波士敦謾録

岩倉使節団ヨリ百三十余年ヲ経テ

総ての知的営みが政治闘争の下僕でしかない国との付合い方 故ジョージ・ケナンの支那人観察

2005-05-29 13:40:00 | メディア
 「新しい歴史教科書をつくる会」(以下「つくる会」と省略)が最近外国記者クラブで記者会見を行った.会見そのものは無事終了したようだが,今後の課題は,参加記者所属の媒体が実際にどの様な内容の記事を公開するか,である.参加した記者が同会に対して敵意を抱いている場合は論外として,記者が当日の状況を満遍なくまとめた原稿を会社のデスク辺りで,書き直されてしまうこともあるかも知れない.本網誌のめざまし図書篇で触れてある佐々木隆氏の『メディアと権力』を読むと,明治以降,英ロイターのアジア市場独占という状況の下で,日本が世界に向けての情報発信で如何に苦労したかが分かる.このような歴史的経緯を思い起こせば,当時と違い,世界第二の経済国でありながら,何故独自の全世界ニュース発信網を構築しないのか(中共ですら新華社を持っている),疑問でならない.

 また,日本人の弱点の一つとして,道徳的に正しい振る舞いをしていれば,自分の行いを言葉で彼是説明・正当化しなくても,自分の考える通りに他者が理解してくれる,と思いがちなことだ.そのような暗黙の了解は,自分と同じ価値観を共有している相手・集団内にのみ通用するのであって,それ以外では通用しないと覚悟すべきである.自分の過去の行為について,無口を貫徹して彼是言わないというのは,一つの美意識かも知れないが,其れを美意識とは取らず,事実の隠蔽と解釈する価値観もこの広い世界には存在するのだ.即ち,問題解決のためには,ダンマリを決め込むのではなく,むしろ情報を発信することによって事態を収拾する方がより良い選択肢の場合もありうるのだ.

 このトピックについて,前段落まで下書した後,筆を休めていたところ,今日(5月29日)非常に示唆に富む記事に遭遇した.米保守派の言論人で元米大統領候補でもあるパット・ブキャナン氏が主宰している週刊誌American Conservativeの6月6日号に,先日逝去した米元外交官ジョージ・F・ケナンの顕彰記事が掲載されていて,この中に,ケナンの対支観が引用されている.この引用の原典については,残念ながら,言及されていないが,彼の慧眼ぶりが遺憾なく凝縮されたものになっている:

Of the Chinese themselves, Kennan wrote that they were “probably the most intelligent, man for man, of the world’s peoples.” But “admirable as were many of their qualities--their industriousness, their business honesty, their practical astuteness … they seemed to me to be lacking in two attributes of the Western-Christian mentality: the capacity for pity and the sense of sin. I was quite prepared to concede that both of these qualities represented weaknesses rather than sources of strength in the Western character. The Chinese, presumably, were all the more formidable for the lack of them.”

出典:
The Good Strategist: by Scott McConnell
(http://www.amconmag.com/2005_06_06/article.html)

ケナンは,キリスト教を基礎にした西欧の精神構造とは違い,同情心(the capacity for pity)と罪悪感(the sense of sin)の双方の欠如を支那人の二大特徴と把握していたが,明治維新以降,支那にあれこれ浪花節的にかかわって来た日本人(例えば,所謂「大陸浪人」)にとっては耳が痛い指摘に違いない.日本人によく見られる,「歴史を共有するアジアの隣人」というような村社会的発想から無縁の西洋人ならではの醒めた観察と言えよう.一方,現在の対支土下座外交を唱導している日本人もケナンの指摘を真摯に受け止めるべきではないか.即ち,過去の日本の大陸政策を恰もキリスト教における原罪のように見做して,贖罪的支那詣で・巡礼を繰り返して自らの厚意・親善の懐の深さを下手に披瀝することが支那との関係改善に繋がるというような自己陶酔或は片想いから早く解脱すべきだ.政治目標貫徹のためには,利用できるものは何でも利用する,例えば,相手の行動規範の癖(倫理的に何が望ましく,望ましくないか等)を逆手にとって心理作戦を仕掛けたり,学問等の知的営み(例えば,歴史学,報道)も現政治体制維持・発展の下僕としてのみ存在価値がある,というような価値観を持った相手に対して,貴方達は余りにも無邪気ではないか.

© 2005 Ichinoi Yoshinori. All rights reserved. [Last Update:5/29/2005/ EST]