乾坤

Win書道による書と雑感を書いています。書と雑感を併せて一つの作品となればと思います。

2006-09-29 08:42:36 | 
林檎のり。リスのり。ありきたりだが、これしか思いつかない。

昨日は仕事の面接。勿論するほうではなくされるほうだ。営業は、嘘でもいいから出来ると言えと暗に仄めかすが、私は正直に真実しか話さない。その方が、面接する方には良い印所を与える事を知っているからだ。取り合えず入ってしまえばどうにかなるという考えは、相手先にも働き手にも益をもたらさないと思う。

こんな面接があるとぐったりする。いい人たちと仕事がしたい。私は単純にそう願う。

2006-09-28 06:39:03 | 
ラベンダーのら。ラベンダー畑を想像してみるものの、何も浮かんでこない。名前だけを知っているだけで、それ以上の情報が無いからだ。何も無いから何も浮かばないというのは、大人だからの様に思える。

子供の頃を思い出してみる。名前しか知らないものを想像して楽しむ事が出来たような記憶がある。想像した結果が実物と違っているとかは無関係に、それを楽しむ事が出来た。今の私は、想像ではなく予想のような行為しか出来ないのだ。

想像。空想。夢想。妄想。想う方法は色々ある。しかし、私は現実しか見れなくなっているのかもしれない。

2006-09-27 08:03:14 | 
世も末のよ。悲しい事件が起こる事とは無関係に、我が家はこの頃緊張感が漂っている。一発触発、そんな感じなのだ。二人とも何処か苛立ち気味でゆとりが無い。一つ発言を間違えると喧嘩となる。

お互いを気遣っていない訳でもない、むしろ、相手を気遣った言葉がその発端となることが多い。皮肉なものだ。と書きながら、喧嘩の真の原因が薄っすらと浮かんできた。

気遣う。おそらくこれが原因だ。思い遣るのではなく、気遣うの様な気がする。言葉遊びなのかもしれないが、この微妙なニュアンスの差がそれのように思う。

窓を打つ雨を眺めながら、酒を飲る。秋だ、と思う。そんな雨も今朝は上がり、明るい日差しが差している。

なす

2006-09-26 06:46:13 | 雑感
久しぶりに髪の毛を短くした。天然パーマの癖に煩わしさを感じていた事もあったが、何か気分を変えてみたかった。結果、気分は変わらずに見た目が変わった。

秋茄子は・・・の季節になった。茄子は好きかと考えると、微妙だ。決して嫌いではないのだが、好きなのかと思うと、積極的に好きなわけでもない。それは、茄子料理というものを私が想像できないからである。せいぜい思いつくのは、麻婆茄子。でもこれも味の中心は刺激的な辛さにある。

それでも、浅漬けの茄子での朝食を忘れる事は出来ない。茄子は不思議な食材だ。

2006-09-25 07:05:33 | 
愉快のゆ。数日笑っていない気がする。テレビのお笑い番組を見ながらゲラゲラすることはあるのだが、それは可笑しいのであって、愉快ではない。体から染み出るような楽しさを感じていないのだろう。

壁の電波時計を見ると4時間も遅れた状態で時を刻んでいる。何万年で何秒ではなかったのか?流石にこれだけずれていると間違えないですむ。

愉快な事件が起こるはずも無く、普通の一日が始まる。

2006-09-24 08:21:59 | 
やなこったのや。少しへそ曲りの私は、頼まれ事も素直にはしない。少なくても、エ~と言うような声を出し拒否の姿勢を見せる。毎度の事なので、そんな事はお構い無しに妻の頼み事は、半ば命令と変わる。きっと妻は鬱陶しいに違いない。

なんだか判らないが、そうしなければいけない、そうしたいことがある。子供でもしないような他愛の無い事である。

休日の朝、妻は吐息を立てて眠っている。そんなときの私の衝動は・・・。書かぬが花・・・。

2006-09-23 08:50:12 | 
もしかしてのも。

義母さんとの同居を視野に入れて、近所に仕事部屋を借りた。そのため、ここ数日プチ引越し。妻は仕事に行っているので独りだけの肉体労働だ。

引越し先は3階。エレベータは無い。少しづつ荷物を運び息の切れないようにするが、汗まみれとなり無論息は途絶えがちとなる。長時間は出来ないので、1時間だけ荷物を運び後はその整理をする。

その肉体労が功を奏したのか、ぐっすりと眠れるようになった。途中で目覚めることなく朝を迎える事が出来る。やはり体を動かすという事は大事な事なのだろう。

この生活か続けば、私も筋骨隆々に・・・。もしかしての話でしかないようだ。

2006-09-22 07:55:04 | 
面倒くさいのめ。いつもいつも、面倒くさいなぁと思う。そう感じる人がいるから便利な世の中になったのだろう。無洗米なるものがある。ご承知のように水を入れるだけで準備が完了する。だが、よくよく考えてみると米を研ぐ時間は大したものではない。つまるところ、面倒と感じる事は作業量であるよりも心の問題という事である。カップ麺も同様の感情を突いたものであろう。

知らぬうちに誕生日が来ていた。妻の「ケーキを買いに行こう」でようやく気が付いたのだ。その言葉を聴いた瞬間の印象は勿論、面倒くさいであった。

2006-09-21 07:25:28 | 
虫のむ。

帰宅した妻と買い物に出ると回り中から虫の音が聴こえてきた。鈴虫だけでなく色々な虫が争うように鳴いている。秋を思わせるには少しばかり騒々しい。

虫に興味の無い私には、鈴虫の音しか判別できるものは無い。しかし、これだけ色々な音色がしていると、どんな虫なのか知りたいと思う。

虫の音を聞きながら、月を眺める。月の中に兎がいても良いと思う。やはり秋は何かを思う季なのだろう。

その時、お腹の虫が鳴いた。

2006-09-20 07:51:10 | 
蜜柑のみ。子供の頃は蜜柑といえば年末からお正月の果物だった。しかし、今は一年中ある。あると書いたのは、私は冬にならないと口にしないからだ。特に拘りがあるわけではないが、夏に小さな蜜柑を食べる事は無い。もしかすると高価だから食卓に上らないだけの事かもしれない。

夏蜜柑。蜜柑。蜜柑ではあるが、まるで違う。大きさ、酸味、食感、香り。私は夏には少し酸味・香りの強いものが好きだ。体が求めるのだろうか。

エアコンによって、味の好みが変わってきている。暑さ、汗、咽喉の渇き、それらと共に味わう感じが薄くなってきている。一切れの西瓜で満足してしまう私。それは歳のせいではなくエアコンにある。