく一時的にではあるが、全米がヒステリー状態に陥る。
(歴史的にはそれには充分な根拠があるのだが)
この辺は日本を統治したGHQも「逆コース」を
取るあたりなのだが、いままでは単純に
「露呈してきた米ソ対立」で説明されてきたが、
米国内の分裂は第二次世界大戦を
Facism vs Communismの図式で
(実際はFacism=Communism)

単純にとらえた知識人が大変多かったためだろう。
私が見る限りネット上に於いては
少しづつではあるがマッカーシーの正当性は
証明されてきていると思うのだが
あちらの教材ではどうなのだろうと
「アメリカの小学生が学ぶ歴史」と言う本を買って
読んでみたら、マッカーシーはボロクソに書かれていた。
今は再度の「逆コース」になっている。

この辺はテーマとしてもっと検証を深めたい
と思っているところなのだが、
複雑に長くなるので今回はここで止める。

「どこの国から?」
「ならば、あなたのお国は枢軸国側だったですね」
これが私が彼女にかけた最初の二言だった。
その後彼女はたくさんのがん治療の方法を
送ってきてくれている。
あとの2日は、それを記事にしてまとめることに
費やそうと思っている。
マーカー値が増え続ける一方の
末期がん患者に大晦日もお正月も無い。

追記:2015年12月30日
今日も時間が無かったし、明日も全く無い。
「あとの2日は、それを記事にしてまとめることに
費やそうと思っている。」
と昨日書いたが、不可能になってしまった。



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//////////////////////////・・・話変わり・・・////
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あっけにとられて声も出ない。
この事態(日韓合意)でもまだ
安倍さんは、大変な中、精一杯良くやった
安倍さんは、お気の毒
これからもがんばってください
といい続けるのだろう。
あまりにも馬鹿馬鹿しい。
安倍談話の「保守世界の統一反応」に対する
激しいショックがいまだに消えない。
声も出ないほどのあまりにも激しい裏切りだった。
私には丸見えだ。
もう延々と数年前からずっと工作が続いている。
覚醒している日本人はどこにいるのだろうか。
ペテンもわかれば、
方法・手段も行き先も目的も私には
丸見えだ。
正論、産経新聞等は何十年「慰安婦」「南京」
のマッチポンプ
記事で生計を立ててきたのか。
アホでもわかるように一行で言うと安倍は
保守を懐柔し理解力をかく乱させ人格を
破壊し
よだれをたらした羊に仕上げ
「左翼を喜ばせることばかりを実行に移すために」

総理になったと言うことだ。
担ぎ出したのも、今もまだ狂喜乱舞しているのも
自称真正保守だけなのだから、○○はもう終わっている。
この件(安倍内閣)に関しては、今後一切書かない。
死にたくないからだ。


Virginia Hall & other female american spies

2015-12-19 | Bruxellesの原稿

Virginia Hallの話を書いて、やれやれと思ったのもつかの間、記憶の中からある女性が現われ、思考の輪に引っかかってしまった。それは現実の女性ではなく、ある映画の登場人物である。昔々その映画を見て、物凄く感動した。レンタルショップで借りて十数年後にもう一度か二度見たような気がする。その割りに内容をあまり把握していない。思い出すのは、女性二人が再会するレストランでのシーンのみ、という有様なのだが。何故思い出したかと言えば、Virginiaが義足であったこと、ナチのファシズムと戦ったと言うこと、ウィーンに留学していた裕福でハイソなアメリカ人であるということ、から自然とその映画、即ち「Julia」を思い出すこととなった。ご存知でない方のために、まず映画の紹介を。
本当はアメリカの映画評から出すべきだと思うが、見たことのある方はよりリアルに思い出されるかもしれないので、日本語での映画評からリンクを始める。

みんなのシネマレビュー
西澤 晋 の 映画日記
映画「Julia」 wikipedia 日本語
Review Julia:
Film Article:
映画 Julia wikipedia 英語

