「死ぬより老いるのが心配だ」とはある詩人の言葉です。蓋し名言かと。
80歳を何歳か過ぎたこの詩人は(アメリカ人)死亡記事に興味を持つ。
故人の年齢と己が年齢を比較して、思いを馳せるらしい。
時に死亡記事が気になる私は、桂冠詩人と言われる人と
同じような見方をしていて「光栄」に感じました。
神の手(ハムサ)イスラムの護符
その昔、今のような争いのない時代、亡夫が宗教関係のグループの人たちと
イスラエル、ゴラン高原など旅した時のお土産に買ってきました。
今はネット時代、検索してみたら数々の「ハムサ」が売られていて驚きました。
多くの方からあなたは大丈夫とか、まだまだとか言って頂けますが月日は止まりませんから。
先日知人が亡くなりました少しだけ上の方です。
ピンコロで逝きたいですとよく言われました、母はそうだったのですが72歳は早すぎました。
怖い思いも痛い重いも嫌です( ゚Д゚)
死についても老いについても無駄に?「心配」が心を占めだすときついですよね。
ポジティブ思考が言われますが、心身の老化を受けとめながら食事や運動など
日々意識しないといけなそうですね。
ものぐさな私は気まぐれでもあって、その意識が続きません。
することしないで、無駄に心配ばかりを先行させないようにしませんと…。
80過ぎの詩人でも老いを心配するようですね。
銀河系のスケールから見れば、老いや死はケシ粒
にも満たない存在ですが、老いの一日だけは大切
に生きたいものです。
月に2回(?)縁日がたちまして、
「満願」に達すればPPKが叶うと言われています。
縁日は大賑わいです。
屋台には老人向けの商品など並んでいます。
誰の思いも同じなのですね。
体力を覚えているらしく、時に悲しい思いに
なるのだと思います。
平均寿命をはるかに過ぎますと
周りの友人知人が一人、また一人といなくなりますから
その当座はいやでも死についてのことが
頭をよぎります。
四六時中思っているわけではありませんから
大丈夫です。
スケールのようですね。
そのスケールで日々の、年々のスケジュールを考えておいでのことに心から尊敬します。
確かに仰せのように残された日々を丁寧に
楽しく無駄なく過ごしたいと思います。
それがまた難しいことではありますが・・・