日本福音ルーテル二日市教会 筑紫野市湯町2-12-5 電話092-922-2491 主日礼拝 毎日曜日10時半から

ルーテル教会は、16世紀の宗教改革者マルチン・ルターの流れを汲むプロテスタントのキリスト教会です。

4月28日

2024-05-02 14:56:31 | 日記
使徒言行録8:26~40、ヨハネの手紙14:7~21、●ルカ1:46~55
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二日市教会主日礼拝説教 2024年4月28日(日)

「イエスに従った女性たち―その1」
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私たちの父なる神と主イエス・キリストから、恵みと平安が皆さま一人ひとりの上にありますように。アーメン。
Ж
前回までは、イエスの死と復活というテーマで、特にその出来事にずっと関わり続けた女性たちのことを考えてきました。ということは、イエスの復活はその後のキリスト教の出発点になりますから、彼女たちの役割はいかに大きかったかが見えてまいります。というのも、その時男性の弟子たちは逃げ出しており、復活のイエスに会ったのは女性たちだけだったと聖書に書かれているからで、その意味でも彼女たちの信仰とエネルギーを改めて思い直すことが出来ると思うのです。

ところで、彼女たちの信仰とエネルギーは、もとをただせば、イエスとの出会いから生まれたものですから、一人ひとりには、具体的にどのような出会いがあったのかを見ることも意義深いと思われます。次回からそれを始めますが、今回考えたいことは、そのような女性たちがいかなる時代に生きていたかということです。人は誰でもその時代を背景に生きてゆきますが、その時代に女性たちがどんな価値観に支配されていたのか、そのこととイエスとの出会いがどのように関係していったか、そういうことを簡単に見ておきたいと思います。

ところで、彼女たちよりも150年ほど前に、ベン・シラという学者がエルサレムにいました。この人が書いた『ベン・シラの知恵』という本は、今でいうならベストセラーで、堅苦しい内容ではまったくなく、「きみたちはどう生きるか」的な人生論、処世訓で人気を博していました。なお、この著者ベン・シラは男性で、その本の読者も男性だったことは一つのポイントになります。さて、この本の主題は多岐にわたり、家庭内のことや社会での人間関係、子どもの教育、商取引や貸し借りに関すること、テーブルマナーや葬儀でわきまえるべきこと、医術やクスリの知識といった生活全般に及び、極めて現実主義的で妙に宗教がかったことは書かれていません。

さて、書かれたそれらの中に、女性に関することもありました。当然、読者が男性ですからその観点で書かれていました。最初はこんなことが書かれています。「優しい妻は夫を喜ばせ、しとやかな妻は優しさにあふれ、彼女の慎み深さは計り知れないほど尊い」。しかしながら、と著書は言います。女性は常に良き妻であるとは限らない。気に入らない妻には心を許すな。念のために妻に渡す物品はあなたがきちんと管理せよ。信用できないならそれに鍵をかけておけ。
そして、男尊女卑的考えもあからさまに出てきます。「お前が生きている限り、妻が自分の上に権力をふるうのは許すな。妻が夫を養えば夫は面目を失う。悪い妻は夫の気持ちを卑屈にし、心を傷つける。夫を不幸にする妻を持つと、手が萎え、ひざが弱る。
まさに言いたい放題で、こんなことも書いています。「罪は女から始まった。女のせいで我々は皆死ぬことになった。水漏れは放っておくな。妻がお前の指図に従わないなら、縁を切れ。身勝手な妻は、あたかも犬のようで、声高でおしゃべりな女は、戦場の進軍ラッパだ。このような女を妻にする男はだれでも、戦乱の世で生涯を終えるようなもの。
これが世の中で尊敬されていた知識人ベン・シラが書いた人生論でした。女性に対する彼の評価は、その時代の考えがよく示され、女性に対する非常に低い評価は、イエスが生きた時代にも引き継がれていたのでした。

さて、そのことを思いながら、「マリアの讃歌」を読むと、異なる価値観が現れます。今読んだ、ルカ福音書1章46節から55節のことですが、ここは普段はクリスマスの時期に読まれる聖書箇所ですが、ベン・シラとあまりにも対照的なのであえて取り上げました。このマリアの賛歌を、昔の讃美歌の歌詞でリフレインしてみます。
♫「わが心はあまつ神をとうとみ、わがたましい すくいぬしを、ほめまつりて よろこぶ。  数に足らぬ はしためをも 見すてず、よろず代まで さきわいつつ、めぐみたもううれしさ」。ここまでが前半です。 「御名は清く、大御業はかしこし、代々にたえぬ みいつくしみ、あおぐものぞ うくべき。 低きものを高めたもう みめぐみ、おごるものを とりひしぎて、散らしたもう みちから」。
明治時代、日本で働いていたアメリカ人女性宣教師マクネアさんが作曲したこの歌は長く歌われてきました。

ところで、ルカ福音書のこの「マリアの讃歌」について、やはりアメリカの女性の聖書学者がこんなことを書いています。なお、マリアの賛歌はマグニフィカ―トと呼ばれたりもします。「マグニフィカ―トは新約聖書中の偉大な解放の歌、個人的、社会的、道徳的、経済的な解放の歌である。とりわけ、このあと始まるイエスによる貧しい者への福音の宣教の予告編ともなっている。マリアは現代で言えばまだ少女の年であるが、その少女がマグニフィカ―トを口にするのは、身分が低く、卑しく、取るに足りないからなのではなく、神がその彼女に目を留めたたからであった。マリアは貧しい者への預言者として説教している。彼女は、苦難を味わい汚名を晴らした一人の女性として、彼女らの希望を表しているのである。

ところで、イエスと女性たちのことを考える際に、今のように母マリアのことを引き合いに出すのは、「この母にしてこの子あり」を考えたいからです。「主は、思い上がる者を打ち散らし、権力ある者をその座から引き降ろし、身分の低い者を高く上げてくださる。」これが母から子へと引き継がれたのであれば、イエスにはその考えが体にしみこんでいたと思われるからです。

ところで、話は変わりますが、地中海のヤッファという港町にタビタという女性がいました。彼女はこの町の教会の古い信徒でしたが、病気になって死にました。その時の様子が使徒言行録の9章に書かれていますが、彼女は町にいる未亡人たちのために服を作る奉仕活動をしていました。彼女のことは1節でこう書かれています。「ヤッファにタビタと呼ばれる婦人の弟子がいた」。つまりタビタは女性の弟子だったのでした。しかし彼女はイエスに直接従っていた女性ではありません。
いずれにしても、マタイからヨハネまでの福音書の全部に目を通せばわかりますが、女性は弟子と呼ばれたことが一度もなかったのに、これは驚きです。確かにイエスに従った女性は大勢いました。彼女たちは、十字架からお墓の最後までずっとイエスに従う姿勢をくずしていないのですが、どういうわけか弟子と呼ばれたことは一度もありませんでした。
それだけに、今の使徒言行録のタビタ(ドルカス)が弟子と呼ばれたことは、驚きといえば驚きなのです。それはともかくベン・シラの女性観がなおも一般的だった時代に生きた女性たちとイエスの出会いをこれから見てゆきたいと思う次第です。
(日本福音ルーテル二日市教会牧師:白髭義)


次週5月5日 復活節第6主日
説教題:イエスに従う女性たち その2
説教者:白髭義 牧師
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