日本福音ルーテル二日市教会 筑紫野市湯町2-12-5 電話092-922-2491 主日礼拝 毎日曜日10時半から

ルーテル教会は、16世紀の宗教改革者マルチン・ルターの流れを汲むプロテスタントのキリスト教会です。

5月12日

2024-05-16 12:05:09 | 日記
使徒言行録1:15~17、21~26、ヨハネの手紙一5:9~13、マルコ7:24~30
☧☧☧☧☧☧☧☧☧☧☧☧☧☧☧☧☧☧☧☧☧☧☧☧☧☧☧☧☧☧☧☧☧☧☧☧☧☧☧☧
二日市教会主日礼拝説教 2024年5月12日(日)

「イエスと女性たち―その3」
☧☧☧☧☧☧☧☧☧☧☧☧☧☧☧☧☧☧☧☧☧☧☧☧☧☧☧☧☧☧☧☧☧☧☧☧☧☧☧☧
私たちの父なる神と主イエス・キリストから、恵みと平安が皆さまお一人ひとりの上にありますように。アーメン。
Ж
先週まで、説教の題を「イエスに従った女性たち」としていましたが、今回から「イエスと女性たち」に改めさせていただきます。「従った」つまり弟子になった女性ばかりではないからです。
さて本日取り上げる「シリア・フェニキアの女」も、イエスに従った女性ではありません。けれども、彼女は他の女性たちがしなかったことをしたという意味で、重要な人物なのです。なぜなら、あとで見ますが、彼女はイエスを言い負かしたからで、こんな女性はいくらさがしてもほかには見当たらないからです。
しかしまず、話の全体を見ておきたいと思います。話は、イエスがティルスという土地にやってきたことから始まります。なお、ティルスとか、このあと出てくるシリアとかフェニキアという地名は、聖書の最後にある付録の「聖書地図」第8番「パウロの宣教旅行」という地図に出てくるのでご参照ください。本日の話の舞台となったのは異邦人が多く住む地域でした。そこに「汚れた霊に取りつかれた幼い娘」の母親が登場しますが、彼女はシリア・フェニキアの出身でギリシア人でした。その彼女がイエスを訪ねて来たことから話は始まりました。

さて、女は来るとすぐ足もとにひれ伏し「幼い娘が汚れた霊に取りつかれて苦しんでいます。悪霊を追い出してください」と頼みました。それは必死の願いでしたが、イエスの返事は「子どもたちのパンを取って、子犬にやってはいけない」でした。つまり、母親の切なる願いを拒絶したのでした。
けれども、この拒絶にはそれ相応の理由がありました。なお悪霊に取りつかれる病気とは、今で言うなら癇癪の発作ですし、その病気をイエスが治したケースは珍しくありません。いつものイエスなら、母親の案内で家に行って娘を治したことでしょうが、本日はそれが出来ないのでした。

なぜなら、イエスたちユダヤ人にとってはギリシア人の彼女は異邦人だったからです。そのため、双方の間には厳しい壁が立ちはだかっていたのでした。というのも、そういうのが宗教の掟、神が定めたことと考えられていたからです。イエスは宗教的にもいい加減な人間ではなく、教えをよく守っていました。しかし、宗教的に正しいことは、色々ジレンマを伴うことでもありました。
なぜなら、異邦人の女性がイエスに願ったことは、その壁を乗り越えてこちらに来てください、と言ったに等しかったからです。つまり、掟を破ってでも来てほしいと言っているわけで、掟を忠実に守っていたイエスの立場はどうだったかということがあるからです。
さて、ここから女とイエスの間にバトルが始まります。なぜなら、イエスの「子どものパンを子犬に与えてはならぬ」に対して女の「しかし、食卓の下の子犬も、子どものパン屑はいただきます」という反撃が繰り出されたからです。イエスにとっては、女のパンチは衝撃でした。彼は言います。「よろしい、家に帰りなさい、悪霊はもう娘から出て行った」。つまり、女の手を取って高々と挙げ、彼女の勝利を宣言したのでした。

けれども、実のところ、この話は多くの人の頭を悩ませてきました。皆がいちばん引っかかったのは、イエスが女の願いを拒絶したという話でした。かなり多くのクリスチャンは、イエスは最初から完成された人間と見なす傾向があります。その人たちは、異邦人女性の願いを拒絶するイエスは受け入れがたいのです。そういう人が多いために、教会や学者たちは妥協案を考えました。それは、イエスはこの女性の信仰を試みたのであるというものでした。つまり、女の信仰を確かめるためにわざとテストをしたのである。その結果彼女はそれにパスをしたという話だったのである。従って、イエスは本気で拒絶はしていない。という具合にです。
いずれにしても、幼い娘が病気の母親の願いをイエスが拒絶するなど、信じられない、聞きたくもない。なぜなら、イエスさまはおやさしい方で、異邦人にも、女性たちにも親切で、病気の子どもは真っ先に直してくださった。この、イエス・イメージを崩しかねないのが今のマルコ7章の話だったのでした。

しかしこれは、二千年も前の、中東で起きた出来事です。そこに生きたイエスがその時期の男性たちと全く違う宇宙人のような価値観や宗教観を抱いていたとは考えにくいことで、今の話のように異邦人そして女性に対する態度が冷たかったことは、ユダヤ人男性としては普通のことだったと理解することが大事なのです。
熱心な人ほど、「イエスさまに限ってそんなはずがない」という思いが強いかもしれませんが、「キリストは、神と等しいことに固執しようとは思わず、自分を無にして、人間の姿になられました(フィリ2:6)」と書かれているように、イエスは、自分は特別という意識は持たないで、ユダヤ人の男性として生きていたのであれば、今の拒絶は、他の男性たちもしていたことなのでした。
だから、ギリシア人女性は、イエスもユダヤ人男性という限界を背負っていることをよく知っていたはずでしたが、にもかかわらず彼女は、イエスに対して挑発的な態度を取ったのでした。すなわち、自分たちの間を隔てている壁を乗り越えてきてください…。病気の娘がいたからこそ、イエスから癒しが貰えるか貰えないかは命がけで、たとえ彼から犬扱いされてもたじろがず、むしろそれを逆手に取って事態をひっくり返してしまった離れ業に、イエスはただただ驚くのみでありました。
だから最後に女に対して、「それほど言うなら、よろしい、家に帰りなさい。」と言えたのも、それが心地よい敗北宣言だったからでした。相撲で言えば、女が寄り切りで、その瞬間悪霊は出てしまっていたのでした。

さて、本日の話のスポットライトは終始彼女に当てられていました。今見てきたように、彼女は、ユダヤ人男性の誰もが不可能と思っていた壁の乗り越えを、イエスにさせるという驚きのわざを見せたのでした。そうは言っても、彼女は、自分は必ずイエスの力にあずかれると固く信じていたからこそ、それが出来たのでした。イエスをそこまで見抜けたことが彼女の信仰そのもので、自分も娘もその全てを委ねてしまったこの女性は、私たちにとっても、学べることが少なくないのではと思うのであります。(日本福音ルーテル二日市教会牧師:白髭義)

次週 5月19日 聖霊降臨(ペンテコステ)
説教題:イエスと女性たち その4
説教者:白髭義 牧師
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする