乾坤

Win書道による書と雑感を書いています。書と雑感を併せて一つの作品となればと思います。

碧空

2005-02-28 09:11:04 | 
何故、空の色はみどりなのかと思うが、この言葉が好きだ。季節は冬ではないだろう。とおもうが、それ以上特定できない。

これから、出社。今日の空はどんな感じなのだろうか。そんな事を思いながら、冷たいドアを開けるのだろう。

月曜の朝は、いつも気が重い。

樹氷

2005-02-25 07:57:55 | 
昨夜来の雨も上がった。ここ品川は暖かいのだろう、残雪など一つも見つからない。窓の外は、暖かそうな陽射しがあふれている。

樹氷と書いて、私は焼酎を思い浮かべる。樹氷のイメージは、甲類だ。味の無い感じだ。何かサワーの様なもので割って飲むそんな感じなのだ。このイメージは、本来の樹氷の映像から浮かんでくるものであろう。

最近の私は、乙類のそれをお湯で割って飲む。かさ張るので沢山飲んだような気になる。暖かいのでアルコールの吸収が良さそう。日本酒よりも糖質が少なそう。などの理由だ。今までは、顔を赤らめることも無かったのだが、最近は一杯で頬を染めることもあるらしい。が、酒飲みが頬を染めるのは少し気持ち悪い。

以前は、ただ酔う為に酒を飲んでいたようだ。最近は、何の為に飲むのだろう・・・。はっきりとは自覚していないが、以前とは違ってきているように感じている。

流氷

2005-02-24 07:13:32 | 
また寒さが戻ってきた。遠くは無いものの春はまだ来ない。

一度、流氷を見てみたいと思う。流れてくる氷と言うものが想像できないからだ。見たいものオーロラ、蜃気楼、スフィンクス、万里の長城、極点、・・・。

見たら何か変わるのだろうか。変わらないであろう。しかし、大きな刺激になるのだろう。平常心を持ちながら日常に埋まらないようにしなければならない。そんな事を思っている。

春風

2005-02-23 07:56:46 | 
今日は春一番が吹くかもしれない。春はもうそこまで来ている。最近の肌寒さに辟易している私は、春が待ち遠しいのだ。

春風と書いているうちに、春風亭を連想してしまった。心和む落語が聴いてみたくなった。

天風

2005-02-21 09:19:46 | 
何時に無く黒が多い。私の作品らしくないようだが、形のとり方は、やはり私流だ。

何か違ったことを試みる。あるいは、違ったものが出来上がっても、根っこの部分までは変われない。きっとそこには大きな力が必要なのだろう。

空は青いようだが、今日も寒い一日となりそうだ。

2005-02-18 07:33:36 | 
虫偏の漢字を探していると、「虹」が浮かんできた。虹は何故虫偏なのだろうと気になりつつも調べることを放棄している。

以前、物理の先生からドーナツ状の虹の写真を見せていただいたことがある。虹は円らしい。写真を見たものの自分の目で見ないと信じ難い。

昨日、春から二十六年ぶりの学生生活が始まることが決定した。週一回だけの登校ではあるが大変だろう。否、楽しむことが肝心だ。

雨情

2005-02-17 08:03:43 | 
雨情という熟語は無いのだろう。しかし、頭の中に雨を思い浮かべるとこの言葉が浮かんできた。野口雨情の号が起因になっているのは間違いない。

まっさらな状態から、私は雨情と言う言葉を思い浮かべられたであろうか。きっと思いつかない。雨と言う字を使わないで、雨の雰囲気を伝えたい、そんな風に回り道をするに決まっている。

明日からまた雨。続けば少し哀しい。身勝手にもそんな風に感じる。

2005-02-16 10:01:09 | 
今日は雨。だから蛙。という訳でもなく偶然そうなった。

私は生き物が苦手だ。蛙などは触れないし見るのも嫌だ。小田原に常駐していた時は、車に轢かれた大量の蛙の干物を見ていた。まさにヒキガエルだ。などとくだらない事を思いつく。

久しぶりの雨がなぜか嬉しい。

蜻蛉

2005-02-15 07:54:28 | 
またまた季節外れ。虫偏の字を書く限り季節外れだろう。

蜻蛉と漢字で書いてみると何だかカッコいい。トンボとカタカナだと鉛筆を想像するからかもしれない。

以前宮崎に行ったときに大量のトンボを見かけた。そこで、紙飛行機を飛ばすとそれに集まってきたことを思い出す。東京では信じられない数のトンボであった。

今日の蜻蛉は、何蜻蛉だろう。赤とんぼ、オニヤンマ、糸トンボ・・・。

2005-02-14 07:58:04 | 
鰈からの連想で蝶となった。蝶からの連想で蛾も挑戦したが、書の題材として蛾は成り立たない気がした。朔太郎の様な才能と勇気が無いのであろう。

では、蝶は書の題材として成り立つのだろうか?と考えると甚だ危うい。それは最近の作品全てについて言えることだ。一字書の限界を感じる。

だから、言い訳のように私は文章を打ち込むのだろう。