Number68 ⅚ 【注釈O】2024.06.10 薩夜麻大君の捕囚地を修正
【( 8½ )総目次 】
(68⅚)【注釈O】(今回)夕顔 現代語訳比較 / 永久機関
【注釈M】トランプ氏 が 帰って来られたら / 北朝鮮との国交 / 夕顔の「鳥辺野」
【注釈L】「e五節の舞」 VRデジタル復元 / (15-16世紀の)マニエリスム年表
《 本Blogは引用できます。本頁は鋳型化されました。2024.9.29 鋳型化ここから 》

《 盛安本 源氏物語絵巻》「末摘花」
【注釈N からの再掲を含みます】
VR奥儀皆伝では『源氏物語』「夕顔」を【注釈M】【注釈N】に 取り上げました。ところで、書いているうちに、顕著な マニエラ(技法)の連鎖 の いくつかに、たて続けに 気付いてしまいました。【注釈O】では イタリアの「未来派」→「e 夕顔」を 後半に 考えます。
最初に、釈迦の覚醒 → アショーカ王、聖徳太子ら → 国政の理想となるマニエラ、について。
「法華経」は、聖徳太子(九州王朝の上宮法皇)の 世界思想史的な 国家観を支えました。中村元氏は、奈良仏教がコスモポリタン的な性格だったので「聖徳太子」が 普遍的な国家を目指した、と 明快に指摘しました。文句のつけようがない 正論です。下の普遍的帝王は、全員が 国民から大変に好かれました。平和で 好景気の国家 だったからです。
「① その文化圏全体を支配統治する一つの 強大な国王(または統治者)が出現し、かれの属する王朝の基礎が確立する。② 精神的な面においては、諸部族対立の時代には見られない新しい指導理念が必要とされる。③ その指導理念を、あるいは その指導理念の精神的な基調を、なんらかの 普遍的な世界宗教 が提供する。④ その指導理念は、確定された文章表現(たとえば 詔勅)のかたちで、公(おおやけ)に一般の人びとに向かって表現される。⑤ 普遍的な世界宗教は、この統一国家において急激に発展する。以上、私は五つ数えたが、
これらの特徴は、
以下にあげる諸々の帝王のすべてに共通するものである。」(『聖徳太子』1990年 pp.103-104)
「最初の普遍的帝王として、アショーカ王が 全インドのみならず近隣の地域を統一した歴史的事実はよく知られている。かれは仏教を信奉し、仏教が国教的な地位を獲得し、やがて 世界宗教として諸国にひろがる基礎がつくられた。」 ・・・(南朝の)武帝、新羅の法興王、真興王、チベットのソンツェンガンポ王(但し 最初の寺院は 775年頃)、隋の文帝、そして、日本の聖徳太子も同様に、東洋の普遍的帝王です。聖徳太子は「三経義疏」を 息子・奥様に理解して貰おうと 勉強会を お開きになりました。為政者の 行政規範、国家の憲法となる理法だからです。
(2024年の注釈:中国の南朝が 倭国〔和国〕九州王朝の旧 宗主国です。多利思北孤 たりしほこ〔たりしひこ?〕 が 10代?の 589年に 南朝「陳」が滅亡しました。そのため、隋と倭国は 国家として対等になった、という大義名分から 聖徳太子は 隋に対して「天子」を自称しました。そして、聖徳太子は 梁〔南朝〕の武帝や 隋の文帝らを見倣って、仏教に帰依した 普遍的帝王を目指されました。ところで、遣隋使の小野妹子が 607年に 隋の皇帝 煬帝を激怒させた理由は、〔人気抜群の〕文帝の崩御を知らずに 父 宛の国書を 不肖の息子〔暴君〕に向かって読んじゃった という外交上の珍事、間違い からでした。間違えられた煬帝は 仏教〔聖地の整備などの公共工事〕よりも 高句麗の討伐に夢中だったことから、倭国が 裏で高句麗を応援しないか を探らせるために 外交官の裴世清を博多に派遣しました。裴世清は 608年に戻って煬帝に報告し 、上宮法皇は 607年の国書にある通りの「文帝ファン」でしたから、文帝と同じく 大規模工事=大宰府の工事で民間に特需をつくり 好景気による税の増収で福祉を充実させており、とても 高句麗のために戦費を遣うようには思えません と上奏した筈です。ともあれ、607年には国書の返書を頂けずに失敗した 隋への朝貢でしたが、翌608年に もういちど出直して 小野妹子は 朝貢を成功させました。