乾坤

Win書道による書と雑感を書いています。書と雑感を併せて一つの作品となればと思います。

2006-06-29 07:07:50 | 
昨日は久しぶりに焼き物を焼く。乾かしておいた皿三枚を素焼きした。今回は素焼きは上手くいった。調子に乗って、釉薬を掛け、お気に入りの一枚を本焼きした。

失敗であった。釉薬が濃すぎたようだった。そして焼きすぎだった。釉薬がブクブクとなっている。薄すぎると思っていた部分はきれいに焼きあがっていた。皮肉なものだ。失敗は成功の母なのだろうが、なかなか上手くゆかない。この分では何人もの母が必要となりそうだ。

あまり気にしていなかった皿は、釉薬も薄くしたので案外と良く焼けるかもしれない。力を入れている物は失敗し、それほどでもない物は上手くゆく。女性関係と同じかもしれないと思う。とはいえ、その道には暗いので、悲しいかな想像でしかない。

今日もよい天気。残りの皿を焼くことにしよう。出来栄えは神のみぞ知っているのだろう。

お腹がグーとなった。

曲則全

2006-06-28 08:02:32 | 
荷物も届き、ようやく生活するスペースが出来た。とはいえ、まだ開いていないダンボールは山のようにある。今週末にもう一度残った荷物を運び出し終了の予定。また、山のようにゴミを捨てなければ・・・。

今回の引越しは、妻の生活していた場所への引越しだった。それは、二重の手間がかかる。荷物の送り先の整理も行わなければならないからだ。何もない空間に荷物を入れられる普通の引越しが羨ましい。

少し片付いたので、今日は少し遊ぼうかな。妻の干し忘れた洗濯物を干しながらそんな事を思うのだった。

2006-06-25 08:53:34 | 
第一回目引越し。どうか雨は降らないように!

慌ただしく一日が始まった。

織部皿

2006-06-24 07:35:27 | 雑感
瀬戸の「かまがきのこみち」で見つけた織部の皿。奇抜なところは無いが、何を載せても感じが良い。濃い緑が何にでも調和するのだろう。デジカメでいいかげんに撮った写真ではその色合いが出ないのは残念だ。

引越しの支度が少し進む。昨日は蒸し暑く荷造りは地獄の作業であった。名古屋から来た妻も連日引越し先の準備に追われあまり寝ていないらしい。ある程度めどが立っていたのでビールを飲んで早寝を決め込んだ。

あと一息だ。・・・あって欲しい。

2006-06-23 06:30:02 | 
日曜日の第一回搬出を控え、引越し準備も佳境とならなければならないのだが、一向に捗らない。目の前の物の多さに辟易としている。

さらに洗濯物まで溜まってきた。

いざ覚悟せよ!物を捨てろ!洗濯機を回せ!

などと力強い言葉を並べながら、妻の来るのを待つのだろう。初ETC大丈夫だろうか?

そろそろ洗濯機だけは回すことにしよう。

湯呑2

2006-06-22 16:53:22 | 雑感
最近お茶を飲まない。以前は紅茶をよく入れた。どうやらペットボトルのお茶を飲み始めてから、お茶を入れるという習慣が途切れた様に思う。

お茶を入れるという行為は、喉を潤す為ではなく、心を和ます為の行為なのであろう。

引越しが終わったらお茶を入れてみようと思うのだった。

湯呑

2006-06-22 07:56:46 | 雑感
湯呑茶碗に絵付けをした。まずまず思ったものが出来上がった。

引越しを控えてレンジを知人に譲った。レンジが無いと、不便であることに気が付かないでいた。冷凍食品も冷蔵庫の冷えた食品もチンできない。こんなにもチンする機会が必要だとは思わなかった。

温められないので、温めなくても美味しいものを探すのだが、あまり見当たらない。既にチンできることを前提に世の中は動いているのであろう。

一食で食べきれる量を作ればいいのだが、一人暮らしの量というのは難しい。少し昔は如何していたのだろうか。幼き日の事を思い出しながら、家族の人数が違うと再認識したのだった。

万里横行

2006-06-21 08:25:16 | 雑感
絵付けは楽しい仕事だ。だが、一瞬で終わるので何枚も描くと私としては莫大な出費となる。

蟹の絵に万里横行と書いて見た。描き過ぎでうるさいと思った。焼きあがったものを見ても同じ感覚だ。

家に帰って、野菜を盛り付けたとき、その表情は変わった。部分的に隠れたことによって風情が出てきた。

食器は単独で味わうべきなのだろうか?あるいは、何かが盛られることを想定して作られる物なのだろうか?

隠れることによって物が活きる。とても不思議な感覚であった。

抹茶茶碗

2006-06-20 09:27:47 | 雑感
瀬戸で気に入った抹茶茶碗を見つけた。買おうか買うまいか迷ったが、結局買うことにした。私は抹茶など家では飲むことは無い。さてどうしたものか・・・。

私はその茶碗でご飯を戴くことにした。少し食べにくい感じもするが、どんぶりよりは小振りでご飯茶碗よりは少し大きめの大きさが良い。ここに軽くご飯を盛り、目玉焼きをのせて食べてみる。美味しかった。

器は使ってこそ器なのだ。器は見るためだけのものではないと、再認識したのだった。

焼けた向日葵

2006-06-19 08:12:00 | 雑感
ただ真っ黒なのも味気ないような気がした。赤茶色の釉を重ねて焼きなおしてみる。懸け離れてはいるが思っていた構想が少しだけ確認できた。

色を使い出すと際限なく色を使いそうな恐怖感がある。たとえばこの皿ならば、黄色であり赤である。黒くこげた向日葵に少しの黄色と赤のアクセントを入れたいような気がする。

でもそれでは、焼き物ではないような・・・。

まだ確実に焼けるわけでもないのに、気分だけは陶芸家なのだった。