昭和に入ってからは料亭、カフェ、映画館などが誕生し活気付きました。
戦後まもなくキャバレーやダンスホールなども誕生し、駐留アメリカ兵も多く出歩いたのだそうです。
1960年代後半には札幌オリンピックが開催。1970年前後はすすきのの中央を貫く
札幌駅前通が拡幅され、地下鉄南北線や地下街ポールタウンが整備されます。
1970年代後半からはディスコブームに乗って多くのディスコが誕生します。
さらに1980年代にはビジネスホテルが次々と建設され、1986年には天然温泉が発見されました。
すすきのの基礎をつくった岩村は、大正4年、76歳で亡くなりました。かれは今日のすすきのを想像できていたのでしょうか。
ススキノという命名は、もともと地名からとったものだという説や、薄が一面に生えていたという説もあり一定していません。
しかし、岩村通俊、薄井龍之。2人の名はすすきのがある限り、決して消えて行くことはないでしょうね。
いつぞやすすきのの迷惑駐車の取り締まりが厳しくなり、違法駐車が激減したと同時に犯罪も減ったそうです。
ブロークンウィンドウズ理論というそうで、小さな乱れなどが大きな犯罪につながるから、小さなこと(例えばゴミの片付けや、違法駐車の取り締まり等)からはじめるというものらしいですね。
いままた、すすきのではカラス族対策の条例ができそうです。
カラス族とは、道行く若い女性に風俗店などで働くこと等をすすめる人々のことだそうです。
そのように日々様子も変わりつつあるすすきのですが、楽しい街であることにかわりありません。
経済のおちこみとともに、不景気のあおりをモロに受けているすすきの。
==つづく==
=すすきのゼロ番地=
大正11年(1922年)に札幌第二公設廉売市場がこの地に設置されたのが最初 昭和20年代に引揚者用住居付店舗として三棟が建設(290坪)される。
昭和33年(1958年)環境が劣悪化であったことから日本住宅公団東京支所に依って建て替えられ、建物は現在50年を迎える事で、すすきの発祥の地と言われている。
建設当初地下1階部分は現在のような飲食店街ではなく、雑貨店や歯科 医院などがあった。
その後、昭和36年に土地は札幌市から(株)札幌振興公社に売却された。
◎昭和40年代に入り、大きな転機を迎えることになった。
地下1階の店舗が営業不振のため(株)北海道振興に一括賃貸することになり、飲食店街「すすきのゼロ番地」として誕生する。
◎昭和46年8月地下1階部分を(株)札幌振興公社から買い受けた。
これを契機に【札幌市薄野零番地飲食業協同組合】を結成する。
現在 スナック、居酒屋、そば屋、酒房等31店舗が営業中