が、仏教より戦争による国威発揚を選んだ 煬帝は 国を滅ぼし、隋がなくなってしまった のは象徴的な出来事でした。ところで、和国への仏教伝来は、百済の聖王 在位〔523年 - 554年〕の 宣化天皇3年〔538年頃〕で「金銅の仏像一体、幡、経典などを伝えた」とされています。この仏教を国教に定めたのが 上宮法皇で、最初の仏閣 四天王寺は 博多湾にあり、救世観音が ご本尊でした。『謡曲のなかの九州王朝』p.47。ところで 上宮法皇の ご子孫が 皆 罪咎なく殺害されてしまったのちに、九州王朝の天子「筑紫薩夜麻」〔さちやま〕大君が 663年の白村江海戦直前の陸戦で逮捕・捕囚、おそらく 旧 呉地の収容所に抑留されて 8年間捕虜にされたことも象徴的な出来事でした。いろいろあって 九州王朝は 西暦697年に 王権を移譲しました。それ以降は 大和朝廷が九州王朝の皇統を引き継ぎます。(55½)③【中小路駿逸氏論文「一元通念の誤り」】を参照して下さい。九州王朝滅亡の顛末について、詳しくは(56)(57)を参照。)
※ 中村元先生は、「日本書紀に書かれた」聖徳太子の思想を 考察しておられます。
※ 隋の文帝は 中国屈指の名君で、300年乱れた中国を 仏教で統一し、租庸調の全国一律化などで民衆からの人気も絶大でした。長安と黄河を運河で結んだり 淮河と長江を結んで、公共工事と 社会インフラの充実で 好景気を招きました。息子の 煬帝は高句麗戦の戦費徴用で、人気を無くしました。2022年の自民党の 兵器 増税による不人気と 全く同じで、隋は無くなりました。ちなみに、聖徳太子が お定めになった「冠位十二階」は ソンツェンガンポ王のアイデアで、身分秩序が「礼」にかなえば 持続可能な泰平が得られる、というアッピールです。

「わが国で ① 文化的統一国家の基礎を築いたのは聖徳太子で、③ 普遍的宗教の仏教で、国を基礎づけようとした。② 聖徳太子以前の日本では、豪族が土地と人民を所有し、独自の習慣法を行っていた。ところが ④⑤ 聖徳太子によってそれらは統合され、やがて後の 大化の改新において律令国家として制度化されるようになったのである。」『聖徳太子 地球思考的視点から』1990年。中村氏による論証は、一分の隙も無く見事です。(九州年号で「大化」は 695-700年でした。697年に 九州の皇統は 大和朝廷の第42代天皇として 接ぎ木されました。その政権の委譲を『日本書紀』では 唐に忖度して、「大化の改新」「壬申の乱」などの出来事を あいまいな形で歴史書に残しました。(56)(57)を参照して下さい。)
※ 鎌足は 九州藤原家の豪族で、対唐戦の 600艘の援軍を要請するため 九州王朝 薩夜麻の大君 から大和朝廷に派遣された高官だったようです。しかし、唐を敵に回せば 博多が本土決戦で焼野原になると予想され、鎌足は 援軍の大和軍には 新羅の計略に乗るよう指示して 緒戦だけ戦わせ、九州王朝兵の中軍 400艘が火矢で全滅するのを傍観させました。唐も 新羅のプランに乗って(唐軍が危うくなったら 600艘が援軍になるので)安心して 170艘を 新羅に貸しました。697年に大和朝廷が西日本全域の王権を禅譲されたのは、この白村江の敗戦が原因です。しかし表の歴史に書けません。400艘が対唐戦に敗れた(注)から(やむを得ず)大和朝廷が 上宮法皇の政治路線 を継承したことにされました。
(注) 九州王朝軍の 400艘が 新羅軍と 大和朝廷軍の見守る前で 唐軍 170艘に完敗した ことについては 事実です。また、九州王朝の王権を引き継いだ大和朝廷が、過去に中国の南朝を宗主国にした事実も 確かに ありません。ですから 大和朝廷からの遣唐使が 702年に朝貢して、(倭国は 昔から 南朝の一派なのに)「我が国名は ”日本” に変えました。倭国の王権を継承した 日本は、南朝を宗主国にしたことはありません。宮中の制度 = 大宝律令 も ファッションも、全てが 唐風です。」なんて 中国にとって 全く 思いもかけないことを述べたので、皇帝は ” 言っていることの意味が わからん ” と仰って、その当時 中国の高官だった阿倍仲麻呂が 急遽 呼ばれ、仲麻呂は 大和の遣唐使をフォローしました。そんなやりとりが 前代未聞で 珍しかったので、これは歴史書の特筆事項、として 公的な歴史に残りました。((55½)③)
