最近古い写真等を探しているのだが目的のものがなかなか見つからない。 目的のモノは見つからないのだが、珍しいものが出てきた。 以前母が「不要なモノを捨てていたら、こんなのが出てきた」と送って来たネガを焼いたモノだ。
時代は1960年代初頭頃だと思われる。 地方都市の中心である駅から1キロくらい離れた場所。 8月3日のBlog に記した住まい から奥へ50mほど離れた川にかかる橋の上だ。 (手前にある道路は現在、片側3車線ほどの大きな道路に変わっている)
川と言っても 用水路なので川幅は広くはない。しかし水量が多いので流れは早い。
この下流の百メートルほど先には 天然ワサビが群生していて誰でも自由に採っていた。私もよく 父のワサビ採りにつき合わされたものである。
母が座っているのが橋の4端を示す丸太のひとつである。
橋には欄干が無いからこの丸太と丸太の間を目印にして渡るのだ。 増水時を考慮して通常時でも橋上から川面までは1m以上もあるし、何か(事故等が)あっても運良く歩いている人はごく希だ。
たとえ小さな子供であろうと もし落ちたなら自力ではい上がる必要がある事は理解せざるを得なかった。 板張りの橋はところによっては穴(フシ)が空いているし、補修の板を打ち付けたところは出っ張っている。
子供心にも川を越えるときには 毎回必死の決意をして渡っていたものだ。
<持つ人が持たない人の為に>
写真を撮っているのは父ではない。
我が家は貧乏公務員であったから、たぶん仲良しだった友人のお父さんではないかと思う。
昔は持っている人が、持たない人のために何かするのはごく当然だった。
このときも母が頼んだか、私の友人のお父さんが気を利かせて記念写真を撮ってくれて、そのネガを渡してくれたものであろう。
後年、別な友人の家でテレビを買ったことで、私は連日あそびに行っては夕飯までも御馳走になってくるので、「迷惑をかけるから..」と我が家にもテレビが来た。 我が家にテレビが来ると、そんなに親しくないご近所さんでも「テレビを看せて」と気軽に頼みにくる時代だった。
外出中にトイレに行きたくなっても平気だった。
全く知らない家であってもノックをし「トイレ貸してください」と頼めば良いのだ。 1965年頃の団地住まいの時も、全く知らない人たちが我が家のドアを叩き、「トイレ」を頼みに来るので、その時には当然のごとく貸してあげていた。
<電話さえも..>
後年移り住んだ団地内のたった一件のスーパーには電話があった。 もし団地内に住む人と話がしたければ、スーパーに電話をかけ「○○棟△△号室のXXさんをお願いします」と頼めば店員さんはその家まで呼び出しに行ってくれるのだ。それがしごく当たり前だった。
この写真は私が、「将来の日本は変わる」と気づく8年ほど前の写真である。
時代は1960年代初頭頃だと思われる。 地方都市の中心である駅から1キロくらい離れた場所。 8月3日のBlog に記した住まい から奥へ50mほど離れた川にかかる橋の上だ。 (手前にある道路は現在、片側3車線ほどの大きな道路に変わっている)
川と言っても 用水路なので川幅は広くはない。しかし水量が多いので流れは早い。
この下流の百メートルほど先には 天然ワサビが群生していて誰でも自由に採っていた。私もよく 父のワサビ採りにつき合わされたものである。
母が座っているのが橋の4端を示す丸太のひとつである。
橋には欄干が無いからこの丸太と丸太の間を目印にして渡るのだ。 増水時を考慮して通常時でも橋上から川面までは1m以上もあるし、何か(事故等が)あっても運良く歩いている人はごく希だ。
たとえ小さな子供であろうと もし落ちたなら自力ではい上がる必要がある事は理解せざるを得なかった。 板張りの橋はところによっては穴(フシ)が空いているし、補修の板を打ち付けたところは出っ張っている。
子供心にも川を越えるときには 毎回必死の決意をして渡っていたものだ。
<持つ人が持たない人の為に>
写真を撮っているのは父ではない。
我が家は貧乏公務員であったから、たぶん仲良しだった友人のお父さんではないかと思う。
昔は持っている人が、持たない人のために何かするのはごく当然だった。
このときも母が頼んだか、私の友人のお父さんが気を利かせて記念写真を撮ってくれて、そのネガを渡してくれたものであろう。
後年、別な友人の家でテレビを買ったことで、私は連日あそびに行っては夕飯までも御馳走になってくるので、「迷惑をかけるから..」と我が家にもテレビが来た。 我が家にテレビが来ると、そんなに親しくないご近所さんでも「テレビを看せて」と気軽に頼みにくる時代だった。
外出中にトイレに行きたくなっても平気だった。
全く知らない家であってもノックをし「トイレ貸してください」と頼めば良いのだ。 1965年頃の団地住まいの時も、全く知らない人たちが我が家のドアを叩き、「トイレ」を頼みに来るので、その時には当然のごとく貸してあげていた。
<電話さえも..>
後年移り住んだ団地内のたった一件のスーパーには電話があった。 もし団地内に住む人と話がしたければ、スーパーに電話をかけ「○○棟△△号室のXXさんをお願いします」と頼めば店員さんはその家まで呼び出しに行ってくれるのだ。それがしごく当たり前だった。
この写真は私が、「将来の日本は変わる」と気づく8年ほど前の写真である。