地元なのに誰にも知られていない女医・竹澤さだめ
苦労してドイツへ留学し、肢体不自由児の教育と医療に短い生涯をささげた。
昭和18年、39歳の若さで結核のため亡くなった。
昭和6年生まれの私と12年間同じ空気を吸ったことにも驚きました
ドイツの「クリュッベルハイム」のような肢体不自由児のための機関を
造るべく医学の道に進み、吉岡弥生創立の東京女子医専に入学。
当時とても多かった「先天性股関節脱臼」を研究対象とした。
何と私がまさにその障害で5年半前人工股関節置換手術を受けた。
私が知る女医と言えば荻野吟子
楠本イネ
イネはかの有名なシーボルトの娘
この時代女性が医師になることの大変さは想像にあまりあります。
吟子、イネの二人はよく知られていますが、今日の主人公竹澤さだめは
全国的とまでは言わないが地元の人にも知られていないとは。
「立派な人」がまだまだ地元に埋もれているかもしれません。
西先生が掘り起こされて、竹澤さだめさんは喜んでおられるでしょう。