私の父は農家の次男で農地をわけてもらえませんでした。非常に貧乏で、ものを買えないのでいろいろなものを自分で作っていました。
たいした道具ではなかったが、大工道具を持っていて、家具をつくったり、家の修理などをやっていました。
そんな父を見て育ったので私はよく遊び道具を自分で木工で作って遊んでいました。あるとき、4輪の台車をつくって紐をつけ近所の子供達と台車に乗ったり、ひっぱったりして遊びましたが、父は、別に禁止はしなかったが、「いざり車」と言って嫌がっていました。足が立たない人に偏見を持っていたのでしょう。
家庭を持ってから棚、子供の椅子などは木工で自分でつくりました。それが普通になっていました。木工は生活手段です。
木工が趣味ではないので、必要なものはつくりましたが、木工の腕を上げて、芸術的な作品をつくるようなことはしませんでした。したがって父と同じで、道具はたいしたものは持っていません。
そんな木工ですが、町でも(人にも)役にたつことがあるようで、ときどき頼まれてものをつくっています。幼稚園の父兄(母親達)からウサギ小屋をつくってくれと頼まれ、設計と部材の用意を行ない、組立は私の庭で父兄にやってもらったことがあります。楽しかった思い出です。
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