ともあれ、「法華経」の理法は、天帝ですら 従うべき 普遍的な「理」なので、
「法華経」(内需拡大による好景気)→ 自民党の政治方針、で 全く 構わなかったのです。
ところで、安倍首相の場合には、
日本の核保有と リニア幹線による 旧満州国の実効支配・北朝鮮との対立を図る 政治グループ → 安倍首相 だった可能性が噂されており、トランプ氏が自宅に持ち帰った 米国機密文書には 日本政府の(憲法違反の)核保有案を w.大統領が了承した と書かれていたかも知れません。この文書は 米国の法廷で 公開される直前でした。が、日本が仮に 第2次満州国の建国を後押しすれば 直ちに 日本本土が海上封鎖されて栄養失調ですから、実施する前から 敗戦必至の計画でした。ある大物政治家が、この どこから考えても恥ずかしい計画を どうか公開しないで下さい とトランプ氏にお願いに行ったと噂されています。しかし、この噂が もし事実であれば、トランプ氏にお願いに行くことより先に 自民党に協力してくれた民間企業を廻り、” 関係者が憲法違反で 懲役刑になるかも知れない計画が ばれた ” と伝えて、リニア幹線や 核爆弾関連業種から別業種への転換を勧めること が必要だったのでは ないでしょうか。
※ ところで「藤原兼家」は「家柄」第一主義者でした。(一般庶民の「家」は 母系制ですが、宮中の「家」の 優劣は 天皇との血縁で左右されます。不比等が 藤原氏に有利な制度を定めました。)家柄の 真反対が、身分の上下に関わらず 民衆に広く 愛情を持って お接しになった「聖徳太子」の 普遍的国家経営の理念です。光源氏の父「桐壺帝」は 九州王朝の上宮法皇がモデルだった、とする説があります(米田良三氏説)。博多湾岸そして大宰府にあった 四天王寺と法隆寺(観世音寺)には、薬草を誰にでも分け与える薬局、誰でも入院できる病院、貧窮孤独者の救護所 兼 職安、万人向けの仏教道場が備えられていたそうです。お家第一、の真反対は、「世界史の流れの中にある 理法」を 政治に生かすこと でした。
「法華経」のマニエラ → 聖徳太子 → 十七条憲法、条坊の造成、四天王寺、観世音寺
聖徳太子のマニエラ → 聖武天皇 → 東大寺大仏、国分寺、その詔
聖徳太子のマニエラ → 弘法大師 → 経典の体系化、治水工事、東寺、高野山の諸寺
そして、
「法華経」のマニエラ → 源氏物語 でした。
「夕顔」現代語訳比較
ここからは、【注釈M】【注釈N】に取り上げた『源氏物語』「夕顔」の続きです。
さて、面白い箇所を見つけましたので、訳文の比較を試みます。最初は『ウェイリー版 源氏物語』の 夕顔です。平凡社刊の訳者 佐復秀樹氏は、英語を知っている人間が読めば なんとなく原文が推測できる「研究のための訳」と「読むための訳文」が 五分五分に交じり合った訳を(苦心して)目指したそうです。二人の枕元に 美しい女の すわっているのが見えた箇所の、すこし前です。 (『ウェイリー版 源氏物語 1』2008年 pp.140-141 原著 1925年)
「君をどこか素敵な所、誰も私たちの邪魔をしない所へつれてゆこう」と源氏はついに言う。
「いえ いえ」と女は叫び声を上げる。「あなたのなされようは とても変わっていて、いっしょに行くのは怖いのです」。女は 子供つぼい おびえた調子で話し、源氏は ほほ笑みながら答える。「私たちのうちのどちらかは きっと 姿を変えた狐に違いない。これは どっちがそうなのか 確かめるチャンスだよ!」。源氏はとても優しく話し、すると突然、どのようにも言いなりになるといった口調で、女は、何であれ源氏が いちばん良いと考えたことをすると同意した。源氏は、この上もなく きわどく奇怪な冒険だと思われてもしかたないことに、進んでついてくると言う女に 心を打たれないわけには いかなかった。またもや あの雨の日の頭中将の話を思い出し、これは 確かに中将の逃げた愛人に違いない とおもった。しかし、彼女には過去をたずねられるのを避けたい 何らかの理由があると見て取って、源氏は好奇心をおさえつけた。見るかぎりでは 女は 逃げだしそうな きざしは何も見せていない。自分が誠実であるかぎり 女がそんなことをするとも信じられない。頭中将は、結局のところ、何か月もぶっつづけで放っておいたのだ。しかし、自分の心が 少しでもほかの方面に傾いていると一瞬でも疑われたら、それは ひどいことになる だろうと感じた。
