
山本周五郎さんが生前に刊行した小説は111冊で、随筆集が1冊だったそうです。研究家の木村久邇典さんが解説で書いておられます。
ただ2冊の『無明絵巻』(1940 東光堂)と『風雲海南記』(1947 東光堂)だけは、本そのものが残っていなかった。探してもないということはあり得るんですね。こんな世の中でも。ですから、情報提供者を探したのだそうです。
国会図書館にもなかったんでしょうね。
木村さんは、広くこの2冊をお持ちの方はいないですかと全国に伝えて、たまたま1988年の3月に長野県の方から、大切に保存してきたが、残念ながら最後の2ページほどが不明だけれども、とりあえず持っているという情報を得ます。たったの2ページなのに完璧ではなかった。
50年近くの歳月が過ぎると、歴史の中に埋もれていく作品というものがあったということでしょうか。せっかく見つかったのに、最後の最後が見つからないまましばらく過ぎてしまう。
1991年に木村さんはドイツの大学で、日本の近代文学――山本周五郎を中心に」という夏の期間の特別講義をするお仕事があったそうで、やがて帰国されて、北海道大学の図書館の方から連絡があったそうです。書いてあると簡単だけど、この3年間というのも長くてもどかしい時間だったことでしょう。
さあ、北海道大学所蔵の「樺太日日新聞」の1940年の1月から249回にわたって掲載された『武士道春秋』というものが、あなたのお探しの『風雲海南記』ではないのか? という情報を得ます。いよいよよみがえる時が近づいていました。
そして、最後まで物語はつながり、1992年の2月に幻の名作『風雲海南記』は新潮文庫でよみがえったのだそうです。なんと44年ぶりの復活ということでした。
東京で書かれた小説が、新聞社のネットワークによって樺太(サハリン)で新聞小説として読み継がれ、北海道関連のいろんな資料を持っていた北海道大学の図書館にはそれらがすべて残っていたという奇跡が起きたんですね。残されるべきものはたまたまつなぐことができたのです。
この復活劇もドラマチックなんですけど、私はこの本を先月の大阪の天神さんの古本市で100円で買ってきたんですけど、前から気になっていたタイトルの作品を431ページまで読み進めて、一応の敵役を退治し、一段落して、いよいよそこからタイトル通り南の土地へ進出する部分を今日から読むと思われますが、小説よりも移動する物語に心惹かれる私は、残りの百何ページもスイスイと読めたりするのでしょうか。
それはわからないけど、楽しい読書ではありました。ここまではただのお家騒動やお家取り潰しという江戸幕府によくあるお話ではあったんですけど、面白く読みました。
何が面白いんだろうな。もう少し読んだらわかりますか? どうなんだろうな……。