日本語のwikipediaのなかでジュリアを演じた「ヴァネッサ・レッドグレイヴの授賞式における政治的発言について」の項目があるので、そのYou Tubeをとりあえず探してみた。
Vanessa Redgrave Wins Supporting Actress: 1978 Oscars :
ヴァネッサ・レッドグレイヴについて
Vanessa Redgrave60分
Jane Fondaだけでもかなり政治的なのに、この人も合わせると、あまりに政治的で、映画の内容と実際が混沌としてくる。この人がJuliaを演じたと言うだけに、ここでは止めておく。
英語のwikipediaでは以下のことが問題になっている。
「In 1983, New York psychiatrist Muriel Gardiner became involved in the libel suit between Mary McCarthy and Lillian Hellman, when she claimed that she was the character called Julia in Hellman's memoirs, Pentimento (1973), and in the movie Julia based on a chapter of that book. Hellman, who never met Gardiner, claimed that "Julia" was somebody else.」
映画のJuliaとそっくりな活躍をした(即ちスパイだった)MURIEL GARDINERという人が、自分をモデルにしている作品だと名乗りをあげている。
Muriel Gardiner:wikipedia
MURIEL GARDINER, WHO HELPED HUNDREDS ESCAPE NAZIS, DIES
作家のリリアンは、Murielではない別人だと言っている。
作家は何も作品にそのままの人物をそのままに取り上げるわけはないのだから、結論としてVirginia Hallのように、フランスのレジスタンスに加担して、ナチの兵隊を多量に殺害した女性アメリカ人の連合国側スパイが、最低でもHall以外に1,2人はいたということになる。
Virginiaをモデルにしたのか、Murielをモデルにしたのか、他の誰かなのか。同じような女性スパイはひょっとしたらもっとたくさんいたのか。

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・・・・・・・・・・・・・・・

古い映画から少しはなれて
現代の時点では
どれくらい明らかになっているか調べてみた。
結果こういうペイジを二つ発見した。過去に伏せられていた蓋は、今は堂々と開けられている。Virginia Hallを言わば開祖とする、女性スパイチームは米国ではもはや伝統となるまでに成長している。Osama Bin Ladenのありかを突き止めたのもVirginiaの息を引き継ぐ女性諜報員グループだったと記録されている。
10 Amazing Female Spies Who Brought Down The Nazis
female american spies in history

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Julia, 1977 - Trailer : You Tube

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追記:2015年12月23日
Special Agents: The Women of SOE
偶然見つけたので追加します。
これを読むと、強制収容所に送られたり
処刑されたりした女スパイも数人はいたようですね。
おそらく自由のためにと命を懸けたのでしょうから
やっぱり気の毒ですね、そう思います。

このところスパイの話ばっかり書いてきて
ふと思い出したスパイ事件があります。
昔記事にした、世にも不思議な奇奇怪怪の
ありえないようなスパイ事件です。
興味津々でお読みください。
これも映画になっています。そしてあくまでも
事実にのっとった話なんです。
女スパイの話なんですが
女スパイではないんです???

Monsieur Butterfly dies...


Les Marguerits Fleriront ce Soir

2015-12-18 | Bruxellesの原稿

妙なタイトルをつけたが、これは暗号なのだ。
そしてthe CIA’s Intelligence Art Gallery
にかけられている絵のタイトルにもなっている。
(詳細後述)

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一番上の本の紹介からしておこう。

Wolves at the Door:
The True Story Of America's Greatest Female Spy

とタイトルに有るように、America's Greatest Female Spy
Virginia Hallが紹介されている。
「She helped capture 500 German soldiers and kill more than 150, while she sabotaged Nazi communications and transportation.」これが彼女の業績の一部なのだから、決して過度な賞賛ではない。
まず著者のMs. Pearsonの講演と質疑応答をC-SPANで見てみよう。