「いえ いえ」と女は叫び声を上げる。「あなたのなされようは とても変わっていて、いっしょに行くのは怖いのです」。女は 子供つぼい おびえた調子で話し、源氏は ほほ笑みながら答える。「私たちのうちのどちらかは きっと 姿を変えた狐に違いない。これは どっちがそうなのか 確かめるチャンスだよ!」。源氏はとても優しく話し、すると突然、どのようにも言いなりになるといった口調で、女は、何であれ源氏が いちばん良いと考えたことをすると同意した。源氏は、この上もなく きわどく奇怪な冒険だと思われてもしかたないことに、進んでついてくると言う女に 心を打たれないわけには いかなかった。またもや あの雨の日の頭中将の話を思い出し、これは 確かに中将の逃げた愛人に違いない とおもった。しかし、彼女には過去をたずねられるのを避けたい 何らかの理由があると見て取って、源氏は好奇心をおさえつけた。見るかぎりでは 女は 逃げだしそうな きざしは何も見せていない。自分が誠実であるかぎり 女がそんなことをするとも信じられない。頭中将は、結局のところ、何か月もぶっつづけで放っておいたのだ。しかし、自分の心が 少しでもほかの方面に傾いていると一瞬でも疑われたら、それは ひどいことになる だろうと感じた。
(略)近くの家では 人々が起き出そうとしていて、百姓たちの 荒々しい声が聞こえた。「ええい! 何て寒いんだい! 今年は 穀物の出来がよくねえぞ」。「俺の荷担ぎの商売には何が起こるやら わからん」と別な者。「按配は ひどく悪そうだ」。それから(別の家の壁を叩いて)「起きろやい、お隣さん。出かける時間だ。どうだ、奴には聞こえたろうか」と言って 人々は立ち上がり、それぞれが活計(たずき)を得るための みじめな仕事に出かけて行った。
ウエイリ―訳で注目したいのは、素直な「夕顔」の住んでいた辺りの光景が そのまま「第一次大戦が終って、戦争による(見せかけの)景気が 剥げ落ちて明らかになった 落日の欧州の(みじめな)日常と同じだった」ことでした。そして 欧州の読者にとって 光の君が住む 二条の院辺りは ”貴族が流行を作っていた ベル・エポックの世界” でした。紫式部は、プルーストの双子の姉妹だ とも評されました。19世紀の絵画に見まごう(源氏物語を代表とする)王朝文学を、中村真一郎氏は「人間性の真実」という点で その普遍性・現代性を強調して 戦後の純文学を牽引しました。
ところで、(「もしも 源氏が心変わりして この女を放り出したり した場合には」という)前段 最後の文章を、谷崎新新訳 で抜き出すと、こうなります。
「めったに 訪ねてもやらないで 捨ててお置きになるのでしたら、心変りもしましようけれども、そうでなかったら、
拗(す)ねて ふいと隠れてしまうような心ざま とも見えませんので、
こっちが少し
ほかの女へ気を移したりする方が面白い とさえ、お思いになるのでした。」でした。あれ? ウエイリ―訳とは ニュアンスが違います。
次は、上と 比較するために、
円地文子訳です。「すねて、急に自分から離れて身を隠しそうな心向きなどは見えないが、逢いに行かず長く捨てて置くようなことをした時には、そんなふうに気の変ることも あるかも知れない、
わが心ながらも、ほかの女に心の移るようなことがあっては可哀そうだ
とまで いじらしくお思いになる。」(『源氏物語 巻一』1972年) これで分かるように、ウエイリ―さんも谷崎さんも円地さんも「源氏物語」を、VRアナログ復元して 解釈していた のです。
そして、原文です。http://www.sainet.or.jp/~eshibuya/text04.html#in44 (渋谷栄一研究室)
