甘い生活 since2013

俳句や短歌などを書きます! 詩が書けたらいいんですけど……。

写真や絵などを貼り付けて、二次元の旅をしています。

自分たちの世界を視覚化する

2024年01月17日 21時10分57秒 | わたしの好きな絵!

 今年は辰年だから、年賀状にはいい加減な龍を描きました。とはいうものの、マンネリ化していて、そこから抜き出た龍が描けていない。それはどこかで見た龍であり、何度かラクガキしてきた龍を再現しただけです。

 私のイメージの中には、龍といい、ドラゴンといい、小さい頃の怪獣映画のシルエットたちの焼き直しなんでしょう。実際には、私のイメージというのか、何とも言えない、モヤモヤとしたイメージの中には龍は飛んでいない。ありふれた、今まで通りの龍しかいないのです。

 だから、どんなに色を使っても、線を工夫しても、ポーズをくねらせても、なかなか壁から抜け出せない。

 基本的な作業としては、とにかく、過去のいろんなもの・名作をよく見て、それを手本として模写するしかないのでしょう。何度もマネをしているうちに、いつかヒョッコリと突き出るものが生まれるかもしれないのです。それがいつなのか、何年かかるのか、わずかの歳月でできるのか、一生かけてもできないのか、それは私と絵との関わりになりますが、私は、AIに言わせると、「この人は漫画家です。近ごろ低迷しているようです」なんて言われてるけど、私は漫画家ではないのです。

 ただの物好きだから、地道にやってるうちに、いつか突然変異するのを期待するしかありません。地道な努力をやり続けたいです。たとえ、絵を描いてそれで食べていけないとしても、下手の横好きでやっていきたい。


 イメージの視覚化、他者との共有、いかに自分を表現するか、それは簡単なことではありません。

 でも、まあ、やりたいから、やるんでしょう。こんなにイメージがたくさんやり取りされてる世の中だから、せいぜい見られるものは見て、見えないものは空想して、未来でさえも具現化して、やりたいことをやるしかありません。

 今は、ビジュアルが優先される時代なのです。



 それで、先々週からNHKの大河で「光る君へ」というのを見ていますが、当時の人たちは、視覚化されたもの、ただの絵、ラクガキさえない時代だったのだというのを思い知らされました。

 小さな子どもが、漢文だらけの『史記』の一節を読んでもらっている。といっても、白文の訓読だから、訓点もないし、漢字だけの無味乾燥のものです。挿し絵があればいいけど、そんなのありませんでした。

 漢字だらけの紙面を見て、小さな子どもに大人が、「中国に〇〇という人がいてな、こんなことになったらしい」と、かんでふくむようにお話している場面があって、子どもたちも、異国の英雄や政治家たちが、どんな風にして、何を考えたか、なんて、今よりも全く資料がないので、「強い武士なんだな」「戦ったんだな」「そんな風に自分の存在をまわりに訴えたんだな」と、日本社会に置き換えて、物語の人たちの生きる姿を理解するしかなかっただろうな、と思いました。

 ある意味、中国も日本もアジアも関係なくて、すべて人のドラマとして頭の中に再構成していた。よその風俗など全く無視して理解していたはずでした。


 弥生時代にも、中国から水に関わるシンボルとして「龍」というものが伝わったそうです。

 さっき、BSの「美の壺」で見ました。その時の人々は、話では聞くけれど、どんな風にイメージしていいのかわからなかった。でも、お祈りをして、水を与えてもらわなくてはならないから、土器に龍を刻まなくてはならないと思った。できれば、雷を呼んで、雨をもたらし、井戸を潤してもらいたいと願った。

 そして、龍を当時の人々の見聞により刻んでみた。それが博物館で見られるそうで、それを私も描いてみました。サカナみたいな龍と、下に連なる光の列が稲妻ではないか、ということでした。必死になって表現したものがこの形でした。

 そういう竜神様に祈ったカタチだったんですね。そんな素朴な線画を見直していきたいって、さっき思ったところでした。素晴らしかった。

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