乾坤

Win書道による書と雑感を書いています。書と雑感を併せて一つの作品となればと思います。

2007-03-31 05:50:21 | 
まだ早朝なので、弱弱しく吼えてみた。吼えるは、もっと荒々しいほうが良い。

私の字には、荒々しいものはない。やはり、性格が現れるのかもしれない。しかし、自分の性格ほど分からない物はない。

羊の皮を被った子羊。きっとそんなところのように思う。

「悪魔のような奴。」そんな声が何処かでしている。

2007-03-30 10:24:43 | 雑感
久しぶりに朝から仕事することが出来た。やはり仕事は朝からやるものだ。爽快感が違うような気がした。

以前から気になる書がある。イラストレータの方の実験的と思われる作品だ。その方の書は連続した曲線や直線で構成されている。画という断続するイメージが無い。文字を書く固定観念がないことが上手く作用しているのかもしれない。

私は、良いにつけ悪しきにつけその観念から逃れることが出来ない。求めているものが違うとは言え、新鮮さを感じ、そのセンスの良さに魅せられる。

実験的に試してみる。画のイメージが、というより体がその様には動かない。それが形骸なのか、習練なのか。作品に問うしかないのであろう。

2007-03-29 17:40:09 | 
桜の花が咲き出した。

二、三分咲きのものを妻はポップコーンの様だと言う。

所によってはほぼ満開。少し前まで寒さを感じていたのに、すっかり春めいている。

桜だけでなく公園の芝も、もう直ぐ一面緑に変わってゆく勢いを感じる。

春の気分を感じながら、妻と私は目を擦りくしゃみをするのだ。花粉も多いようだ。

2007-03-28 09:44:56 | 
苺が好きな理由は面倒くさくないから・・・

小振りの甘酸っぱい感じのものが好きだ。あまりに大きな苺はランチュウを想像するので私の好みではない。

面倒くさいと書きながらも、果物を剥いてくれるのは大抵は妻である。ならば、私にその差があるわけでもないのだが、誰がするということではなく、剥くという行為が面倒くささを想像させるのだろう。

同様に蟹も面倒な食べ物だ。蟹缶が冷凍のそれよりも高価な理由も私には納得が行く。

面倒な事が嫌いなのに、手仕事が好きだ。書、陶芸、模型飛行機。どれも面倒といえば面倒だ。面倒だから楽しいと言う所があるようにも思える。

それでも、苺の手軽さが私は好きなのだった。

偶成

2007-03-27 11:46:21 | 雑感
昼食が美味しいと感じた。久しぶりの事であった。

日一日と感じるという事が少なくなっていっているように思えるときがある。そんなことを思っても刹那的に過ぎ忘れ去ってしまっている。

あっという間に年度末。本当に歳を重ねるごとに時間の過ぎるのが早くなる。

2007-03-26 17:24:57 | 雑感
体調が思わしくないからか、何年かぶりで花粉症に悩まされている。目が痒く、クシャミ鼻水に悩まされている。ここ数年、殆んど症状も無かったので安心していたのだが・・・

体調が悪いから、仕事がつまらないのか。仕事がつまらないから、体調が悪いのか。私の場合は極端に両方が影響しあう。良い時は良いのだが、悪いとなると始末に悪い。性格の為か上手く折り合いをつけるということが出来ない。

断。その文字が浮かんできた。

2007-03-23 10:56:31 | 
「曲則全」。好きな言葉であるが、今は言い訳のようにしか感じられない。

曲がらなければ折れる。曲がり過ぎれば、芯が無い。

まるで、飛行機の胴体のようだと思いながら、自分の生き方に思いが重なるのだった。

外は春の陽気。なかなか、気分と気候が同調しない。

2007-03-21 16:43:26 | 
さっき素敵は花の名前をお伺いしたばかりなのに、その名前が浮かんでこない。それが、どんな花なのか知らないが、とても可憐な名前だった事だけが頭に残っている。素敵な事を知ったという現実だけが残り、結果が残っていないのだった。画像というもう一つの印象が足りなかったからなのだろうか。

窓を通り越してくる光が少し力強くなったようだ。

処々

2007-03-19 20:17:52 | 
寒風の吹き荒れる中にも、風の穏やかな場所があることを知る。

目の前ばかりを見ていてはいけないのかもしれない。少し他を見る余裕が必要のようだ。

2007-03-16 10:04:26 | 
心が濁っている様な気がする。おどおどして何処か犯罪者のような気がするのだ。

春めいた外の明るさが眩し過ぎる。

そんな私に気が付いた妻は、何気なく笑いを誘うような話をしてくる。我慢しきれずに笑ってしまう。と・・・。少しだけ心が澄んできたような気がした。笑いを忘れていたのだ。

どんなにブルーでも、微笑もうとする彼女の姿勢が私を救っているのかもしれない。