
色川大吉先生の作品から、昭和史を改めて見直しています。遠い昔のことではなく、今の日本と同じ平面にあるし、そこに住んでいる私たちと、当時の人たちはあまり変わらないような気がするのです。
★ 1939・昭和14年
一月十五日は、半数以上の日本人がラジオにかじりついて興奮していた。スポーツ界のアイドル双葉山(ふたばやま)が三年間勝ちっ放し七十連勝という大記録を阻(はば)まれて、安芸の海の外掛けに倒されたというのである。実況放送のアナウンサーも、「安芸ノ海、安芸ノ海、嬉シ涙デ泣イテオリマス。泣イテオリマス。フトンガ飛ンデイマス」と叫んでいた。
しかし、私たちの目は盲(めし)いていたものだ。双葉山が倒れても平沼内閣が倒れても世界の歴史になんの影響もなかったけれど、この直後に起こったバルセロナの陥落(かんらく)(スペイン人民戦線政府の敗北)は、十数億人の人間の運命に直接重大な影響をもたらすきっかけになった。
人はこの世に同時に起こっているたくさんのできごとのうち、なにが本質的で決定的なものかを判断することを億劫(おっくう)がる。そして自分の関与したことだけに視野をせばめ、自分が好感をいだいたものを重要なものとみなし、それを基準として人生や世界を判断したがる。
〈色川大吉『ある昭和史』(中公文庫・1975刊)より〉
双葉山がどんな人だったのか、私はまったくわかりません。けれども、伝説は耳にしたことがあるので、すごいお相撲さんだったのだろうとは思います。たぶん、もし私がその時にそこにいたら、単純に悔しくなったり、双葉山を破った安藝ノ海に感動したりしたでしょう。
私は、判官贔屓(はんがんびいき)だから、安藝ノ海派かもしれない。そして、もちろん、スペインの内線のことなんか興味を持たなかったでしょう。そんなこと、ピンとこないし、遠くのヨーロッパの騒ぎだから、自分には関係のないこととして、興味を持たなかったはずです。
そして、ファシズムを歓迎したかもしれないし、その片棒を担いだかもしれない。ああ、世の中はどんなにして動いていくのか、なかなかつかめないし、私なんかいい加減な動きをするでしょうね。
どうしたらいいんでしょう。

★ 見通しのない侵略
ドイツやイタリアに支援されたフランコ将軍の率(ひき)いるファシスト軍が、革命スペインの牙城バルセロナを三年ぶりに占領したとき(そしてそれをイギリス、フランスが承認し、さらにソ連までが国際義勇軍から手を引いて革命スペインを見放したとき)、もはやヨーロッパにはファシズムの兇暴化(きょうぼうか)をくいとめる歯止めになるものは見当らなかった。
三月十五日、自信をえたナチス・ドイツは一挙にチェコを占領、併合した。イタリアも四月七日に電撃的にアルバニアを占領した。そしてヒトラーはさらにポーランドにダンチヒ港までの回廊地帯の割譲(かつじょう)を要求し、一挙に欧州政局の緊張を高めたのであった。
日本はそのころ政治家も軍人も前途(ぜんと)の見通しを失っていた。かれらはよく先の見える者を牢獄の独房に押し込んでしまっていたか、特高警察(とっこうけいさつ)に尾行監視させて自由な言論を封じさせていた。
一九三七年(昭和十二年)、「支那事変」(日中戦争)を起こしてからこれで三年間、事変関係の直接軍事費だけで合計119億9千万円(日露戦争の七回分)の巨額を消費しながら、いまだに戦争収拾(しゅうしゅう)の見通しはまったく立っていなかった。そのためガソリン不足をきたし、民間の車は今後木炭自動車でなければ許可しないとか、米穀の配給統制法(米の国家管理)を公布するとか、国民生活をまで圧迫するにいたっている。 〈色川大吉『ある昭和史』(中公文庫・1975刊)より〉