Judith Pearson talked about her book The Wolves at the Door:
The True Story of America’s Greatest Female Spy,
published by The Lyons Press.
こんなに若いのに、何故どのようにして、このようなスパイに関する
本が書けたのか、取材はどのようにして可能だったのか
と質疑応答では問われている。
行くところに行けば
そして取材源を確保する才覚があれば、つまり
本を書くためのノウハウに熟知していれば、
自由主義社会の戦勝国では、想像をはるかに超えて
情報は公開されていると言うことなのだ。

目で読んで確認することを好む方々のために
簡潔にして充分と思えるVirginia Hallに関する
リンクを貼っておく。
C-Spanの講演内容とほとんど変わらない。
Virginia Hall - Heroine of WWII
Virginia Hall (1906-1982), World War II Spy for the Allies
Spotlight on Women's History: Virginia Hall:
最初は英国のスパイ組織SOEで次には米国のOSSで
戦後は定年の60歳を迎えるまでCIAで活躍した。
日本ではOSSは、日本占領計画云々でしかとらえられていないが
OSSのメンバーは世界中がまるで自宅の庭のように見えたのか
世界中を仕事場とし、ドイツ人と日本人を抹消することに
人間としての「善なる使命」を痛感していたように思える。
Viorginiaは日本やアジアには無関係のようで、主に
フランスのレジスタンスと、D-Dayに多大な貢献をしている。
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Les Marguerites Fleuriront ce Soir
by Jeffrey W. Bass, Oil on Canvas, 2006
Donated by Richard J. Guggenhime
which hangs in the CIA’s Intelligence Art Gallery.


Forty years after she retired from CIA and almost 25 years after her death, the painting honoring Hall’s work was unveiled in 2006 at the French ambassador’s residence in Washington, DC. Ambassador Jean-David Levitte read a letter from French President Jacques Chirac. In it, he called Ms. Hall a “true hero of the French Resistance” and added, “On behalf of her comrades in the Resistance, French combatants, and all of France, I want to tell her family and friends that France will never forget this American friend who risked her life to serve our country.”
・・・
The painting portrays Hall in the early morning hours, radioing London from an old barn near Le Chambon sur Ligon to request supplies and personnel. Power for her radio was provided by a discarded bicycle rigged to turn an electric generator, the clever invention of one of her captains, Edmund Lebrat.


Spy Sorge&Donovan(展開2)&Stephenson (3)

2015-11-25 | Bruxellesの原稿

Julia Child ↑

ちょっと息抜きの展開をこのペイジには書くことにする。

この10数年、OSSの資料は物凄い勢いでどんどん出てきている。
戦勝国とすれば、敗戦国に牙のかけらも無い、抗議する口もない、となれば、功労者が名乗りをあげた場合、
あるいはひょんなことから、戦時中の功績が表面化した場合、スパイであろうとなかろうと、それを伏せておく必然性はまるで無い。

(マッカーシーの時代だけが例外中の例外)

いちいち全部を書かないがたとえば、この人。

Elizabeth McIntosh, secret agent - obituary
たいして有名ではない、エリザベス・マッキントッシュさんの死亡記事。こんなところで、生前の名誉として、OSSでの活動が明かされている。私が注目したのは以下の引用部分だ。
With the war over and the OSS disbanded, Elizabeth McIntosh received a special service award from William Donovan. After a brief stint writing for fashion magazines, she worked for the State Department and the United Nations before joining the CIA.
OSSCIAの中間の職つなぎで、the United Nations で働いていた、ということだ。言ってみれば、系列の渡り歩き、を連想させる。面接に行かなくても、書類が回されて、系列からお声がかかるというパターン。the United Nations の正体が丸わかりではないか!

