甘い生活 since2013

俳句や短歌などを書きます! 詩が書けたらいいんですけど……。

写真や絵などを貼り付けて、二次元の旅をしています。

選挙の日、晴れ、少し寒い。

2023年04月09日 10時13分08秒 | 私たちの社会・世界

 全国的に選挙が行われているようです。私たちは、どんな気持ちで今日という日を迎えたらいいのでしょうか。

 知事・市長・市議会議員などを選ぶのであれば、世の中的には盛り上がったでしょう。だから、地域によっては厳しい選挙・伯仲の選挙があるはずです。

 でも、先ほど9時過ぎに私が出かけたところでは、いつもならもう少し「選挙に来たよ!」という顔がたくさん行ったり来たりしているし、駐車場も次から次という状態なのです。でも、今日はガラガラでした。まあ、私のところでは県議会議員選挙だけということですから、何となく拍子抜けするし、何かが動き出すよ、というのが選挙会場からは感じられませんでした。何も変わらない、現状維持と無関心の風が吹いてるだけでした。

 選挙の投票所に何かがあるような雰囲気がしたとしても、結局は何も変わらず、世の中的には雰囲気に流されるような結果が続いています。

 ということは、現状維持です。ということは、原発推進、低金利、地域活性化、子ども支援、生活者優先、重い税負担、物価高、低賃金、非正規雇用の定着化、教育予算削減、インフラ整備、仮想敵との防衛戦略の推進、福祉の事業者負担、地球環境のささやかな配慮、そんなことが続くのでしょう。

 そして、政治家たちはちゃっかりと自分の取り分は確保して、子々孫々に豊かな暮らしができるのを第一としてやっていくのでしょう。みんな自分のことばかり気にしている。それが第一みたいです。もちろん、私もそうだけど、私は自分の暮らしもちゃんとやれてない気がする(数え上げるときりがありません)。

 政治家といえども、自分の利益は大事だけど、せめてみんなの暮らしのことをまともに考えてほしいんですけど、地域活性化というと、すぐに道路や建物や、いろんな施設・工事などで経済活性化させる、というこればかりです。それは、どこかで習いましたね。世界恐慌の時にニューディール政策ということをアメリカで考えた。公共工事を大々的にやって、それで人々に富を分配した(ことになっていますし、私たちはそれができるものらしい、と教え込まれてきました)。あの百年近く前と同じ手法で世の中がうまくいくと考えているみたいです。


 いくら税金を使って工事をしたとしても、それらの半分くらいは借金で賄われることになるんですよ。つまり、今生きている人たちはお金は払わない。まあ、今生きている人たちも過去の借金を返済しただろうけど、未来の若者たちにツケをまわす手法、これは百年前ではないかもしれない。何十年か前に誰かが発明して、どんどん使われるようになったものだと思われます。

 借金財政なんて、いつかは破綻する。そんなこと誰でもわかっているのに、誰もそれを止められない。

 なぜかというと、人々が特に問題視していないからです。人々が原発はどうかな? 大丈夫かな? 心配だな。核のゴミは何十億年経たないと無害化しないなんて、そんなこと私は知らないよ、とみんなが思っているし、原発のことを選挙の争点にしても、誰も食いつかないので、仕方なく政治家も放置している。

 人々の関心の高さは、そんなの確かめられないではないか。と思ったりしますが、それを行政の人たちはいつも感じていて、裁判でさえ、人々の関心が高いと判決の中身が変わっていく。人々が無関心であれば、行政側のいいようになるし、人々がそれではいけない、という雰囲気があれば、判決もこれは今まで通りではいけないと変わっていく。あの人たちのどこにそんなアンテナがあるのかわからないけれど、行政に関わる人たちは自然と人々の関心に制約されるのです。みんなが無関心である、ということは、行政の人にはありがたいものなのかもしれない。

 何もかもが放置されたまま、話題にもならず、政府が決めたら、国会は無視しておいて進む。知事が決めたら、議会は知らないままに進む。市長が決めたら、工事は勝手に進む。いつからこんな、議論しない国になったんだろう。昔からそうだったのかもしれないし、議論なんて時間のムダと思っている人、たくさんいるでしょうね。

 すべてが議論を経ないで、一部の人たちの思惑で進んでいくとしたら、それはスピーディーかもしれないけれど、いい方向ではないと思われます。世の中には無駄な議論が絶対に必要なのに!

 みんな、もうなるようにしかならないよ、と思っているのでしょうか。


 仕方がないから、自分のまわりだけでも、穏やかな暮らしができるように、掃除したり・片づけたりしていきます。それが何の役に立つのか、とりあえず、片づいた暮らしができるだろうけど、それさえ今はできていない私ですから、せいぜい頑張りたいです。

 何回か取り上げさせてもらった萩原さんの短歌の中にこんなのがありました。

  発言の撤回をする著名人ソーシャルメディア全盛の世に 

 著名人のウソは、ばれてしまっている。でも、著名人は、撤回したらもう罪はないと思っている。ソーシャルメディアは賛否両論流れるけれど、誰もその著名人を反省させることはできないまま、何の力も出せないまま、またうやむやに著名人を許していく。

 こんなことが許されている世の中になりました。結局、権力やお金を持ったもの勝ちで、持たざる者はずっと耐え忍び、SNSでつぶやく程度でストレス発散させるしか方法はないのでしょう。

 みんな、力を結集しないと、弱いものは浮かばれないよ。

  デモ隊の列途切れるな 途切れないことでやがては川になるのだ

 こっちの歌を念じていきたいな。川となった人々の気持ちが大きな流れを作る、そういうのを信じていきたいです。実は、みんながそれに憧れてると思うんだけど、日本も、中国も、ロシアも、アメリカも、みんな管理されてしまって、大人しくチョコンとしている。

最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。