〔源氏〕「いざ、いと心安き所にて、のどかに聞こえむ」
など、語らひたまへば、
〔夕顔〕「なほ、あやしう。かくのたまへど、世づかぬ御もてなしなれば、もの恐ろしくこそあれ」
と、いと若びて言へば、「げに」と、ほほ笑まれたまひて、
〔源氏〕「げに、いづれか狐なるらむな。ただ はかられたまへかし」
と、なつかしげに のたまへば、女もいみじくなびきて、さも ありぬべく思ひたり。「世になく、かたはなることなりとも、ひたぶるに従ふ心は、いとあはれげなる人」と見たまふに、なほ、かの頭中将の常夏疑はしく、語りし心ざま、まづ思ひ出でられたまへど、「忍ぶるやうこそは」と、あながちにも問ひ出でたまはず。
気色ばみて、ふと背き隠る(校訂12)べき心ざま などはなければ、「かれがれに とだえ置かむ折こそは、さやうに思ひ変ることもあらめ、心ながらも、すこし移ろふことあらむこそ あはれなるべけれ」とさへ、思しけり。
など、語らひたまへば、
〔夕顔〕「なほ、あやしう。かくのたまへど、世づかぬ御もてなしなれば、もの恐ろしくこそあれ」
と、いと若びて言へば、「げに」と、ほほ笑まれたまひて、
〔源氏〕「げに、いづれか狐なるらむな。ただ はかられたまへかし」
と、なつかしげに のたまへば、女もいみじくなびきて、さも ありぬべく思ひたり。「世になく、かたはなることなりとも、ひたぶるに従ふ心は、いとあはれげなる人」と見たまふに、なほ、かの頭中将の常夏疑はしく、語りし心ざま、まづ思ひ出でられたまへど、「忍ぶるやうこそは」と、あながちにも問ひ出でたまはず。
気色ばみて、ふと背き隠る(校訂12)べき心ざま などはなければ、「かれがれに とだえ置かむ折こそは、さやうに思ひ変ることもあらめ、心ながらも、すこし移ろふことあらむこそ あはれなるべけれ」とさへ、思しけり。
つまるところ、1964年の 谷崎新新訳は「面白く読者に読んで貰うために、映画シナリオの技法で「あらむ」を 強く訳していたのでした。この場面に、まだ[もののけ]は 出てきません。17歳の光の君は、頭中将の元カノの人妻を 横取りできたことで、「彼女を 自宅の 二条の院に連れ帰り」(ここから 谷崎新新訳)「わざと放置して 自分への想いを 更に つのらせて みよっかな」などと ルンルンして 彼女を抱きながら よからぬ妄想をして「にんまり」していた、というのです。さすが、谷崎。このシナリオを映画にすれば、もののけ が登場する局面で 恐怖が この上なく つのります。そして、
〔もののけ〕「己がいとめでたしと見たてまつるをば、尋ね思ほさで、かく、ことなることなき人を率ておはして、時めかしたまふこそ、いとめざましく つらけれ」
とて、この御かたはらの人を かき起こさむとす、と(夢に)見たまふ。
とて、この御かたはらの人を かき起こさむとす、と(夢に)見たまふ。
その後に、もののけが 彼女の心臓を止めたことで、ショックを受けた 光の君は「鳥辺野」で 落馬しました。この殺人の場面は おそらく 読者に好評だったので、式部は この次の生霊が出る場面には 葵祭を とても賑やかに描写してから 六条御息所の生霊 に 葵の上を殺させようと思いつきました。ずっと後の時代の 江戸歌舞伎では、夏祭りで 華やかに花火のあがる賑わいを背景に、うらみつらみの果ての凄惨な殺人劇が 舞台の正面で行なわれ、満員の芝居小屋の観客から 大喝采 を受けました。源氏物語からの拝借です。
イタリア未来派(科学礼賛)美術の影響を受けて、ロシア構成主義が そして ドイツ表現主義映画、ダダイズムなどが 欧州に生まれました。ピランデルロの試みた「演劇・戯曲とは何か?」を 近く紹介します。→ 機械が人間を従わせる 超・合理的な世界で顕わにされた、人間の肉体感覚の復権です。【注釈P】
イタリア「未来派」→ ロシア構成主義、『メトロポリス』1927年・ドイツ表現主義 → 日本映画、手塚治虫、石森章太郎 →「DUNE 2」の シャラメくんが戦ったときの 衣装とフォルムが 石森調でした。『ブレードランナー』の未来の都市像と主題は「未来派」の問題意識そのものです。
イタリア「未来派」→ 1939 NY万国博 → その完成図として構想された ディズニーワールド。
