今年の千両は鳥にもやられず「豊年満作」庭のあちこちに赤い実をつけています
わが身一人を処すのも大変になってきた。今までと同じ家事雑事なのに忙しいとは?
忙しいの文字には「心が亡くなる」と言う意味があります。
私の場合は心が亡くなるほどの忙しさではないが、なぜか忙しさに追われています。
30分家事なり何かをすれば30分休憩、1時間頑張れば1時間休憩。
これでは時間が足りないはず。忙しさの原因は体力にありました。
痛い痒いはお医者さんが治してくれますし、お薬もいただいています。
「老い」ばかりは何とも致し方ない、抗えません。
「老いは闘うものではなく、受け入れるもの」とはどなたかの言葉です。
受け入れるしかないもののようです。
私のように出歩かない方が忙しいと言われています、
その方は毎日拭き掃除をされ息子さんのお弁当など私とは比べものになりません( ;∀;)
私は部屋がいくつもあっても居間とキッチン、次は居間とトイレなど手抜きです(#^^#)
そして私はあと数年でホームに入る予定ですこの家を任す方も決まっています(#^^#)
潔いのです。
老人ホームには驚きました
潔い方とは知っていましたが、ここまでとは
びっくりです。
私はあなたの対極にいます。
お家を任す方?私には理解できません。
貴女の爪の垢でも・・・・
老いは受け入れるものですね。でもだからどうって
思いますね。受け入れてはいますが
それなりに幸せであれば良いのだと思います。
楽しく笑って過ごせてそれが一番、
それから痛みはお医者さんでも私の場合完治してくれないです。うまく付き合うということのようですね〜
せんならん!ということは最優先で、あとはボチボチ。
したいことをする時間を生み出すことに気が行って、
私は怠け者だなあと思っています。
時間の使い方も、やはり年齢とともに変わってきた気がしますし、
もちろん体力や意欲にも変化が。
それを認めながら、やはりしたいことができる時間づくりに邁進?です。
受け入れようが拒否しようが「敵」はやってきます。
お医者さんも完治はありません、
私の場合は(リウマチ)発症以来薬を飲み続けています。
この服用は終わりはありません。
それでよしと思っています
課しました。
己に課した事柄は、守りたいですし
守らなければ堕落します。
みなさんからいただくコメントも嬉しく、楽しみなのです。
一年前にできたことが、できなくなりました。
いやいや、私の場合半年単位で「老い」は迫ってくる感じです。
姿に頭が下がります。
今はしたい事や出来ることしかやらないので、忙しさ
を感じることはありません。
ちょっと堕落していますが、老いには勝てません
ので、歳に免じて許してもらっています。
老いを道連れに、気ままな暮らしが憧れでした。
言っておられましたが、さて?
未知の世界と聞けば、わくわくしますが
この未知の世界はそれはありません。
情報の氾濫で知識は得ていますから
未知とは言えないように思います。
「老いを道連れに、気ままな暮らしが憧れでした。
」とおっしゃっておられますが、飛騨の暮らしも
体験なさり、十分達成なさったと思います。