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ジョージィのおとなりさんたち

【個人史】「人生って、とっても楽しいもの」
そんな風に感じている今日この頃。Blogでメモっておきたい。

嫌われ者ジョージィ: 恐怖の『オートクルーズ』(笑)

2007年09月17日 23時23分09秒 | Weblog
[個人史]: 車 疲労 居眠り 高速道路

書庫法のおかげで 引っ越し何回かまでは 駐車場を見つけるコトが出来ていたが、 十数年ほど前には 車はついに手放している。 その後は 借りたり、頼まれて運転したりして来たが おかげで 意外に幅広く車種をこなせるコトに満足している。

この記事は、 自家車を乗り回していた頃の記録である。

<序章>
車があっても近場で車を乗るほど無意味な事はない。 土日は特にサンデードライバーも増えるから 街中は余分な車で溢れるからだ。 いきおいバイクばかりを乗る事になるから 車が有っても 遠出用 にしか使わない。

<夜の高速道路>
夜遅く、千葉県・芝山町を発って 横浜への帰途についた。 東関東道の富里インターから入り、 (当時は)そんなに車の量も多くない高速道を 都心へと向かっていた。

私が乗っていた車には オートクルーズコントロール が付いており、 スイッチを入れるとその時のスピードが自動的に維持され アクセルかブレーキを踏むまで 車速は一定に保たれるのだ。 車量の少ない道路では面倒がない。 焦る必要もないので100Kmで速度をセットした。

<強烈な眠気>
都心に近づくにつれ、 やがて猛烈な眠気が襲ってきた。 窓を開けたりラジオの音を大きくしたりしても 眠気はだんだんひどくなる。

横の車線で追い抜いていく車の数も次第に多くなって来ていたが 車速は オートクルーズだから スピードの心配はせずに 眠気とだけ戦った。 戦うには戦ったが いつしか意識を失ってしまったようだ。 居眠り運転である。

<目前のストップランプ>
大きなカーブを曲がったところだったか、 気が付くと全車線一杯に車が渋滞しており、 前の車とは数十メートルしか距離がない。
『ぶつかる!!』 大慌てでブレーキを踏もうとしたが足が動かない。
 ・・・・・・

『あれ? れれれ..!?』 足は動かないのに (いつもと同じ) 前方の車の2~3メートル手前で 私の車は静かに止まった。 気づくと私の足はすでにブレーキを踏んでいた。

<奇跡のオートクルーズ>
「なんで?」「どうして?」 と自分でもすっかり驚いたが 意識がとぎれている間もしっかりハンドルを操作し、 渋滞に合わせて ブレーキまでもキチンと踏んでいたのだ。

すっかり目が醒めた私は 『自分自身が 完璧なオートクルーズ(自動航行装置) だ!』 と思わず大声で自画自賛してしまったほどである。 (他のドライバーにとっては 恐怖 の何者でもない)

<特異体質?>
運転に限らず、とにかく私は 自我(意識層)よりも 無意識層 のほうが何かと完璧に動作しているようなのだ。 この仮説を裏付ける出来事は生活の中でさまざまに証拠づけるものがあって、 私自身の生活ででも活用できている。

(記)

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嫌われ者ジョージィ: 子ども時代の事故(2)

2007年09月17日 15時50分02秒 | Weblog
[個人史]: 放任主義子育て 子ども時代の大事故? 危険回避

私は 小心者 だから、 幼児期の頃から 危ない場所には 「命がけの決心」 をして近づいていたから 結果的には何ごともなく 育っていった。

<自分自身の子どもの頃(2)>
自分の子ども時代を振り返ってみると、 いまでもフラッシュバックしてくる事柄がいくつもあるのだが 入院は皆無だ。

<自転車事故?>
私の個人史で特筆しておく事の一つが 自転車で冒険に出かけたとき、 山肌にあった牧草地で愉快に遊んでいたときの事だ。 引っ越し前の時だから 時期は小学校の1~3年位の時かと思う。

