波士敦謾録

岩倉使節団ヨリ百三十余年ヲ経テ

日本の戦時議会(1937~1945)について

2005-05-18 12:34:06 | 近現代史
 戦前日本の憲政史,特に支那事変(1937年)から大東亜戦争終結(1945年)までの8年に亘る戦時議会については,占領軍史観=「閉ざされた言語空間」(江藤淳)の呪縛のため,従来,戦前の政党内閣終焉後の期間で括り「翼賛政治」の見出し語で済ませる見方が支配的だった.しかし,最近になって,当時の国会の内外動向を丁寧に辿り,全く違った評価を下した研究も発表されるようになった.そのような一例が古川隆久氏による以下の著作である.
 
 古川隆久『戦時議会』 吉川弘文館 2001年.

 日本が戦時にもかかわらず,憲政の原則を何とか守って衆議院選挙を継続し,1942年の翼賛選挙では非推薦の候補を約2割弱敢えて選出した等の憲政の実践を振り返れば,1940年代前半の世界における憲政の水準を考慮すると,それなりの評価が与えられて当然ではないか(因みに,同書については,太田述正氏のコラム[#47 先の大戦中の日本の民主主義(2002.7.13)http://www.ohtan.net/column/200207/20020713.html]を通して知った).2003年3月以降現在まで「戦時」である米国連邦議会の動向を見れば分かるように,戦時の議会は少なくとも軍事政策については原則的に挙国一致の方向で進むわけで,このような「戦時」認識の前提が抜けたまま,対外向けに「支那事変」と称しながらも実質的な戦時に突入した1937年以降の日本の憲政を,時空を超越したかのような価値基準から「全体主義」の見出し語で切り捨てるのは余りにも鸚鵡返し的批判としか言いようがない.

 ここにも,「占領政策を正当化するための戦前否定」という,捕虜収容所的洗脳の一大実験が施された戦後日本の無惨な姿を見出さざるを得ない.ソ連や中共の捕虜・戦犯収容所での再教育とは比較にならない規模(日本本土全体)での壮大な心理作戦であったため,60年経ても被験者の多くにその自覚が無く子孫にまで伝承されるという驚異の持続性を発揮することになった,日本人自身による自縄自縛的自己洗脳過程を誘発・維持・伝承させる巧妙なサイクルを編出して刷り込みに成功した占領初期の米軍担当者には改めて脱帽である.但し,占領軍の尻馬に乗って敗戦国革命の機会を窺っていたものの,冷戦勃発で夢破れた国際共産主義崩れの左翼人が,その超国境主義的性向から(国連中心主義から「地球市民」主義まで),初期占領政策遺産の忠義な守護衛士に変態するまでを計算していたとは思えないが.
 ある米州政府の網站には以下の箴言(しんげん)が掲載されている.

"If you can cut the people off from their history, then they can be easily persuaded."  カール・マルクス
(http://www.maine.gov/sos/path/student/quotes.html)

昭和20年8月15日,日本人の武力による戦いは終わったが,それ以外の手段による戦いは,この世に日本国が存在する限り,永遠に続く不断のものではなかったのか.

註:遠藤浩一氏の網誌へのコメントを基に加筆.


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