今回は「政治の話」を休んで盛岡について語ることにします。
盛岡も例外でなく、今年の師走はずいぶん暖かいです。今日は上天気。午後、自転車で出かけてみました。
盛岡を北上川、中津川、雫石川の3本の大きな川が流れていて、盛岡駅の南端付近で北上川に他の2本が合流します。東京方向から新幹線で帰ってくるとき、この合流点にさしかかると立ち上がり荷物をもって列車の出口へ向かいます。その合流点からすこし上流の雫石川に架かる橋から眺めた今日の岩手山です。
古代からこの川は氾濫を繰り返し、平安時代初期に朝廷が「蝦夷」と呼んだ陸奥の民衆を支配するために、この付近に築いた紫波城も繰り返す洪水のため
に撤退せざるを得なかったといいます。その頃は東北地方は〝独立国〟でしたが、特に金を産出することが知られるようになると、朝廷は坂上田村麻呂などの軍を派遣して支配しようとし、陸奥の民衆は激しい抵抗を続け、長い戦の時代が続いたのです。
朝廷を中心に歴史を語れば、蝦夷を退治する総司令官・征夷大将軍坂上田村麻呂は英雄ですが、陸奥を中心にすると田村麻呂たちは侵略者です。
写っていないのですが、画面の左の方に岩手山から続く山々にはスキー場があるのですが、岩手県内のスキー場も雪不足で困っているようです。普通の年には、遠目にもゲレンデが何本もの白い縞模様になって見えるのですが、今年はほとんどないです。
〝ずいぶん昔〟に、私もスキー出かけたものですが、今はもう寒いところにわざわざ出かけるほどの元気がなくなりました。特に天気が悪いときの、リフトの順番を待って並んでいるところを思い出すだけで嫌になります。この頃は安比スキー場や雫石スキー場など大きなスキー場にはゴンドラがあるのでそんな思いをしないでも済むようですが・・・