牧草地を自転車で駆け上ったり、 勾配に沿って下ったりを繰り返しながら遊んでいたときの事、 そろそろ帰ろうかと 山の上から下ってくる途中で突然の衝撃を受けて 自転車から放り出された。

<・・・・!>
ショックのあまり呆然としながら コトを見極めると、 杭と杭の間に張られた針金が残っていて、私の首を引っかけたのである。 声は出ないし、痛いし 泣きながらようやく家まで戻った。

職場から帰った父に怒られるかと思ったが 「気を付けないと死んじゃうぞ!」 で終りだ。

※ 当時の父も、事故直後に出会った大人たちも 納得できない表情で「首が切れる事もある」 と諭したが、 確かに いま思い出しても 私は 調子に乗ってブレーキも掛けずに山の上から下ってきたのだ。 前屈姿勢でしかも「のど仏」で一本の針金を受止め 後ろにはじき飛ばされたのであるから 正真正銘の ”ダイハード(死に損ない)” である。
私の首には のど仏を中心にして 一本の針金の紅い痕だけがくっきり残っていたのだから..。

大層痛い思いをした経験なので それ以後の私は 目に見えない(気づかない)何かがないか? と状況判断にはことさら努めるようになったのは云うまでもない。

(続)

※注:)当時の記憶では 眼前に比較的急な斜面が広がっている。 これだけの勾配を自転車で昇れる可能性は低く、 歩いて上り、眼下で見ていた友人に 「走って早駆け下り」 自慢したときの出来事かも知れない。 いずれにしても 針金には全く気づかなかった。

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嫌われ者ジョージィ: 子ども時代の事故(1)

2007年09月17日 12時35分44秒 | Weblog
[個人史]: 放任主義子育て 子ども時代の大事故?
(改めて云うまでもないが、 これは 個人史Blog であって、 政治・社会Blog ではない。 満足のできる 政治・行政ではないので 私としても 「死ぬに 死ない。」 総裁選で政治が 死んでいるこの期間、 個人史記録を頑張る )


子どもがケガをしたニュースが流れても 「大したコトでも無い」 と考えるのは、 私自身がいつも小さなケガをしていたからだ。 ただ近年の問題は 子ども自身の行為で 大怪我や死亡事故に繋がっていることにある。 子ども達の危険認識・危険回避能力が低下している事が大問題だ。

<自分自身の子どもの頃>
自分の子ども時代を振り返ってみると、 いまでもフラッシュバックしてくる事柄がいくつもある。

昔、 私の子どもの頃は 危険に満ちていた生活文化だった。
川に架かる橋は 欄干も無い 床板に穴の開いた 簡単な造りのものばかりで そんな橋を平気で渡れる大人たちを不思議に感じていた。( 参照

<三輪車事件>
同時期だと思うが、 買って貰ったばかりの三輪車に乗って 自宅近くの空き地(木工所敷地)で遊んでいたとき、 大きなダンプトラックが バックして迫ってきた。 三輪車に乗ったまま 逃げても逃げても 大きな後輪が迫ってくるので とうとう三輪車から降りて逃げた。 買って貰ったばかりの三輪車は 私の目の前で あっさり踏みつぶされペシャンコになった。

ダンプは 近所の子ども達の遊び場であり、毎年何人かは池に落ちて命を落としていた 大きな貯木池 に隣接した 木材置き場に大きな丸太を運んできたのだ。 場内で回転する余裕が無いから 道路から バック(後進)で入場して来たのである。

<自己責任教育>
もし仮にダンプに轢かれて死んでも 両親は 「自分の子どもの不注意だった」 で終わっていたことだろう。 たとえ柵もない大きな貯木地に足を滑らせ命を落としても 「子どもの不注意」 なのだ。 なぜなら 事故を聞いた子ども達でさえ 「どうしてはい上がれなかった?」 と、自分が落ちたときの状況を想像して 危険回避に結びつけていたのだから..

当時の親が 子どもたちに 『危険』 を教えるのに 必死 だったのは云うまでもない。

(続)

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