EPCOT構想は、観客が 実際に「自分の得意な仕事を生かして」住むことのできる持続可能な未来都市でした。
淀川長治氏は 谷崎潤一郎 が脚本を書いた大正活映に、日本発のヌーヴェルヴァーグ作品が生まれようとしていた ことを 雑誌ユリイカ誌上で 証言しています。【大正活映撮影所跡】写真。もしも もしも 大活が「夕顔」の殺害場面を 谷崎の脚本、そして 特撮で映画にしていたら、20世紀の世界の映画史は どう変わっていたでしょう。しかし、谷崎が 源氏物語の真の魅力に気付いたのは 1939年になってからのことでした。それでは、これをお読みの皆さんが、谷崎に代わって その試みを継承してみる、 というのは どうでしょう。
「法華経」→ 源氏物語 → e 夕顔 (あるいは e 御息所)
ところで、ロダンにも、こんな可能性がありました。
1900年に 貞奴 の演じた美女の凄惨な殺害場面「滅びの美学」が、ピカソや ロダンを悩殺しました。もしも 貞奴が 楽屋を尋ねたロダンのモデルを了承していたら、ロダン は 地獄の門や 接吻 の後に「土佐の絵金 もびっくりの 血みどろ 無惨絵」を造形した作家に転向していた かもしれません。しかし、貞奴は ロダンのモデルを断りました。
やがて 貞奴は日本に、シェークスピア劇の「女優」の演技 マニエラを伝来しました。
蝋燭の照明で「女形」しかいなかった日本の演劇界に、ガス灯による「女優」の需要が生まれていたからです。

(左)《盛安本 源氏物語絵巻》「夕顔」断簡 部分(「夕顔の死」の場面) 1650年代 和樂web フランスで発見!『源氏物語』夕顔の死を描いた幻の絵巻物・盛安本の謎を解き明かす!(鳩羽風子氏Blog) (上掲は「末摘花」)/ (右)Une soirée élégante par Victor Gabriel Gilbert(ヴィクター・ギルバート による エレガントな夜 "Belle Époque" wiki )
ウエイリー訳源氏の読者には、上の二つの絵画は 同じ華やかさを感じさせました。
岩井「貨幣論」/ ブローデル歴史学概説 の続きです。
今回は、資本主義が「失敗した 永久機関」である と 証明します。以下は、「97年Cyber交易資料」(1997年3月14日の 東大 社会情報研究所主催の国際シンポジウム「社会経済システムのフロンティア Cybersociety」での 私の講演「Cybersocietyの交易モデル」の配布用資料)からの抜粋です。

【ここから 1997年資料の 引用です。文意を損なわずに 校正した箇所があります。】
□ 永久機関
「商品push型」のマーケティング・モデルの典型例は、伝統的な 資本主義経済 であろう。ところで、資本主義経済で 経営者が描かせたいと夢見た資本投下のサイクルは、投資された資本が 永久に循環するような「永久機関(という自動機械)」だったことに、最近 気が付いた。 / ここでは まず「永久機関」について説明することから始めよう。これについては坂本賢三氏の 簡潔な説明を引用したい。
「狭義には 外部からエネルギーを与えられることなく有用な仕事を続ける機関・・・。地上の運動は 有限で不完全であるとする西欧の思想的伝統の中では 永久機関は思い付かれす、輪廻の思想をもつインドで・・・1150年頃・・・天文学者・数学者のバースカラが・・・記述したのが始めである。・・・すぐさま(1200年頃)アラビアの イプン・リドワーンによってとりあげられ・・・13世紀に入るとヨーロッパでも関心を引き・・・1440年の・・・タッコラの草稿など多くの人が その発明のために熱狂するが、これは当時の動力需要を反映していた。」(「弘文堂、科学史技術史事典」原著1983年、94年の縮刷版 pp.106-107 から。坂本賢三氏による「永久機関」の項目の一部)
