波士敦謾録

岩倉使節団ヨリ百三十余年ヲ経テ

太田述正氏の時事コラムとの遭遇

2005-05-09 15:08:34 | 近現代史
 米政権がイラクのサダム・フセイン政権との武力衝突を密かに策定していた2002年の夏の終わりか秋の初め頃だっただろうか,英紙Gurdianの中東担当記者Brian Whitaker氏が書いた,その後「ネオコン」と略称されることになる米国の一団に関する記事に遭遇した.どのような過程で彼の記事に行き着いたのかすっかり忘却してしまったが,当該記事の日本での関心度を見るため,今日日の習いであるGoogle検索を和文のみに限定してかけてみた.記事見出し翻訳等の付加価値が追加されていないものは別として,国際関係の識者による記事と窺われるものが2件あった.即ち,「フリーの国際情勢解説者」と自ら呼んでいる田中宇(たなか・さかい)氏と元防衛庁官僚の太田述正氏の記事であった.そして,両氏が以前より海外の網站から発信されている情報を基に国際情勢の分析を各々の網站で開陳されていたことを知った.海外特派員経由でなくても,所謂先進国と呼ばれる国の時事情報が網路経由でそれなりに入手可能な時代になっていたが,そのような機会を十分に活用でき且つ自らも情報発信が出来る双方向系の識者が未だ日本には不足していることが痛感された.田中宇氏の網站に掲載の記事を過去に遡って読んでみると,比較的直ぐに彼の分析の程度が把握できた.一方,太田氏の網站は,民主党の参議院選挙候補から在野のコラムニストへの転進の名残を留めるような趣だったが,彼の主張に含まれている「個人の自立」の中の一項が目に留まった.

 通常,元防衛庁官僚で,従来の日本の安全保障政策に非左巻き系で批判な論陣を張る人物とくれば,産経系で顕著な女性問題に関する特別な視座と抱き合わせというのが有りがちな傾向(便宜的に「復古派」と呼んでおく)と言える.例えば,同じ元防衛庁官僚の宝珠山昇氏(http://www.rosenet.ne.jp/~nbrhoshu/)が当該類型に合致する.しかし,太田氏の主張の一つは以下の様になっているのだ:

女性の政策決定への参画、起業援助など、アファーマティブ・アクション(積極的差別是正措置)を。[http://www.ohtan.net/opinion/index.html]

 既婚男子の女性観というものは,大抵の場合,配偶者としてどの様な女性を選択しているかで判断出来る.彼のコラム中に配偶者について僅かに言及している部分を手掛かりに或る程度の推測は可能で,それから判断すると,上記の主張も首尾一貫しているように思われた
(少々脱線してしまうが,『正論』や『Voice』等で日米関係の鋭い読みを披瀝してこられた片岡鉄哉氏は,復古派の論客である西尾幹二氏等の「路の会」の会員だが,西尾氏らと違い,いわゆる「ジェンダーフリー」云々の論議を展開した記事・論文を今まで読んだことがない.片岡氏の経歴を見ると,日米の大学等を短期間で行き来する学者の典型であり,昔Googleした際,奥様が日本人ではないことを示唆する情報があった.このような状況を考慮すれば,女性問題で復古派と一線を画しているのも理の当然かもしれない[片岡鉄哉氏については,本網誌『めざまし艸 圖書篇』を参照]).

 太田氏の上記の主張項目は,復古派の視座からすれば,物足らないというか,外交・防衛で所謂鷹派的立場を取っていることは評価するが,内政で所謂「左翼」的,という首尾一貫性に欠けた印象を受けるに違いない.しかし,見方を変えれば,復古派と太田氏との間の断層は,占領軍の遺した聖殿の守護騎士の役を其の反米的主張と裏腹に演じてしまっている左巻き系の空想国際協調主義・国連本位主義が現社民党の党勢程度に見捨てられた後に出現すると予想される2大政党制下での対立軸の一つ,と理解することも可能である.極東3カ国から十把一絡げ的に「右翼・保守派」と呼ばれている扶桑社の歴史教科書賛同者の中にも,この様な将来の対立軸を既に感知している者がいることが,岡崎久彦氏の『-とその時代』シリーズを丁寧に読んでいると感じられる.扶桑者の歴史教科書賛同者は安全保障・外交の軸において占領の呪縛から解脱することが,今の日本にとっての最重要課題という共通認識で一致しているが,内政その他の断面を詳細に観察すると幅広い立場の違いが存在し,左巻き的常套句,「右翼・保守派」と呼称するのは的外れである.敢えて呼称を考えるならば,「国権認識回復派」あたりだろうか.
 
 別個に論じることになると思うが,復古派が御経的に事ある毎に唱えている「ジェンダー・フリーの危険性」云々批判は,実のところ,同派の潜在的本音(男女同権反対)を隠蔽するための隠れ蓑,又は煙幕でしかない.占領軍は巧妙な罠(全てが計算尽くのものではなかったと思うが)を日本に残した上で主権を日本側に移譲した.女性問題もこの様な置き土産の一つであり,昭和20年以前的価値観から当該問題に反射的に反応すると,日本を脆弱・自立心欠如のままで維持することを本旨とした占領軍内反日派の思う壺にまんまと嵌まることになる.反射的に反応しないで,この文化的問題に新境地を展開することで過去の日本との連綿を維持することが,仕掛けられた罠から抜け出す最善の選択と言えよう.
 
 
© 2005 Ichinoi Yoshinori. All rights reserved. [Last Update:5/16/2005/ EST]