昨日[2024.4.7 日曜]の朝日新聞にこんなことばを見つけました。
自分がそんなふうだから、どうせみんなも隠しごとがあるんでしょう、と日々疑っている。
見渡す限りのひとびとみんな、隠しごとを持っているのだと思うと、さみしさを抱くと同時に、あたたかい気持ちにもなる。
自分の想像もつかない他者が生きる世界は、なんて孤独で、書くべきことに溢れているのだろうと、ときめく。
お仕事をしつつ小説を書き、芥川賞も取られ、それから後もしばらくはお勤めされていたそうです。
何かを隠しながら、とりあえず今の目の前の事をこなしていく。けれども、それだけではなくて、それ以外のところを人はみんな大なり小なり抱えて生きている。
それは当たり前のことなのです。みんな人に言えないことを抱えて生きている。小説家は、人間を描かないことには話にならないけれど、その人それぞれが作中に出てくるときは、断片的に物語に参加するだけで、本当のところは見えないままに、物語から消えてしまったりする。
だから、いろいろな場面をころころと切り替えて描く手法や、過去と現在がミックスされた物語になったり、いろいろに工夫して人の見えない部分を描こうとする。
でも、結局、本当のところは見えてこないし、小説などは読む人ごとに新たな物語と背景が生み出されてしまう。物語が独り歩きして、それぞれの読者の心に生きていくことになる。そういう物語の作者になれることを、作者は求めつつ、物語を紡いでいく。
当事者になれない私たちは、いつも空想の力を借りて当事者になろうと努力する。それがうまくいけば、思いがけない効果が生まれる。想像力が生まれないと、人は他者に対して横暴になってしまう。
大事なんだけど、余裕がないとできないらしい。できれば、いつも想像力が生まれてくれたらいいのだけれど……。