「狭義には 外部からエネルギーを与えられることなく有用な仕事を続ける機関・・・。地上の運動は 有限で不完全であるとする西欧の思想的伝統の中では 永久機関は思い付かれす、輪廻の思想をもつインドで・・・1150年頃・・・天文学者・数学者のバースカラが・・・記述したのが始めである。・・・すぐさま(1200年頃)アラビアの イプン・リドワーンによってとりあげられ・・・13世紀に入るとヨーロッパでも関心を引き・・・1440年の・・・タッコラの草稿など多くの人が その発明のために熱狂するが、これは当時の動力需要を反映していた。」(「弘文堂、科学史技術史事典」原著1983年、94年の縮刷版 pp.106-107 から。坂本賢三氏による「永久機関」の項目の一部)

国際シンポジウムで使用した OHPの一部。『遊戯装置』から引用。
19世紀なかばには「エネルギー保存則」や「熱力学の第二法則」が確立して、それ(永久機関の実現)が 不可能だ ということは証明されてしまったのたが、その後にも(現在に至るまで)「永久機関熱 は 容易にさめなかった。十九世紀後半 に出された永久機関の特許申請は イギリスだけでも、六百件近いとの記録がある。」(矢牧 健太郎「永久機関は永久に夢でしかなかった」、寺山 修司・矢牧 著『遊戯装置』河出文庫、1988年)
資本主義の定義:
「利潤の獲得を第一の目的とした経済活動のことをいう。貨幣が元手として投下され、もうけ(利潤)とともに回収されたとき、貨幣は利潤を生み出す資本として用いられたことになる。」「より多くの貨幣の獲得を目的として 貨幣を用いる 利潤追及の活動が 資本主義 とよばれる理由は ここにある。」(「平凡社世界大百科事典」1988年版、第12巻から 杉本芳美氏による「資本主義」の項目の一部)
【1997年資料の 引用。ここまで】
(2024年の注釈:このような「永久機関」を実現する人類の夢は いまだ 覚めておらず、むしろ、” AIのシンギュラリティ云々説” などで「強化」されています。AIは「データ命」なので、ごみデータからは ごみが生まれます。実は、輪廻の思想をもつインドで・・・1150年頃・・・天文学者・数学者のバースカラが・・・永久機関を 記述した、その理由というのが、ここ良く聞いて下さい ね。お釈迦様は、生物は すべて 輪廻で 永劫回帰に生まれ変わり 前世の因縁を反省してアップデートした ver. 2.0、3.0の「自分」を自覚することで 永劫回帰の輪廻から 抜け出せる。それが修行です。と仰いました。でも、もしも 解脱をあきらめた だめな自分が ハムスターホイールを回し続けたら、その数理モデルが 永久機関です。熱力学の第二法則は「不可逆」ですから、永久機関をモデルにした資本主義は 停止[倒産]するしかありません。岩井克人氏は『貨幣論』で ”マルクスの資本モデルは 大道芸人が とんぼ返りするように 商品[資本]→貨幣→ 商品[資本]を繰り返す こと” だと見破りました。輪廻の永久機関です。この錯覚が 資本主義では 企業は永久に利益を生むはずだ、という思い込みを生みました。そして、顧客が 悟りを得たり 解脱することがない ので、資本主義は 永久に配当を生むと信じられ、歓迎されました。しかし、資本主義は「ハムスターがホイールを回している間」に限っての リアリティ です。)
※ 米国 IT産業は「種」技術で海外投資家を惑わせ、ハムスター景気を回しました。ハイテク製品の試作品ができると、スタートアップ企業の営業担当弁護士は 東南アジアの国際空港に隣接した高級ホテルに 金持ちを招き、今なら格安に権利が得られる と勧誘を繰り返しました。そんな 鉄火場投資の勧誘を ITの未来だ と勘違いした米国 IT産業が、 米連邦の技術創発力を蝕み・棄損させて 不況を招きました。
※ 資本主義は15-16世紀以降の 世界=経済のモデルになり「消費者に 仕入れ値を明かさない 売り惜しみのできる問屋の経済」として発達したことをブローデル氏が 明らかにしました。しかし、私の名付けた「オン・デマンド経済」、つまり Coop 生協が やっている 共同購入者が 農薬の少ない生産物などを 商人のマージン額を推測できて 手に入れる、ような持続可能な経済は、交易のあるかぎり 昔から ずっとあった というのが ブローデル氏と私の考えです。(ブローデル氏は「Aの経済」と呼びました。)次回以降に、詳述します。