かくして見通しのない日本は、ファシズムを許し、軍部を肥大化させ、どうしようもないところまで行くことになった。国民は、いやいやではあるものの、それを支持し続け、敗戦まであと数年もすべてを犠牲にして戦うことになった。
私たちは今、どこにいるのでしょう。それなりに穏やかで、経済優先でやっているけれど、それは格差の拡大をもたらしている。テレビなどに出てくる社長さんたちは、頭を下げたりもするけれど(そういう時しかテレビは取材に来ないけれど)、みんな格差拡大して、自分たちが肥え太ることが日本が豊になることだと、もう数十年前の考え方でやっている。
そうしたやり方は、百年近く前に破裂して、最後は火だるまの国になったという歴史を無視しています。私たちはせっかくこうした歴史を経験してきたというのに、それを忘れて、勝者と敗者を峻別しようとしている。
敗北者は、私もその部類だけど、たくさんいるのに、みんなそんなことには気持ちが行かなくて、今日よりは明日、お金持ちになればそれでいいと、夢のような話を信じているような気がします。
かなりの人々が、すでに敗者であり、かなりの人々がその制度の奴隷となることを認めている。そんな夢のような話はない。あるのは、みんながバラバラで、多少のお金があったとしても、それは自分たちのお金が削り取られたところから支給されたモノだというのに、それに気づかないのである。
★ 1939・昭和14年
一月十五日は、半数以上の日本人がラジオにかじりついて興奮していた。スポーツ界のアイドル双葉山(ふたばやま)が三年間勝ちっ放し七十連勝という大記録を阻(はば)まれて、安芸の海の外掛けに倒されたというのである。実況放送のアナウンサーも、「安芸ノ海、安芸ノ海、嬉シ涙デ泣イテオリマス。泣イテオリマス。フトンガ飛ンデイマス」と叫んでいた。
しかし、私たちの目は盲(めし)いていたものだ。双葉山が倒れても平沼内閣が倒れても世界の歴史になんの影響もなかったけれど、この直後に起こったバルセロナの陥落(かんらく)(スペイン人民戦線政府の敗北)は、十数億人の人間の運命に直接重大な影響をもたらすきっかけになった。
人はこの世に同時に起こっているたくさんのできごとのうち、なにが本質的で決定的なものかを判断することを億劫(おっくう)がる。そして自分の関与したことだけに視野をせばめ、自分が好感をいだいたものを重要なものとみなし、それを基準として人生や世界を判断したがる。
〈色川大吉『ある昭和史』(中公文庫・1975刊)より〉
双葉山がどんな人だったのか、私はまったくわかりません。けれども、伝説は耳にしたことがあるので、すごいお相撲さんだったのだろうとは思います。たぶん、もし私がその時にそこにいたら、単純に悔しくなったり、双葉山を破った安藝ノ海に感動したりしたでしょう。
私は、判官贔屓(はんがんびいき)だから、安藝ノ海派かもしれない。そして、もちろん、スペインの内線のことなんか興味を持たなかったでしょう。そんなこと、ピンとこないし、遠くのヨーロッパの騒ぎだから、自分には関係のないこととして、興味を持たなかったはずです。
そして、ファシズムを歓迎したかもしれないし、その片棒を担いだかもしれない。ああ、世の中はどんなにして動いていくのか、なかなかつかめないし、私なんかいい加減な動きをするでしょうね。
どうしたらいいんでしょう。

★ 見通しのない侵略
ドイツやイタリアに支援されたフランコ将軍の率(ひき)いるファシスト軍が、革命スペインの牙城バルセロナを三年ぶりに占領したとき(そしてそれをイギリス、フランスが承認し、さらにソ連までが国際義勇軍から手を引いて革命スペインを見放したとき)、もはやヨーロッパにはファシズムの兇暴化(きょうぼうか)をくいとめる歯止めになるものは見当らなかった。
三月十五日、自信をえたナチス・ドイツは一挙にチェコを占領、併合した。イタリアも四月七日に電撃的にアルバニアを占領した。そしてヒトラーはさらにポーランドにダンチヒ港までの回廊地帯の割譲(かつじょう)を要求し、一挙に欧州政局の緊張を高めたのであった。
日本はそのころ政治家も軍人も前途(ぜんと)の見通しを失っていた。かれらはよく先の見える者を牢獄の独房に押し込んでしまっていたか、特高警察(とっこうけいさつ)に尾行監視させて自由な言論を封じさせていた。
一九三七年(昭和十二年)、「支那事変」(日中戦争)を起こしてからこれで三年間、事変関係の直接軍事費だけで合計119億9千万円(日露戦争の七回分)の巨額を消費しながら、いまだに戦争収拾(しゅうしゅう)の見通しはまったく立っていなかった。そのためガソリン不足をきたし、民間の車は今後木炭自動車でなければ許可しないとか、米穀の配給統制法(米の国家管理)を公布するとか、国民生活をまで圧迫するにいたっている。 〈色川大吉『ある昭和史』(中公文庫・1975刊)より〉

かくして見通しのない日本は、ファシズムを許し、軍部を肥大化させ、どうしようもないところまで行くことになった。国民は、いやいやではあるものの、それを支持し続け、敗戦まであと数年もすべてを犠牲にして戦うことになった。
私たちは今、どこにいるのでしょう。それなりに穏やかで、経済優先でやっているけれど、それは格差の拡大をもたらしている。テレビなどに出てくる社長さんたちは、頭を下げたりもするけれど(そういう時しかテレビは取材に来ないけれど)、みんな格差拡大して、自分たちが肥え太ることが日本が豊になることだと、もう数十年前の考え方でやっている。
そうしたやり方は、百年近く前に破裂して、最後は火だるまの国になったという歴史を無視しています。私たちはせっかくこうした歴史を経験してきたというのに、それを忘れて、勝者と敗者を峻別しようとしている。
敗北者は、私もその部類だけど、たくさんいるのに、みんなそんなことには気持ちが行かなくて、今日よりは明日、お金持ちになればそれでいいと、夢のような話を信じているような気がします。
かなりの人々が、すでに敗者であり、かなりの人々がその制度の奴隷となることを認めている。そんな夢のような話はない。あるのは、みんながバラバラで、多少のお金があったとしても、それは自分たちのお金が削り取られたところから支給されたモノだというのに、それに気づかないのである。