日曜美術館を見てたら、2012年にオンエアされた安野光雅さんの「旅の絵本」が取り上げられていました。
どうしてそんな古い番組が今ごろやってるのかと言えば、昨年安野さんが亡くなられたからでした。2020年12月24日に94歳だったんですね。ということは、うちの奥さんのお父さんと同級生だったんだ。大正15年・昭和元年生まれという節目の年のお生まれでしたか……。
番組を見ていたら、何だか、今もバリバリとお仕事されてるような気分になったけれど、本当はそうではないんです。改めて、ご冥福を祈らなくてはいけないんです! いや、それより、今も仕事されてて、私たちを励ましてくれてるんだと思いたいんですけどね。
代表作というのか、安野さんの名前が広まるきっかけになったのが「旅の絵本」でした。1977年4月に出ています。
その2年後にうちの奥さんと付き合い始めて、彼女の部屋でおしゃべりを延々としていたことがあったんですけど、そこで彼女から「旅の絵本」を紹介されたと思うんです。でも、私には何となく既視感がありました。「これ、知ってるなあ」とは言わないで、「へーっ」と感心してたかもしれないけど。
どこで見たんだろう。振り返ってみると、1977年の夏、市立図書館で勉強もせずに本など読んでた時に、そこで見つけて、「あれまあ、おもしろい本もあるもんだ」と感心したことがあったような気がするんです。
細密で、雪舟さんや水墨画絵巻に通じる物語性を、左から右に旅を進めていっているようで、やがて旅人はふたたび海に漕ぎ出すという、一つのスタイルを確立していました。古典的なスタイルではあるんだけど、もう安野さんならではの人々の暮らしを活写しているところが感じられました。
そこから、ヨーロッパの町のあちらこちらを旅していって、アメリカ、中国と来て、番組では日本を旅する絵本を制作しているというところでした。それから後、「旅の絵本」はどこを旅してたんだろうな。
「旅する絵本」のシリーズは、1977年に始まり、ずっと続けられてきて、たまたま2012年は日本を旅していた。この日本の旅は、司馬遼太郎さんの連載の「街道をゆく」の挿絵に参加してから、さらに作り上げていく気分になったようでした。雑誌の取材でみんなで旅していて、とても楽しい、みんなでワイワイする旅だったそうなんです。でも、それも司馬さんが亡くなられてから、ポツリと終わってしまったということでした。安野さんはいかにも残念そうに語っておられた。
私は、番組を見させてもらって、70年代の後半というのが、とても懐かしい気分になってたんです。番組で紹介されてた中世の町、そこの楼門。今回初めて見つけたんですが、その門のところに「ANNO 1976」と書かれていました。こんな仕掛けもされてたんだ、と今さらながら気づいたんです。
知ってる人たちは、安野さんがこんなイタズラというのか、こういうことを見つけるのも絵を見る楽しみみたいにされてるんだろうけど、私は今回初めて見つけたのがこれで、「ANNO」という街か、人物が、「1976」年に何か記念碑的なことしたと見せかけて描かれていました。2021年になってようやく封印が解けたみたいな、やっと絵の秘密を知りえたような、うれしい気分になりました。
新しい世界が見えたような気がしたんですけど、気のせいだったのかな。
もっともっといろんな仕掛けがあるんでしょう。40年くらいしてようやく一つ見つけた。これから、どれだけ見つけられるかわからないけど、気長にやって行きます。ずっと仲良くさせてもらおう。うちには3冊あるけど、他のも買ってもいいかも!