
* またまた徒然草の抜き書きをやります。最近、気分はパッとしないですから。いや、別に徒然草は関係ないんです。ただ、今読んでる本のこととか、どこかに行ったら、また書けますよ。とにかく、毎日不勉強で困ってしまうなあ。とにかく、兼好さんの人との関係について書いてるのを見てください!
人として善にほこらず、物と争はざるを徳とす。他に勝ることのあるは、大きなる失なり。
人間として、自分の善行を誇ることなく、他人と争わないのをもっともよいこととする。他人より優れているところがあるのは、その人にとって大きな損失である。
こんなことは簡単には言えませんよ。人をどんなふうに出し抜こうか、どれだけ人よりも豊かな暮らしをするか、どれだけ面白おかしい人生を送るか、そんなことばかりみんな必死になってるんですから。
人よりも賢かったり、お金持ちだったり、家族がたくさんいたり、いろいろ自慢があったり、土地も持ってたり、そんなのは逆に損になるよなんてね。
負け惜しみではなく、素直に何も持たない生活が素晴らしい、なんて、言えたらいいなあ。

品の高さにても、才芸のすぐれたるにても、先祖の誉れにても、人にまされりと思へる人は、たとひ言葉に出でてこそ言わねども、内心にそこばくのとがあり。慎みてこれを忘るべし。
身分や家柄の高いことでも、才知や芸能のすぐれていることでも、先祖の名誉あることでも、他人より優れていると思っている人は、たとえことばに出して言わないにしても、心の中にはいくつものの罪がある。だから自分でこれを戒めて、そういう優越感を忘れるのがよい。
どんなことでも、人から見たら取るに足らないことでも、ついつい何かにつけて私たちは自慢しがちなんでしょうね。私みたいに、何も持たない、何のとりえもない人間だって、ということは、人に誇れるものは何もなくても、誰かに何かコメントもらいたくて、こんなことしましたとか、この写真みてもらえますかとか、数限りなくみんなにアピールしてますよ。
そんなことはしない。誇らない。もっと地道に誰かのためにならなくても、いつか誰かのためになるかもしれないから、コツコツ褒められなくてもやる、そういうことできないかな。まあ、私には無理ですね。せめて家族にでも一言もらえたらいいかな。
いや、私自身が家族にどれだけみんなを褒めたたえているのか、それも不安です。いや、すべてにおいて自分を優先させている。ああ、何たることか。
をこにも見え、人にも言ひ消たれ、禍をも招くは、ただこの慢心なり。
ばかげたようにも見え、人からも悪く言われ、災いを招いたりするのは、ただこの慢心のせいである。〈167段〉
そうなんです。私たちは慢心している。褒められようと思って、人から評価されたくて、それがすべてで自己主張ばかりして、結局自分自身は人をほめず、人を気にせず、人なんかどうでもよくて、自分のことばかりです。アホなんですよね(をこをこ!)。

よろづのこと、( ? )に向きて求むべからず。ただここもとを正しくすべし。
すべてのことは、( ? )に向かって求めてはならない。ただ身近なところを正しくすればよい。
これは少し後の171段の文章です。突然話が変わりましたけど、内省的に、人からの評価を求めず、自分のできることをコツコツやるということであれば、ダメなのは何でしょう? 漢字一字で考えてみてくださいね。
目の前なる人の憂へをやめ、恵みを施し、道を正しくせば、その化遠く流れんことを知らざるなり。
目の前にいる人の心配事を取り除き、慈愛を与え、道を正しくしたならば、その感化が遠く流れ及んでいくということを知らないのだ。〈171段〉
そうなんですね。まわりの人の心配を取り除いてあげたら、自然と自分が生かされる道が見つかるんですね。急がば回れって、いうけれど、今の人たちそんなことできないようになっていて、すぐに結果が求められるし、自己主張してなんぼ、他人がしゃべるのも邪魔して自分のつまらないことを述べる、これが流行りではあるわけですけど、逆に自分の価値を下げてるんだ。
まあ、そんなのみんなが分かっているのに、本人たちはやめられないらしい。ああ、苦しい世の中ですね。

☆ 「をこ」のことばの意味は「ばか」。漢字ではどう書きましたっけ?
ア・嗚呼 イ・烏滸 ウ・海髪 エ・水松
ア・嗚呼 イ・烏滸 ウ・海髪 エ・水松

★ 答え 外 イ
* ア・ああ ウ・おご エ・みる