・・・・・・・・・
このペイジでは特にこの人を紹介しておこう。
日本ではさほど有名ではないかもしれないが、アメリカでは歴史に残る料理家である。TV料理番組の元祖?のような存在か?
Julia Child wikipedia
OSS女性活動家としては、たくさんいたうちの一人に過ぎないが、一番有名かもしれない。

Julia Child: The OSS Years:
Julia Child, OSS Intelligence Officer
“A Covert Affair”: Julia Child, spy girl
A Covert Affair: Julia Child and Paul Child in the OSS
One to One: Jennet Conant, author, "Covert Affair"
Julia Childと言っても日本では全くインパクトは無いと思うが、アメリカでは、有名人ゆえにこの本のインパクトは大きかったのだと思う。どんな社会的立場のある人物でも、私はOSSでスパイ活動をしていて、極端に言えば、その成果として日本人を何人殺したか、はっきり覚えていません、と平気で言える社会になっているのだ。国際的には大日本帝国及び日本の兵隊のイメージは最悪で、なにより日本人自身が一切の反論をせず、ひたすら過去を反省し続けて、それ相応の償いを身を粉にして成し遂げます、外国の方々の幸せだけを最優先に考えますと繰り返し国家として謝罪発信を正式にし続けているのだから、当然の結末である。その上大多数の日本人はOSSの「日本計画」のみならず、存在そのもの、活動そのものを知らないのだから、知ろうともしないのだから、米国ではこの手の本はこれからも当たり前のように出版され当たり前のように売れていくのだろう。愛国心と言う名のもとに。

歴史認識の敗北の深さに、少しは気づくべき時が来ているのではないだろうか? 第三次世界大戦がもし起こるとして、(国連は世界正義だと今のように日本人が思い込んでいる限り)その勃発よりさらに数十年前に、日本国は消滅している可能性が高い。(悪は滅びたほうがいい、むしろ滅ぼすべきだと正義の側は考えるものだ)
ただ「先を思い煩うよりも今がHappyであれば、それが一番」「未来を悲観的にしか見ることが出来ないのは年寄りの悪い癖」などといつものように集団で同胞に取り囲まれて小突かれたら、私には反論する時間も体力も気力ももうない。

追記:2015年11月30日
ルーズベルトの周りにいたコミンテルンのスパイ達
イギリスのスパイたち、
してみると日本にも、ゾルゲ一味以外にも
たくさんのスパイが、中央に浸透してきていたのだろう。
日本ではゾルゲ事件でさえ、湾曲解釈があるだけだ。
そういえば、一件思い出した。
Tel Quel Japon 過去記事
スウェーデン女流作家ハンソン女史として東京に滞在
したコミンテルンのスパイ、アイノ・クーシネンの存在
こういうあぶり出しを他のBlogもあちこちで
やってくれたら芋づる式に驚くほどたくさんの
スパイたちが表面化してくることは間違いないのだが。
東京裁判史観命の保守論壇には
全く希望は持てないが
自慢話として左翼論壇が取り上げる可能性には
僅かな期待を抱けるかもしれない。


Spy Sorge&Donovan(展開)&Stephenson (2)

2015-11-24 | Bruxellesの原稿

展開とは有る意味脱線でもあるので、いささか危惧はあるのだが
放置するわけにも行かない、OSSに関する重要事項なのだから。
Ho Chi Minh & OSS

Ho Chi Minh & OSS(1)より以下引用
Toward the end of World War II, the U.S. Office
of Special Operations (the OSS), the precursor
to the CIA, started doing business with the
communist-dominated Viet Minh, led by the
ascetic and mysterious globe trotter Ho Chi
Minh. The aim was to use the Viet Minh to drive
the Japanese out of what had been French
Indochina.

