乾坤

Win書道による書と雑感を書いています。書と雑感を併せて一つの作品となればと思います。

手島 右卿

2004-06-30 19:40:08 | 
彼の小字数作品は、外国の方にも理解されるのであろう。定着されたイメージが文字の意味を代弁してるかのようだ。

私は彼の作品が好きだ。良い悪いということを抜きにして好きなのである。小字数ではなく詩文になっても外国人に理解されるのだろうか。そんなことも考えないではないが、それは野暮なことだろう。

造形的な美しさ、墨の滲みの美しさ、冴え渡る墨色、それらが字の持つイメージを的確に表現している。それが、説明的ではなく自然と行われている。

日本や東洋という限定された世界の美ではない。そう考えるのは私だけではないであろう。私は、彼の書を見ながらピカソが書を書いたらどんな作品となるのだろうかと想像を楽しんでいる。

副島 蒼海

2004-06-29 19:17:08 | 
蒼海の奇抜な書は意匠的な作品ではあるが、作意を感じさせない自然さがあるように思う。私は、彼の作品全てがこのような作品なのかと思っていたが大きな間違いであった。

九段下の玉川堂に飾られていた行草の一幅は清清しく強かった。こんな感じの物も書いているのだと知り驚いた。きっと、このような書も奇抜な書も同じレベルで書かれているに違いない。

一貫された思想の中で作品が作られ、その作品の表現方法が変化に富んでいる。そのことに、私は彼の偉大さを感じる。

熊谷 守一

2004-06-28 18:44:08 | 
彼の円相が印象に残っている。ただ円が書かれているだけなのに良いなと思う。単純にして深いと言う事なのだろう。落款もここしかないという場所に決まっている。

円相は書というべきなのか。否、書と呼べるのだろうかと、いつも疑問を感じる。文字を書いていないからである。文章では無いからである。しかし、円には東洋的な思想が込められているようにも思う。

そんな事を考えることは無用なことなのだろう。彼の円相を見ていると心が澄み、時間の過ぎることを忘れる。彼の絵も好きだが私は書に心引かれる。

良寛

2004-06-25 06:54:43 | 
良寛の書は実物を見るまでは、その良さが理解できなかった。世間では彼の書が評価されているのに私にはその理由が分からなかった。異様に痩せた線、まるで硬筆で書かれている用に感じ、筆の線が持つ、ふくよかな線が一本も無い事を受け入れらずにいた。

そんな思いを持ちながらも、新潟の木村家を訪ねた。そこで、何枚もの良寛の真筆を目の当りにして今までの思いは一変する。細い線ではあるが、肉があり、筋があるのだ。細いが痩せてはいないのだ。アスリートの体という感じであろうか。目から鱗が落ちた。そして、実物を見なければ書は分からないと感じた。

それ後は、本からでも良寛の書が楽しめるようになった。良寛の書は素晴らしい。しかし、その書を越えて、私は良寛の歌が好きだ。

會津 八一

2004-06-24 06:17:50 | 
私が一番好きな字は會津八一だ。毛筆は勿論のこと、ペン字が亦良い。そして、字に添えられている絵もまた楽しい。
八一の字は実物と写真の差をあまり感じない。美術館で眼前で見るのと本の写真で見るのとの差があまり無いのだ。美しさの対象が造形に拠るところが多いからであろうか。
會津八一は書家ではなく、歌人であり学者である。彼の作品多くは自詠の歌であるが、多くの漢文の作品も残している。そして、その歌も漢文も同じ美の理念で書かれているようである。
彼の作品は素晴しいが、それを越えて素晴しいのが作品メモではないだろうか。ノートに題材のデッサンがペンで書かれている。
そして、多く残されている手紙は息づいた線が、読むの者の心に迫る。

彼が亡くなってどのぐらい過ぎたのだろう。彼の書は勿論のことも歌も忘れ去られないで欲しいと願や切なるものがある。

墨を磨る

2004-06-23 06:52:28 | 
私は墨を磨るのが好きだ。幽かな墨と硯の触れ合う音が快い。墨の濃さが墨を磨る手から伝わってくる感覚も楽しい。そして仄かな墨の香が心を落ち着かせる。
葉書を書くぐらいであれば直ぐに磨り終えるが、展覧会用の大きな物の時には一日がかりの作業となる。普通の人からすれば只の退屈な時間に違いない。
私は墨を磨りながら、本を読み、作品の構成を考え、色々な事を思う。この時間が作品を作成しているような気がする。九分九厘磨り上がった所で一晩寝かせる。墨の粒子が安定するようにというよりも気持ちの昂ぶりを抑える為のようだ。
私にとって墨を磨るという時間は単に墨を濃くするという作業ではない。作品を作成する大事な過程だ。そしてその時間が私の心を研ぎ澄ませていく。

書の面白さ

2004-06-22 19:12:42 | 
書の魅力はどこにあるのだろうか。
・白と黒の世界の美しさ
・空白の美しさ
・墨の滲みの幽玄さ
・作家の滲み出る人間性
・書かれてる文章と表現

十人十色、まだまだ沢山あるに違いない。

私は気になる書を見つけた時に、美しさを始めに感じている。そして暫らく眺めているうちに、文章を読み始める。読める場合も読めない場合もあるが、良い書は読んでみたいと思う。書は文章が書いてあると知っているからであろうか。否、良い書は読ませる力を持っている。そして、文章を読みながら、その書が好きになったり、そうでもなかったりする。文章がつまらない時、書がつまらない時は後者となる。
書の魅力は多々あるが、私にとっては文章と書の表現の鬩ぎ合いが一番の魅力だ。