![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/22/11/dd2f83e0aeeb5c158c96404afa8e87f5.jpg)
北川民次さんは、1894~1989年という時間をすごして来られたそうです。いろいろとイヤになる時はあったでしょうか。戦時中からずっと愛知県の瀬戸市で創作活動をされてきたんだと思います。アトリエも公開される時があるんですけど、今回はとても暑くて、そばまで行くことはできませんでした。
でも、暑いにもかかわらず、瀬戸市美術館から瀬戸市立図書館までフラフラになって歩きました。ネットの地図で見たら、なんだ、こんなの軽いもんだ、瀬戸線の駅が一つ分だろう、という感じでしたけど、確かに一駅向こうに市役所やら看護学校がありましたし、もうここなんだなと思ってたんですけど、山に上がる道には「図書館はこちら」なんていう表示はなかった。
まあ、どこの町でも、図書館はこっちですよ、という表示はあまりなくて、地元の人たちが好きなように利用するために、自分たちのやり方で利用することが考えられていて、壁画がみたいだけのよそ者への案内などなかったんでした。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/15/e3/dc5c4d32b9696c3611330bcd204202e3.jpg)
民次さんにインスピレーションを与えたメキシコ。そういえば、ソビエトの映画監督のエイゼンシュタインさんが『メキシコ万歳』という映画を撮ろうとしていて、フィルムは残ったものの、完成されてなくて、後の人が無理矢理に完成させたもの、映像は強烈だったから、うちにもDVDはありますけど、見たことなかったなあ。
ネットに上がっている画像に色を付けてみたけど、何だか不思議な世界が広がります。メキシコは、私たちの感性のどこかを広げる力があったでしょうか。あの岡本太郎さんもメキシコに行ったんだったか。
でも、メキシコそのものは、外から来た人はそれとして受け入れてるけど、それらを大切に保持するというより、来た人たちがふるさとに戻って、そこで何度かそれを作品化させるということが多くなるようです。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/42/37/f7a68a0003b018be31e1b44d3c727e02.jpg)
民次さんにしても、そこの人々は描いたけれど、家族への愛は特別に持っていて、集団になると、何だかもの言いたげなんだけど、具体的なことは教えてくれないで黙ったまま、こちらを見ている、そんな感じで受け止めたところがありました。
誰か、ひとりの人と仲良く過ごすとか、一緒にお酒を飲んだとか、そんなことはなかったのかな。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/7a/8c/fab85f86d1fde8d41f1ff3b6f68c383d.jpg)
そして、「知識の勝利」という壁画は、瀬戸市のために企画したものだったそうで、1970年頃に創作されたんでしょう。
力持ちのまん中の子が、知識の力を手に入れたんだそうです。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/3f/9c/0f42b4d4b630a5268ed5a00e39dfc28c.jpg)
その側面、入り口に当たるところの上には「無知と英知」という壁画。
上の無知なる姿から、窓の下の英知のような姿へと変身していこう、そんな呼びかけというんでしょうか。
知恵のヘビも描かれていて、メキシコ的ではなくて、キリスト教的な世界なんだろうか。画面の左側の女神様みたいなのは、ギリシャ・ローマ的なんだろうな。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/51/e6/7859c36c66c30213e13f0c70bbbb78e7.jpg)
中に入った正面には、「勉学」という壁画です。フクロウと家族とお月様?
なんかに見守られながら、自らのために本を読んでいるみたいです。
人物描写とか、顔の縁取りとか、黒で線引きされていく世界は、独特の人々の表情です。まさに移り変わる人の姿を一瞬で切り取ってそれを定着させたようです。
瀬戸という町は、山が迫ってきている町でした。常滑は、三重県から空港に行くためのジェット船に乗ればたどり着けますが、瀬戸は名古屋を通って、ずっと山間の土地へと進んでいかなくてはなりませんでした。
谷間になってるから「瀬戸」という地名がついたんだか、どうなんだろう。よくもまあ、暑いのに出かけたもんでした。