Ho Chi Minh & OSS(2)

TEL QUEL JAPON 過去記事
The OSS と Ho Chi Minh の連帯
この中で一番簡潔にかけているリンクこちら
・・・・・

うろうろしている間に見つけた
興味深いスパイ、参照として出しておく。
Spymaster: Dai Li and the Chinese Secret Service

うろうろしている間に見つけた
Ed Marekという人がかいている個人Blog.
WW2 China & Vietnam:
どんな視点やどこまでの深さがあるのか
あとで、じっくり読ませていただこう
と思ってリンクすることにした。

うろうろしている間に見つけた
OSS in Italy.資料に埋もれてしまいそうだ。
ここにあるこのポスターだという実は絵葉書
日本製でないとしたら
OSS in Italy
製だという可能性が出てきた。
OSSを日本占領計画だけでとらえるのは
とんでもない視野狭窄だということになる。


うろうろしている間に見つけた
こんな本が出版されている



OSS Ho Cji Minh Unexpected Allies
In the war against Japan

by Dixee Bartholomew-Feis
・・・・・・・・・・・・・・・

You Tubeにはあっと驚くものがある!
当事者のInterviewだ
Interview  Archimedes Patti,
worked with the Vietnamese
during World War Two
「Vietnam War Should Never Have Happened」
The complete 1981 interview by Martin Smith
with Archimedes Patti


//////////追記2015年11月24日付録//////////
OSS Special Operations In China:


Book Discussion on OSS in China:
こちらのほうが有名

Tel Quel Japon OSS in China:

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Spy Sorge&Donovan&Stephenson (1)

2015-11-18 | Bruxellesの原稿

Spy Sorge English Part 1 of 2 Eng/Jan
Spy Sorge English Part 2 of 2 Eng/Jan

Agnes Smedley(far right) with her friends Mao Tsetung
(left) and general Chu Teh in Yenan guerilla base. 1937
上の映画では尾崎はAgnes Smedleyのハニー・トラップに
引っかかっているだけのようにも受け取れる。

///////追記:2015年11月15日///////

In this Jan. 3, 1950 file photo, Maj. Gen. William (Wild Bill) Donovan, center, the New York attorney who headed the U.S. Office of Strategic Service during World War II, is greeted by Maj. General C. L. Chennault, left, on his arrival in Hong Kong. (photo credit: AP Photo)
これは珍しい?OSSのDonovanと
FlyingTigersのChennaultとのツーショット(写真掲載ペイジ

◎Donovan
WW2: The O.S.S. (Office of Strategic Services) ←優れている。
◎Wild Bill Donovan: The Spymaster
Who Created the OSS
and Modern American Espionage←釣り餌
つまり真実から遠ざけるための資料だ。
(以前にまんまと引っかかったのでそれがわかる)

TEL QUEL JAPONより↓
OSS & William Donovan 未完
OSS & William Donovan (2) 未完
OSSに関してはCover範囲が広すぎて
未完にならざるを得ない。
日本では全容は未だ明らかにされていないし
また充分な研究対象にもなっていない。
日本はGHQに占領されたのではなく
実際はOSSに占領されたのではないか?
本性を消すために、直前に解散、
OSSはCIAの前身となったといわれているが
OSSとCIAに(人材の流用はあっても)血の繋がりはない。
日本の敗戦直前から
連合軍が徐々に国際連盟に名前を変えていく辺りを見れば
それがわかる筈だ。

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追記参照資料:OSS
Records of the Office of Strategic Services
追記参考資料:OSS
Western Support for Communism: CFR, OSS, Soviets and Asia
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西園寺公一に関するFilmを探していたのだが...

2015-11-14 | Bruxellesの原稿

5/6 大東亜戦争の黒幕(付録):

公開時にこの映画を見た時は、篠田監督に絶望したが、今回こうしてみると、非常に良く出来た映画だと思えてきた。このあたりのことを全く知らない人が、このあたりのことを、少しでも知る、ということを考えると、このfilmが大変価値のある貴重なfilmだと思えてきた。少し思い出してきたが、この映画がおかしいのは、最後の方だけだったようにも思う。従ってこの辺で切るのが最良かもしれない。
何故このFilmを見つけたかというと、西園寺公一に関するFilmを探していたのだ。以前Tel Quel Japonにリンクした西園寺公一に関する生Filmやゾルゲに関するfilmが全部、ものの見事に消されていた。これではゾルゲ事件が風化してしまう。ただでさえ日本国が表面化しないように、発覚当時から、伏せ続けていた事件なのだ。
感想や解釈は人それぞれの知識や判断に委ねるとして、映画化して公開するという意義は充分に認められる、と今気づいた。登場人物の名を記憶するだけでも価値がある。
時代に関与したall starsの名前がしっかりと出てくる。
教科書ではわからない人たちの役割。


