東大寺のミニチュア版と行基さん

2005-01-07 14:20:46 | NARA
お正月に実家でゆっくりしてまいりました。

阪奈道路を奈良方面に走っていると、宝来町あたりで一軒のお寺があります。
菅原道真を祀ってある菅原天満宮のすぐちかくです。

『喜光寺』と大きな看板があがってますが、
恥ずかしながらず~っと『善光寺』と読んでいました。
“奈良にも善光寺なんて名前のお寺があるのか・・・”
何気なくそう口に出すと、運転していた父が
“『ぜんこうじ』ちがうで、『きこうじ』やで”
が~~~ん・・・
今まで『ぜんこうじ』だと信じていました。

ま、それはいいとして、その時父が
“このお寺は大仏殿のミニチュアやねんで”と言うので良く観ると
ほんとに!東大寺と同じ形をしています。
東大寺は瓦の天辺に少し色が施されていますが、この喜光寺はオーソドックスな瓦の色です。
(車の中から撮ったのでわかりにくい画像で申し訳ない)

また、菅原道真の生誕の地でもある『藤原の里』にあることから
『菅原寺』とも呼ばれていたそうです。
今まで何も知らなかった元奈良市民です(笑)

いろいろ調べてみると、東大寺よりもこちらの喜光寺の方が先に建てられてるそうです。
行基さんが大仏殿を建てたということは学校で習いましたが、
その前にこの喜光寺を大仏殿の『試みの堂』として建てたなんて事は知らなかった。
(授業をちゃんと聞いてなかっただけだと思うけど。汗)

行基さんといえば、行基菩薩とも呼ばれ人々を貧困や飢餓から救ったお坊さん。
おまけにたくさんの寺院を創建した人と習いました(ような気がする)。
奈良の有名な寺院の建立や移建に貢献したらしい。
たとえば、大安寺・薬師寺(新薬師寺)の移建。東大寺・興福寺・元興寺の建立。
旧奈良市内に住んでいた子供時代にかかわりのある寺院ばかりではないか~!

調べれば知っていなければ恥ずかしいようなことが色々とわかりだす・・・(ヒエ~)

禁止されていた民間への布教活動を続けていたため朝廷から弾圧を受けるが、
49もの寺院の建立をおこない、平城京の官人や商工業者にまで信者を広めていき
政府もその功績を認め、東大寺の大仏の勧進役に任じ、
その後わが国初の最高僧階級『大僧正』を任じられたという。

あらためて書き出すと凄い人です。
布教活動も近畿一円から四国にまで足を延ばしたとか。
80歳まで生きた今で言うスーパーおじいちゃんですね。
(82歳という説もあるそうな)

近鉄奈良駅には行基さんの銅像があります。
噴水の天辺に小さい行基さんが東大寺の方を向いて立っておられます。
見るからに可愛いおじいちゃんですよ。
今度奈良に行った時は手を合わせたいと思います。


新年早々、ちょっとした事件アレコレ

2005-01-01 23:52:48 | DAIRY
あけましておめでとうございます
今年もどうぞよろしくお願いいたします
 さてさて、大晦日から元日にかけて
京都は雪が吹雪く寒いお正月になりました。
場所によれば降ったりやんだり?だったのかもしれませんが、
私たちの行く先々で吹雪にあう寒い日でした。

我が家の大晦日は毎年恒例、伏見稲荷大社への初詣です。
いちばん天辺まで、商売繁盛のお参りに登ります。

年越しそばをいただき、紅白を少し見てから家を出ます。
子供たちは夜から出かけることをとても楽しみにしていますが
今年は雪が降ったり止んだりで足元も良くないだろうと
一時中止の方向でしたが、雪もやんできたのでやはり行くことになりました。

義父母・パパの弟家族・我が家と11人で行きました。
最年少は弟家族の3歳の女の子です。
去年は途中の『四ツ辻』まだ登り、そこで待ってましたが
今年は彼女も登りました。ただし、父親の抱っこで・・・
途中で寝てしまったのです。

一番天辺まで登ったところでちょうど新年に変わりました。
一同拍手です。結構大勢の人がその場にいました。
どよめきと拍手の中私は、健杜がトイレに間に合わなかったので
着替えをさせてる最中でした。(なんという年越し・・・)

またもや雪もチラホラし始め、急いで山を降ります。
ところが寒いのなんのって・・・こんなに寒い初詣は初めてです。
雪もチラホラどころか、ボタ雪に変わりもう大変でした。

やっとの思いで家に帰り着いたところ、ふと駐車場から道路のほうを見ると、
一台の車から煙がモクモクと上がってるんです。
『オーバーヒートしてるんとちがう?』と義父に言うと、
『やめてくれよ~新年早々』と笑いながら言っていた義父ですが、
『あかん!消火器や!!!』と急いで車から降り走って行きました。

義父は地域の消防分団の団長をしています。
なのでこれが一大事ということを素早く判断し行動に出たんです。

『え~~~!!!』と思ってると、あっという間に車から凄い煙です。
義父が信号を渡り消火器で消しにかかりましたが、
ボンネットから出る煙はおさまりそうにありません。
そのうち車のしたから火花が出始め、液が漏れ出しました。
真っ黒な煙と異臭があたりに立ち込め目が痛くなりました。
『消火器もっと!!!』と義父が叫び、義母がもうひとつの消火器を持って
車の走る道路を横断しかけました。『お義母さんあぶない!!!』
持っていた傘を盾にして、車を止めた義母。
運転手は怒って叫んでました。でも無事渡れてよかったです。

消防車はどうなってるん???と思ってると
救急車が先に到着しました。でもけが人は誰もいなく
隊員が回りにいる人を下がらせたりしてましたが、義父はまだ消火活動です。
その頃私たちは、消火器をもっと集めるために走り回ってました。
パパと義父が消防団で活動してるのを見て娘らもなんとかせねば!!!と思ったのか、
『ママ!消火器のあるとこ知ってるからこっち来て!』と長女が言うのでついていくと、
町内の数箇所に消火器が設置してありました。
長女は学校の地域活動で消火器の設置場所を教えてもらっていたらしいです。
健杜の手を引き消火器を運べないので、長女と次女に健杜を頼み消火器を持って走りました。
合計3個の消火器を運びました。火事場の馬鹿力とはこの事ですね(笑)

消防車も到着し、鎮火です。
消防団員のパパと義父はまだ帰れないので、私たちは先に家に戻りました。
かえって時計を見ると時間は夜中の3時半・・・なんて時間だ・・・
先に娘ら二人がお風呂で暖まってる間に健杜は寝てしまいました。

車が燃えた原因は電気系統のショートだろうという事です。
大阪から初詣がてら京都に来たアベックですが踏んだりけったりです。
彼らも最悪でしょうが、私らも疲れました。。。
でも大事に到らなくて良かったです。
車の燃えた現場のすぐ横にはガソリンスタンドがあるんです。
その道路を挟んだところに我が家があります。
もしかすると、とんでもない事になっていたかもしれません。

新年の始まりがこんな状態だったので、この一年どうなるんだろうとちょっと不安です。