goo blog サービス終了のお知らせ 

甘い生活 since2013

俳句や短歌などを書きます! 詩が書けたらいいんですけど……。

写真や絵などを貼り付けて、二次元の旅をしています。

「寅次郎サラダ記念日」1988

2017年10月16日 18時37分31秒 | だいたい映画、ときどきテレビ

 さて、昨日、土曜の夜の恒例は「寅さん」で、シリーズ第40作の「寅次郎サラダ記念日」(88)を見た。

いつもならこっちもストーリーにのっかって、寅さんの活躍に笑い泣きするのだが、今回は寅さんよりも当時の風俗が気になった。たしかに前年のベストセラーからヒントを得たこの作品は、当時の若者像の一端をすくったものなのであろう(少し作られすぎという感もあるけれど……)。

 尾美としのり、三田寛子、満男役の吉岡秀隆らの若者像は、ボクとは少し年代がずれるのだが、自分もああいう時代にヒーコラ生きていたのかな、と懐かしいやら、面はゆいやらで、その時代に輝かしいW大生なんて! 何かうらやましかったのである。それほどにこのころは思い出すだけで少し生活は不安定だったけれど、楽しい新婚時代だったのである。

 寅さんは小海線に乗っていたのだと思う。ひよっとして信越本線かもしれないが、ディーゼル二両に乗って小諸駅に到着。ここでバスを待つ。そこで鈴木光枝さん扮する一人暮らしのオバーサンに出会う。そのままオバーサンのおうちに泊めてもらうことになり、翌日小諸病院の医師である三田佳子さんが迎えに来て、そのままオバーサンは入院、寅さんは三田佳子さんに少し惹かれるが、懐かしさを残して柴又に帰る。

 小諸で出会った三田佳子の姪・三田寛子がワセダの学生だったことを思い出し、都電荒川線でワセダに向かう。ここで教室に上がり込んで寅さん節を披露、大喝采を浴びる。教授役の三国一郎もたじたじとなる。

 三田佳子・寛子らが柴又へ遊びに来て、とらやファミリーと出会い、のんびりした時間を過ごした後、オバーサン危篤の報を受け、三田寛子と尾美と寅さんで小諸に向かうが、臨終には間に合わなかった。かくして寅さんはまた旅に出かけ、長崎の島原でお正月を迎える。

 例によって寅さんの接近遭遇は柴又駅での見送り場面、別れ際に三田佳子さんと握手をするところと、オバーサンが亡くなった朝、感極まった女医さんが寅さんに寄りかかるところの二場面用意されていた。どちらもそれなりに切なくて、ここで頑張ればうまく成就できるのかもしれないが、渡世人を自認する寅さんは堅気の女性である三田さんから決まりであるかのように遠ざかっていく。このいさぎよさ・ルールを守る真面目さにボクは心打たれるのだ。

 人間なら、ルールを破ってメチャメチャをしたい時だってあるだろうに、若さもあればそれも可能かもしれないが、ある程度の年齢を重ねた男としては身を引かざるを得ない、これが寅さんのダンデイズムで、それが魅力なんだと思う。……何を今更というところではあるが。

 さて、かくして寅さんは40回めの公開失恋をした。20年目だったという。第1作が1969年で、ボクが小学生のころだ。それからずっと同じようなパターンで、20年を経過してもやっていた。

 そして渥美清さんが亡くなってから10年以上にもなるが、こうして作品を見ていると、今もどこかの町でテキ屋稼業をやっていそうで、こうした人情味溢れる人々がどこかにいないものかと思ってしまう。けれども、旅もしないし、外にもめったに出ないボクなんかには出会うチャンスはない。

 寅さんは映画の中の人で、日本人の旅人のエッセンスを持ったキャラクターだ。

 太宰治や、芭蕉さんが現実の旅と作品世界とでは違うキャラであるように、現実の渥美清さんと寅さんは当然違う人ではある。それは頭ではわかっているのだが、ついつい映画の中の寅さんのような人こそ、我ら日本人が心のどこかに持っている、あこがれの旅人だ。寅さんに会ってみたいと思うのである。無理とはわかってはいるのだが、でも……。

 32作「口笛を吹く寅次郎」(83)竹下景子 岡山の高梁市

 33作「夜霧にむせぶ寅次郎」(84)中原理恵 釧路

 34作「寅次郎真実一路」(84)大原麗子 鹿児島

 35作「寅次郎恋愛塾」(85)樋口可奈子 五島……見逃した! 残念!

 36作「柴又より愛を込めて」(85)栗原小巻 美保純 下田・伊豆神津島

 37作「幸福の青い鳥」(86)志穂美悦子 福岡・田川市 11/04

 38作「知床慕情」(87)竹下景子 斜里・ウトロ・羅臼? 11/11

 39作「寅次郎物語」(87)秋吉久美子 和歌山・吉野・伊勢志摩 11/18

 40作「寅次郎サラダ記念日」(88)三田佳子 小諸……島原 11/25

 日本を股に掛けて旅した寅さん。32作から真面目に見るようになったのだが、こうして書き上げてみると、ボクが行ったところと、行ってないところがあって、しかもボクなんかは頼りない、人との関わりを拒否して風景・光景だけを見る旅人なので、誰にも出会わないし、深い印象もないような気がする。やはり旅は人なのだけれど、それをボクらはつい忘れてしまう。

 おそらく芭蕉さんも、俳句作ったり、教えたりで忙しかったと思うのだが、決してドラマチックな旅ではなかったと思う。作品世界の中でだけいろんなことを経験する旅人になっているのだろう。

 そう、実際の旅はだれでも貧しいものなのだと思う、それを輝かせるのは後の思い出効果によるものなんだろう。(2006.11記)


最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。