お勧め参照記事1:放置した二つの謎 その後
お勧め参照記事2:日米諒解案 (3) 未完
Tel Quel Japonの記事よりさらに追加
Sorge & Ozaki
映画「ゾルゲ氏よ、あなたは誰?」 岸恵子
Charles Andrew Willoughby (1)

西園寺公一 あくまでもひとつの参照として:
Imagine & Think!:
櫻井ジャーナルその英語版

ロックフェラー~IPR~Sorge~(西園寺公一?)尾崎秀美
日本の南進について:唯一の勝つチャンスをSorgeに潰された話
あまり知られていない、結果としてのパール・ハバーとSorgeの関係

今、西木正明氏のdocumentary novel
「夢顔さんによろしく」を読んでいる最中。
小説の主人公は近衛文隆、夢顔さんはゾルゲ、
ここにも西園寺公一、松本重治、そして当然尾崎秀美
などなど、興味深い日本人が次々と絡んでくる。
小説とはいえ、人物が資料に添って動いているのが良くわかる。

主人公近衛文隆はかっこよくかけている。
その文隆の希望の星がゾルゲである。
人生とは、不本意な勘違いと誤解の連続であるとつくづく思う。

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西園寺公一:Wikipedia & 革新派「貴族」

戦争の苦痛を嘗め尽くした中国人の皆さんや、日本軍によって耐え難い苦痛を受けた元捕虜の皆さんが、それほど寛容であるためには、どれほどの心の葛藤があり、いかほどの努力が必要であったか。  

そのことに、私たちは、思いを致さなければなりません。

なるほど、西園寺公一氏にふさわしい見解ですね。
えぇ!違う?他の人が世界に発信した公式声明ですって?
誰?それ?
英語ではどうなってるの?
How much emotional struggle must have existed and what great efforts must have been necessary for the Chinese people who underwent all the sufferings of the war and for the former POWs who experienced unbearable sufferings caused by the Japanese military in order for them to be so tolerant nevertheless?
That is what we must turn our thoughts to reflect upon.

::::::::::::::
以上は最終入稿9月6日の
古い記事ですが、都合により
本日11月14日、上にあげて日付の更新を行います。


Wedding of Chiang Kai-shek and Soong Mei-ling

2015-07-12 | Bruxellesの原稿

Wedding of Chiang Kai-shek and Soong Mei-ling-1:
Wedding of Chiang Kai-shek and Soong Mei-ling-2:
Wendell Willkie: Madame Chiang Kai-shek と共に夢見た
One Worldだと解釈すると(The sorceress参照のこと)
この詩集「2N世代」の記事は俄然強い蛍の光を放ってくる。
これに日本人の視点を入れて、ハリウッド映画に売り込もうと思うくらいだ。
アメリカが毛沢東に肩入れしたのは、実際のところは
さんざん利用された宋美齢・蒋介石に対する復讐からかもしれない。

The sorceress:
After a while, Chiang strode in with three bodyguards. He asked where Willkie was. Cowles said he did not know. The Generalissimo stormed through the house, peering under beds and opening cupboards. Not finding anybody, he left.

Willkie eventually arrived at 4am. According to a private memoir by Cowles which I unearthed in an American archive, he looked "very buoyant... cocky as a young college student after a successful night with a girl". After giving "a play by play" account of what had happened between him and Meiling, he said he had invited her to return to Washington with him.

