会社の用事で郵便局へ行った時の事。
請求書の発送に出かけたのですが・・・・
約30通。
封筒の表には「料金別納」の印刷がされています。
しかし、中身が微妙に違うので
料金も違うだろうと思い窓口に
「お願いします」と出しました。
「すいません、この用紙にお名前とご住所・電話番号をご記入ください」
料金別納の郵便を出す際に記入する書類らしい。
見ると、書く欄は相当狭くて細い。
しかも、私の後ろには、5人ほど並んでいました。
「申し訳ありません。じつは私、右手が不自由なので、できれば
代筆をお願いしたいのですが・・・。
住所は連絡先などは裏面のここです。」
「できません」
「え?」
「代筆は無理です」
もっと大きな枠なら書けない事も無いけれど
こんなに細くて狭い欄じゃあ、書くのに何分かかる?
後ろ、ずいぶん並んでるよ。
「ご連絡先などの文字と、こちら(郵便局)で記入する
手紙の通数の文字が同じだと、上から(文句を)言われますので」
この台詞は言いたくなかったけれど・・・
「じゃあ、両手が不自由な人は、こんな場合はどうするんですか?」
「・・・・
決まりですから」
答えになってない
「じゃあ、1通ずつ切手を貼らせていただきますね」
切手を貼るの、手間だよ~、と言いたくなったわ。
それ以上、怒る気もなくなりました
同じ字がダメなら
局員は他にもいるでしょう?
少し「枠」をはずして考えて欲しいものです。
でも、ホント、両手が不自由な人や、
それこそ目の不自由な人の場合はどうするんだろう?
いわゆる「障害のある人」は郵便局へ来ない、って考えられてるのだろうか?
請求書の発送に出かけたのですが・・・・
約30通。
封筒の表には「料金別納」の印刷がされています。
しかし、中身が微妙に違うので
料金も違うだろうと思い窓口に
「お願いします」と出しました。
「すいません、この用紙にお名前とご住所・電話番号をご記入ください」
料金別納の郵便を出す際に記入する書類らしい。
見ると、書く欄は相当狭くて細い。
しかも、私の後ろには、5人ほど並んでいました。
「申し訳ありません。じつは私、右手が不自由なので、できれば
代筆をお願いしたいのですが・・・。
住所は連絡先などは裏面のここです。」
「できません」
「え?」
「代筆は無理です」
もっと大きな枠なら書けない事も無いけれど
こんなに細くて狭い欄じゃあ、書くのに何分かかる?
後ろ、ずいぶん並んでるよ。
「ご連絡先などの文字と、こちら(郵便局)で記入する
手紙の通数の文字が同じだと、上から(文句を)言われますので」
この台詞は言いたくなかったけれど・・・
「じゃあ、両手が不自由な人は、こんな場合はどうするんですか?」
「・・・・
決まりですから」
答えになってない
「じゃあ、1通ずつ切手を貼らせていただきますね」
切手を貼るの、手間だよ~、と言いたくなったわ。
それ以上、怒る気もなくなりました
同じ字がダメなら
局員は他にもいるでしょう?
少し「枠」をはずして考えて欲しいものです。
でも、ホント、両手が不自由な人や、
それこそ目の不自由な人の場合はどうするんだろう?
いわゆる「障害のある人」は郵便局へ来ない、って考えられてるのだろうか?
最近腹の立つ事の多くは、これに当て嵌まるという事に気づきました。
最近の若いもん(あ、反感を買う言い方だ…)だけではありませんが、特に若者は、言葉を巧みにあやつるだけで、実の無いのが多い。
メディアの発達で、色んな言葉に触れているからなんでしょうか。
自分に都合のいいように立ち回りたいだけなのに、それを綺麗事を並べ立てて正当化する。さも相手を思いやっているように、さも自分は規則を破らない忠実な人間だというように、言葉を摩り替える。
自分の胸に手を当てて考えてみな。
本当は、もっと利己的な理由じゃあないのかい?
「だって、やりたくないし。」
「だって、(やるのも、後で色々問い詰められるのも)面倒臭いし。」
「なんで私が?」
それを、「規則ですから」だとか「公平性・公正性を確保するため」とか……
いますよ、こういうのが、沢山。
その言葉を真に受けて一生懸命考えてたら、頭が変になりそうになってきました。
真意が見えたら、話は簡単だった。
「義務」を果たさずして「権利」ばかり主張する奴。まず「税金」(=責任)を払ってから主張しましょう。
でも、突然変異ではなく、親とかそのまた親とかから徐々に蓄積されたものもあるのでしょう。
悲しいね。私は親からとても「大切なもの」を貰ったという自負はあります。
それも、まだまだ形に出来ていない、不束者です。毎日が自己嫌悪の連続。
でも、こうやって徐々に変わってきたのであれば、私達から少しでも変えていったら、子供や孫、曾孫たちからは、変わっていってくれるかな……
そう信じたいですね。
そして、自分自身、いつまでも謙虚に「学び」「反省する」気持ちを忘れたくないですね。
回遊魚さん、今は日本かい?
郵便局のこと、いわゆる健常者の2人が、
激高するくらいいろんなことを考えてくれたことに感謝です。
2人から、2人のまわりの人へと、
「こういう人がいるねんで」と伝わっていけば
少しは世の中変わんないかな~
結局のところ、その人本人の資質なんだろうね~
サービス業に携わる人間として、相手のことを思うっていうことを、再度考えさせられましたわよ。
また近々、お互いのパワーを分け合うために
どこか(どこやねん?)でプチ、、、ね。
お返事が遅れ申し訳ありません。
息子が熱出して具合が悪かったもので。。。
yoshitakaさんがおっしゃるように、
本当に悲しい世の中です。
自分が「弱い人」だと声高に言うわけではありませんが、
いろんな意味で「弱い人」に対して、
もう少し優しい社会にならないものかと思います。
だからこそ、yoshitakaさんをはじめ、私も勿論、
笑顔でが頑張らなきゃ、って思います。
それぞれのシチュエーションに合わせて、対処法を用意してない会社って、、。んー。すみません、私も激高のあまり、つい言いたい放題してしまいました。元気で頑張ってね!いずれまた会おう!
物事を「物体的」にしか覚えない人。
承認印は「部長のハンコ」と覚えている経理とか。
物事には目的があるでしょって。
勝手に会社のお金を使い込めないように、「責任を負える人は、会社のお金を使ってもよしとする」という許可を貰うんだよねぇ。
部長が長期出張や、入院してたらどうすんだ?と。
目的があり、その場その場での事情がある。
なのに、四角四面に、杓子定規に、目的を忘れて、文字通りにしか出来ない。
これは「考える力」が欠落しているのでしょう。
元々持ち合わせていない資質なのか、小さいうちから、そういう育て方をして貰っていないのでしょうね。かわいそうに。
「無神経」「気が利かない」「仕事ができない」「デリカシーがない」……
無い、ない、ナイ。
決して褒め言葉ではない評価が貼り付けられるのでしょう・・・
ごめんなさい。
つい激高してしまいました。
liberty-cloverさんの気持ち、よくわかります。
人それぞれ、不便さはまちまちだと思うけど、
なりたくてなった病気ではないし、
頑張っているのにね。
それでも、「笑っていこうよ!」