ひょんなことから参加することとなった三陸被災地歯科訪問団。
今回が第2回目らしい。
今回は南三陸町、雄勝、石巻を回る1泊2日の旅程。
くりこま高原駅で一行と合流し、向かった先は南三陸町さんさん商店街。
ここは
豊楽食堂のヒロシがいる場所。
早速、お店に顔を出し再会を喜ぶ。
でも時間の都合上、あの焼きそばは食べられなかった。
残念…
そしてもう一軒のお目当てのお店へ。
そこは”酒ヤマウチ”
驚く無かれここには新澤醸造店のすべてのラインナップが並んでいる!!!
前回来た時に、あまりの驚きにお店のおばちゃん(失礼!)に聞いたら、新澤さん自らが訪れて並べていったらしい。
温度管理に厳しく特約店以外には絶対!商品をおろさない彼が復興のためにと…
そこには残響Super8も2本あった!
早速、夜のコミュニケーションの潤滑油としてゲットしたのは言うまでもない(笑)
あ!、残響ではありません、念のため…
純米吟醸、雄町(限定品!)、ヨーグルト酒の3本 (^^)v
その後、志津川病院の斎藤先生、以前から志を共にする志津川の歯科衛生士の夕さんとともに行動する。
斎藤先生の案内で、当時の状況を聞きながら町内を視察する。
そこで訪れたのがタイトル写真の場所。
五十鈴神社。
海抜0メートルにあった戸倉小学校ならびに戸倉保育所の児童、園児、関係者、近所のご老人が避難した場所。
身も心も凍える夜、
このお堂の中に保育園児、老人、小学校4年生までが入ることができた。
5年生、6年生そして先生たちは、たき火で暖をとり1週間後の卒業式で歌う予定の「旅立ちの日に」を歌いながら夜を過ごしたそうです。
残念ながら亡くなった方もおり全員無事とはいかなかったが、このお堂が多くの命を救った。
震災当日、自分は遠く離れた仙台で夜を過ごしたが、
360度を水に囲まれ、あの余震の中どれだけの恐怖だったのかを思うと言葉がない。
神社おりて歩く道。
ここも水没したであろう場所。
日差しが目に痛く、確実に再生を感じました。
自然って強い、
もちろん、
人間も強いはず。
日没前の志津川湾。
あの日は牙を剥いたけど、
この海と共存していくしかない。
そんな言葉が心に残りました…
高台から見る以前の中心部。
以前はここに多くの建物があり、
生活があり、
笑い声が響いていたはず。
しかし、
今は何もない…
そして、
ある意味シンボルとなった防災対策庁舎。
斎藤先生に教えてもらったアングル。
階段は海の反対側。
だからこそ上に逃げることができた。
そして階段のダメージが下のほうがひどい。
あらためて津波の凄まじさに身が凍る。
震災3ヶ月後にはじめて目にした防災庁舎。
瓦礫だらけだった‥
今ではだいぶきれいになった分、恐怖もオブラートに包まれる。
斎藤先生に教えていただいた。
電柱の地上部分の高さが13.3m、
ちょうど津波の高さだと。
あり得ない。
志津川病院の内科にあったという時計。
津波が押し寄せてあっという間に飲み込まれた。
まずは逃げること、それが大切。
大げさだっていいでしょ。
空振りだっていいでしょ。
笑えばいいんだから‥
今回の津波では人の命を救うために亡くなった方が大勢いた。
自分の命は自分で守る、これが基本だと思う。
自分は今回の震災に関し、自分の感情をコントロールできるんだと思っていた。
だからこそ、あんな悲惨な検案の現場でも客観的に冷静でいられるんだと思ってた。
コントロールどころか、周りから心がないとまで言われた。
でも違った。
月日とともに、あの時入ったスイッチは切れ、
普通の心に戻っていた。
暮れていく志津川の海、そして街を見た時、
涙が出た…