Madame Chiang Kai-shek,
a Power in Husband's China and Abroad, Dies at 105:

話題は逸れるが、日本人の孫文評価は
そろそろ再検討したほうがいいだろう。

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追記:2015年6月7日(日)
日中米関係、つねに日本だけが蚊帳の外 
当然今も。日本には見えない米中関係を考察せよ。
イデオロギーで国家が敵対すると考えるのは
日本人特有の弱点かもしれない。

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追記:2015年7月12日
The Causes of the Victory
of the Chinese Communist Party
over Chiang Kai-Shek

Peng Shuzi 氏のこの視点は
今まで日本の書物にはなかった気がする。
先輩のF氏から以下のあたりの見解は聞いた記憶がある。
勿論日本に関連してのことだ。

The weapons taken from the Japanese captives by the Soviet Union served to build up the CCP’s army and produced a decisive effect upon Mao Tse-tung’s military apparatus and strategy. (For example, Lin Piao’s well-known and powerful Fourth Division was armed entirely with these weapons.)
そして筆者は仮定法過去完了を使って
もし満州がソ連ではなく蒋介石の手に落ちていれば
という仮定を通して
事実としてはソ連が満州に攻め込んだことが
蒋介石の敗走とMaoの新中国の誕生に
どれだけ大きな要素となったかを述べている。
For example, if Manchuria had not been occupied by the Soviet Union but had fallen entirely under Chiang’s control, Chiang Kai-shek would have utilized the economic resources and the Japanese arms in Manchuria to cut off direct connection between the CCP and the Soviet Union. This would have blocked the USSR’s armed support to the CCP. Similarly, the situation would have been quite different if direct intervention against the CCP by American imperialism had been possible. Under either of these two circumstances the victory of Mao Tse-tung would have been very doubtful.

後はあまり日本人が気づかない中国内部の様子や
ソ連の大きな介入を書いている。
アメリカよりからみていると
「育てて支援し続けたCHINAを
アメリカの政策の失敗により
MAOに大陸を取られた」という視点で
固まってしまうが、
それはソ連の存在とソ連の意図・視点を
忘却しているのだと言うことがわかる。とすると
日ソ中立条約を破ってのソ連の日本侵略の主目的は
一義的には大陸の共産化だったということになる。
時間及び体力不足で実際は本文の5分の1くらいしか
読んでいないが、以上が私の無責任な要約である。
・・・・・・・・・・


話は少し逸れるが国民がそこに暮らす以上
国民を守る軍隊に、武器を捨てさせて遁走させるような
国家であってはならない。棄民である。
ドイツの敗戦は国家崩壊であるが
日本の敗戦は、終戦交渉の結果である。
開戦に至る過程も終戦に至る過程も
日本においてはほとんど研究がなされていない。
あるのはすべて捏造だけだ。洗脳だけだ。


呟き そのメモ

2015-05-26 | Bruxellesの原稿

昨日こういうものを見つけた。
A View from Tokyo on Regional Political-Military Developments
当然全部読んだが、ここは要点だけを引用しておこう。

ーAbe delivered a speech at the US Congress on April 29 and the following is what he said and it is crystal clear: “Post war, we started out on our path bearing in mind feelings of deep remorse over the war. Our actions brought suffering to the peoples in Asian countries. We must not avert our eyes from that. I will uphold the views expressed by the previous prime ministers in this regard.” The day before the speech, Abe stated to President Obama as well as to the world, including his fellow conservatives in Japan, that the Abe Administration would not revise the Kono apology on comfort women.
 The fact that Shinzo Abe himself said that is significant. Now that Abe said before the U.S. Congress that he will uphold the previous prime ministers’ statements that Japanese conservative or right wing politicians may no longer be able to effectively challenge the Murayama statement. This could, hopefully and finally, contribute to the making of a minimum national consensus on history issues which is indispensable for Japan (especially for the parliamentarians in the Japanese Diet), in moving forward to start pursuing a real international reconciliation with our Asian neighbors.ー

