甘い生活 since2013

俳句や短歌などを書きます! 詩が書けたらいいんですけど……。

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オケラの才能

2024年05月18日 19時57分13秒 | ことば見つけた!

 聞いたことがあったような、初めて聞くような話です。他のことを調べていて見つけました。

 オケラとは、すっからかんになる、みたいな昔の賭博関係の言葉だと思っていましたけど、どうだったのかどうか、どっちにしろオケラには失礼な話でした。家々の置いてある石の下などにオケラの世界は広がっていて、あちらこちら地面の中で走り回っていて、簡単に捕まえられるし、お腹はプニュプニュしているし、かわいらしさの塊みたいな昆虫でした。

 そして、夜になると、ジーと鳴いてたり、静かだけれど、目には見えないけど、ちゃんと自己主張している虫でした。その虫を中国の人はどんな解釈をしたんでしょうね。

 中国の『古今注‐魚虫』にこんな風に書かれているらしい。

 「螻蛄(ろうこ)……中略……五能有り[五つの才能があります]。而れども伎術[ちゃんとした才能]に成らず、一つの飛ぶは屋を過ぎる能わず[建物を跳び越すような飛翔力がない]、二の縁るは木を窮める能わず[木を倒す力もない]、三の没するは谷を窮める能わず[谷を掘るようなもぐる力もない]、四の掘るは身を覆う能わず[穴を掘るといっても石をのけるとそこにいるくらいで、自分の体を隠すくらい掘れていない]、五つの走るは人を絶する能わず[人間たちより早く走ることもできない]」
どれも中途半端なのだというのです。

 確かに、螻蛄は愛らしい存在であって、圧倒的な存在ではないのです。とても地味な生き物でした。人に危害を与えない、隣人でした。

 オケラは、「螻蛄(ろうこ・おけら)」といい、「天螻(てんろう)」ともいう。「石鼠(せきそ)」ともいうそうです。

 オケラにいろんな中途半端な才能があると言いますが、中国のオケラはまた別の生き物なのかもしれません。

 とにかく、中途半端な才能という意味で「螻蛄の才(ろうこのさい)」というそうです。

 日本では、何でもできる人を「器用貧乏」といってみたりしますが、何でもできるから、結局一つのことをずっとやり続けることができない、それで結局を損をするということがあるのかもしれません。

 才能のなくても、コツコツやるヤツには負けてしまう。心にしまっておきたい言葉です。でも、私は今から何になるつもり? オケラでもいいから、何でもできたらいいけどね。



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