甘い生活 since2013

俳句や短歌などを書きます! 詩が書けたらいいんですけど……。

写真や絵などを貼り付けて、二次元の旅をしています。

貫戸朋子(かんとともこ)さんふたたび

2020年08月31日 06時47分47秒 | ことば見つけた!

★ 貫戸朋子(かんと・ともこ)さんは、1955年生まれ、国境なき医師団でずっとずっと活動されて、今も海外とかに行かれているみたいです。何という実践力、何という長い歳月なんだろう。

 1999年にNHKの「ようこそ先輩」という番組で、母校の京都教育大学付属小学校の6年生たちを相手に授業をされて、当時たまたま見てしまった私は、ものすごく感動したものでした。

 生徒たちの力、次から次とつながりを求め、とうとうボスニア・ヘルツェゴヴィナの子どもたちともつながろうとしていました。あの何をも恐れぬ、連帯力というのか、ああいうのを刺激を与えてもらったら、どんどん突き進んでしまう前向きなところって、人って持ってるんだと思ったら、すごいなあと素直に思えたものでした。

 でも、それは何か仕掛けが必要で、この時には実際に選択を迫られた人間として、命を預かるものとして人はどのような選択をすべきかを、貫戸さんが迫り、生徒たちがそれを一生懸命に教室の中で語り合えたから、生徒たちの中から湧き出てきた力だったのだとは思います。

 私は何を言ってるんでしょう。

 そうでした。その番組を本にしたものを読んで、21年前のことをほんの少しだけ思い出せたんでした。2000年にKTC中央出版というところで出された「国境なき医師団・貫戸朋子」というタイトルの本で、それが「ようこそ先輩」をまとめた本であるというのはカバーに書いてあります。それを木曜日に読んだんです。そこから貫戸さんのことばを抜き出してみます。

 国境なき医師団は、フランスで生まれました。それで西欧的な個人主義なんです。この憲章に自分が同意して、自分の意志で集まる。だから例えば、非常に危険だと感じる状況に至ったとき、自分はそこに行かないと判断したら、それは個人の自由だからだれもとがめない。じゃあまたどこかでお会いしましょう、と。

 番組の中でこんなふうに話しておられたのか、それは記憶にありません。でも、当時はそういう組織があるなんて知らなくて、番組を通じて、生徒さんたちと同じように教わっていったものだと思われます。

 医療の方法についても、自分の考えが正しいと思えば、それをきちんと説明し、そのように行う自由があります。自由とは、自分の犠牲や責任の上に成り立っているということです。

 ここに危険な橋があるとすると、それを渡る自由、渡らない自由があり、自分で決める。渡るときはなぜ渡るのか、渡らないときはなぜ渡らないのか、それをきちんと説明し、そして互いが理解し合う。それが個人主義なのです。学校はもともとその組織に従いなさいという傾向が非常に強いと思います。組織の中で調和する、丸く収まるというかたちで……。

 個人主義が先鋭的になり、それが世界のいろんな状況に働きかけできないかと突き進み、組織を作って飛び込んでいく。そこへ飛び込む個々は個人主義ではある、いつも自らの判断でそこに飛び込む。まわりの者や協力者はいるのだけれど、そこにある時にはここで判断して動く。

 そういう仕組みになっている。誰かの指示でマニュアル通りに動くということはないそうです。これはなかなか魅力的であるけれど、責任と判断力は問われてしまう。ものすごい感度で物事を判断・処理していかなくてはならない。とても疲れる作業ではないのかな。



 スイスやフランスで、子どもたちがよく買う安価なチョコレートのお菓子があります。黒い卵の形をしていて、外側はチョコレートの殻になっています。実は非常に薄っぺらいものなので、固いと思って噛むと、パリッと割れてしまいます。中には白いつぶつぶが詰まっています。同じ形で同じ色の粒がいっぱい詰まっているのです。それを見ていると、日本の社会というのは、そういう社会だったような気がするのですね。今は変わってきているかもしれませんが、少なくともわたしが生まれ育ってきた社会は、そのようだった気がします。

 外は固くて守っているようでいて、本当はパリッと割れてしまって、そして割れてしまうと一人ひとりの個性が見えなくて、同じような大きさで同じように詰まっている。学校とか社会とかがそのように感じられて、そういうチョコレートみたいな社会はいやだと思うわけです。そうすると、自分たちとまったく違った考えをする人たちから学ぶことがあるように思えたのですね。

 貫戸さん、あの時もすごいと思ったけれど、あれから20年、今もずっとそういう生き方をされてるんですね。

 ボクには、あの時感動したのに、20年、何も変われず、相変らずボンヤリした生き方しかしてこなかった。いろんな生き方に触れて、人から何か得られたことあったんだろうか。

 それはあったのかもしれない。とりあえず、20年間、自分なりの生き方で、人の中にあって、人がより良く生きて行けるようにとはずっと思いながらやってきたとは思うんだけど、でも、実践力はなかったなあ。人を変えることもできなかったし、たいしたことはできていません。

 ボクの反省はいいですね。

 かくして、貫戸さんは、今も世界で活躍されている。それは貫戸さんの生き方であって、ボクはボクの生き方で、社会に向き合っていくしかありません。

 でも、過去のボクの原点を思い出せたので、貫戸さんに見習い、誰かのお役に立てるよう、これからも生きて行けたらと思うのでした。

 貫戸さんのことばを久しぶりに見つけた!



最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。