ついでに言うと、日本の総人口は 2080年代の 7000万人程度に向けて 現在 減少を続けているのですが、そのあとでは V字回復して 1億数千万人を超える勢いにまで 人口増加に転じるようです。一番減ったときでも 人口密度は北欧以上なので GNPは激減しません。むしろ、「オン・デマンド経済」を進めれば「人口減少を チャンスに変えるマーケティング」が 日本発で世界に大きな影響を与えられます。逆に言えば、政府が 古田隆彦氏の著書『人口減少社会のマーケティング』を無視したことから、日本は この 15年間 不況になりました。そして、米国が景気後退しているので、日本円 を 西の貿易決済通貨にしたくない 欧米人が多数いて、その仕上げが バイデン米国債 0円化で日本経済を潰す計画だったようですが、もし これが実施されていれば 中東を一斉に BRICS経済圏に押しやる結果を招くので(米国内産オイルは高騰しますが)米連邦経済の全体は 崩壊していました。
「資本主義」には 恐慌が起きて システムが崩壊する、以外の「出口」が ありません。
欧米の銀行が倒産を まぬがれる方法は、旧約聖書にのっとり 金利をやめる以外に ありません。
イスラーム銀行は 金利を取らずに成長しているのです。だから 真似をすれば 良いのです。
※ 『科学史技術史事典』弘文堂、原著1983年。類書のない 大変に便利な事典です。図書館で「バースカラ」なども引いて下さい。https://ci.nii.ac.jp/ncid/BN00072685#anc-library https://ci.nii.ac.jp/ncid/BN10870536 本Blogでは、ディー博士や カンパネッラ師の重要さに注目しています。この事典は ものすごく役に立ちます。
《 鋳型化ここまで 》
Fellow 武田 ( VR奥儀皆伝(8½)(68 ⅚)【注釈O】)
Blog TP-VR Attract.のトリビア 2024.09.29
Fellow 武田 ( VR奥儀皆伝(8½)(68 ⅚)【注釈O】)
Blog TP-VR Attract.のトリビア 2024.09.29
【おまけ】
※ 「蒸し夕顔(ウリ科の植物)」5分 https://www.youtube.com/watch?v=eAgrePkjaWs
※ TBSレトロスペクティブ映画祭 第1回寺山修司特集/ 映画『日の丸~寺山修司40年目の挑発』予告 1967年に放送され、放送直後から抗議が殺到し、閣議で問題視された「TBSドキュメンタリー史上、最大の問題作」と呼ばれた作品が半世紀の時を経て現代に蘇る。
【おまけのおまけ】
※ オペレッタ『メリーウィドウ』二重唱 Hanna-Elisabeth Müller & Martin Mitterrutzner - Lippen schweigen 2011
《「二重唱」の 分かりやすい解説と歌詞》オペレッタ「メリーウィドウ」のワルツと言えば、第3幕で主人公のハンナとダニロが歌う二重唱「閉ざした唇に」
ゾンバルト『近代資本主義』の記した 驚くべき結論ですが、なんと「資本主義」を成長させたものは、宮廷・高級娼婦の 奢侈的消費需要(衣服・装身具や香水など)の大量の消費、そして 近代国家の「陸・海軍」の備蓄装備、そして 戦争需要(兵器の消耗)など「流行のある消費財」だったそうです。そして、その結論を 歴史学者ブローデルが絶賛しました。 陽気なウィドウである 大金持ちの美女ハンナは(ルビッチ監督の白黒のアメリカ映画では)パリの Maxim の二階で 二枚目の大使館 随行員ダニーロ(モーリス・シュヴァリエ)から 高級娼婦と 間違えられて知り合います。(当時の Maxim 二階にいた 一流高級娼婦たちは 貴婦人を真似ていました。)やがて お互いにひかれあい 二重唱になります。
資本主義が 戦争と 高級娼婦で成長したことを示すために、この動画を選びました。
ラグジュアリーな商品開発 → 宮廷などでの消費 → 資本主義 の(大量消費型の)利益
しかし、本来の望ましい 持続可能な経済成長は、
感性の高い顧客がクラウドで支援 → 商品デザイナーの創造 → 持続可能な経済成長 … 次回以降に。
【( 8½ )総目次 】