これが安倍政権の一貫した「積極的平和主義の正体」
もう左翼だけでなく右翼も保守も国を挙げて、ババを掴んだ手で、日本国民の口の中にババをこじ入れ、今あらゆる手段をつかって無理やりにそのババを胃の中に飲み込ませようとしている。
Abe's  speech at the US Congress on April 29に関して、やれ発音が悪い英語が下手だ、などどーーーでもいい、(左翼のスパイ紛いの保守による)的逸らし発言はあったが、
核心を突いた批判的発言は保守の誰からも一切無かった。

国家の名誉を守るために言論で戦ってきた保守とは、一体なんだったんだろう。
左翼そこのけ、とばかりに、自国及び祖先を陥れるために、保守の近似値100%が狂騒状態だ。ここまで来ると左翼もスパイも完全に顔負け、出る幕もないだろう。筆者の宮家氏は安倍総理夫人の教育係だそうだ。スパイではない。保守論壇の中央にいる気鋭の求められる論客である。

安倍総理は以前にもそういうことがあった。
参照1:慰安婦問題謝罪は安倍政権に致命傷
参照2:Abe expressed apology .concerning comfort women
参照3:You Tube:

関連記事:コメント18番目 こちらに若干の内容あり

さ・よ・な・ら 荒野の咆哮は、そろそろ止めにします。

Valley of the Dolls (1967)

2015-05-22 | Bruxellesの原稿

Valley of the Dolls (1967):
梅雨が近づいてきた。身動きできないその時期には、この映画を見よう。
とりあえず、Blogに保存。
今は時間が無くて、読みたい本も読めない、見たい映画も見れない、
ことのほうが多い。
不健全な梅雨を生きて乗り越えるために、少しづついまから、
保存していこう。身体を守る武器倉庫としてのBlog ペイジ。
楽しさや、喜びや、感動が身を守る武器になってくれますように。


別室の上映会(26) 異邦人 カミュ(2)

2015-05-20 | Bruxellesの原稿

まだまとめて書く準備は整っていないのだが、メモをひとつ残しておく。
私は小説でも、評論でも、参考書でも、雑誌は特に、読んだあとは処分することにしている。本に埋もれるのでなく、スッキリと暮らしたいからである。
なのに、どういうわけか、今日「生きたフランス語会話」というとても古い本を見つけた。1961年2月 雪の日に、長塚隆二、と「はしがき」にあるから、50年以上前の本だ。
その4頁で「街娼婦的英語と大差のないすさまじいフランス語や、アルジェリアの土人的フランス語で甘んじているのは、とんでもない心得違いである」という文章に出会って、仰天した。アルジェリアの土人という言葉が、フランス語の先生の口から、すんなり出てくるような時代だったのだろう。

「異邦人」という物語で、私が一番違和感を感じるのは、作者が被害者の立場を完全に物語から除外していることだ。ムルソーには被害者を悼む気持ちが完全に欠如していて、カミュには被害者に名前を与える神経すらない。行方不明になったサラマノの犬に筆を与える程にも、無残に殺害された被害者に筆を与えていない。
勿論人間生命の尊重もくそも無い。

小説発表は1942年、ノーベル文学賞受賞は1956年、カミュ43歳、戦後最年少受賞で、史上最年少受賞はキプリングだそうだ。時代背景、ノーベル文学賞の性質などが、もくもくと立ち上がってくる気がする。
かつて日本は時代の最先端を、言ってみれば創設期の国連的理念をリードする国だった、その視点を忘れずに思い出し、(順番待ちの本が10冊ほどあるので)今すぐ取りかかるというわけにはいかないが)ゆっくりと原書精読(解釈の助けにもなるので、目の調子の悪い日にはlivre audioを利用する)を開始するつもりだ。
時代を遡っておよそ100年前のその時代の日本人の視点を持って読むつもりだ。
Je suis Charlie」のまやかしの井戸の水も全部汲み出せるかもしれない。