以前、京都国立博物館で雪舟展をやっていました。もう何年前のことでしょう。家族で見に出かけたら、ものすごい行列で、それで挫折して以来、ずっと雪舟さんを生で見てみたいと思っていました。
フェルメールの「真珠の耳飾りの女の子」も、オランダまで行けば、もっと自然に会えると思うのですが、いざ都会に連れてこられると、警備は厳重だし、お客はたくさんだし、せっかくの出会いも、人混みにかき消されてしまって、何だか本当に会ったんだか、偽物を本物と思わされて見ているんだか、何のために来たんだか、わからなくなることがありました。
だから、雪舟さんの代表作を地元で見てみたいと、はるばる山口県の防府に出かけました。もう2年も前のことです。
山陽新幹線は、太陽を浴びながら、太陽を追いかけるように走るので、風景もずっと逆光の中でお城が浮かんでいたり、煙突が見えたり、岩山とまばらな木々に覆われた山また山の連続で、何だかずっと同じ風景の中を走っているような気分になります。
ところどころに大きな町があって、ああ、これが岡山、吉備団子と桃太郎かと思い、広島かぁ、マツダスタジアムは何だかキレイだなとか、そんなこんなを思っていると、山口県に入ってしまいます。
山口県は、とらえどころのない町で、たくさんちいさな町がありますが、みんなそれなりに魅力があると思われますが、なかなか縁がないと、そこへ降り立つことができないで、いつも素通りをしてしまいます。
でも、2年前は違います。まさに山口県の防府(ほうふ)に降り立つことが目的で新幹線に乗りました。徳山で降りて、山陽線に乗り換えて、やっとこ防府に着きます。
めざす毛利博物館は、萩に本拠を構えていた毛利の殿様が、明治維新の後、萩からこちらに移転して、お屋敷を作ったらしいのです。だから、お城もないし、城下町もありませんでした。
名前の通り、今の山口県の瀬戸内側が周防(すおう)で、その都だから「防府」になるわけです。日本海側は旧国名でいくと長門(ながと)で、長門市は今でもあります。そういう歴史があちらこちらにちらばっていて、岡山県出身の雪舟さんの作品が、山口県の毛利家に所蔵されていたというのも、歴史の結果によるのでしょう。
とにかく、駅を出て、防府八幡宮をめざし、そこに着いたら、東側に向かうことに決めていました。
どれくらい歩いたでしょう。30分以上東に行くと、お屋敷の門とその向こう側の紅葉が見えました。たくさんのお客さんたちが見学に来ています。みんなが雪舟さんを見に来たわけではなくて、お屋敷で紅葉見物をしにきただけの人たちもいるようです。家族連れ、老夫婦、みんな三々五々の感じです。
靴を脱いで、お屋敷をめぐるようにしていけば、雪舟さんの作品にめぐりあえるようです。
そして、十数メートルの山水長巻の部屋にたどり着きました。予習はしてありました。どこから始まり、どんな風に終わっていくのか、頭につめこんでいたのを、実際に右から左にゆっくり眺めさせてもらいます。
旅人が、にぎやかな町を通り過ぎたり、大きな海のような開けたところを通ったり、静かな山里にたたずんだり、それはもう静かでありながら、壮大で1歩ずつ世界が広がっていく楽しい旅が、たったの十数メートルにつまっています。それを見るものは、立ち止まり、引き返し、主人公を探し、自分をそこに入れてみたり、いろんな楽しみ方をして味わうことができます。
お客さんは、それほどいるわけではなくて、立ち止まるのもOKで、好きなだけ数百年前の雪舟さんの世界に浸ることができました。そして、向き合う時間をある程度過ごすと、もうそれだけで満足できて、ほかのものはいい加減に見たら、すっと外に出てしまいました。
★ 2年前の短歌(?)を書きます。
1 山陽の防府の町に来た私 山水長巻見るためだけに
2 岩山のふもとに開けた海辺の街 東奔西走人は過ぎゆく
3 昼前にたどり着きたる防府市の山ふところをめざして歩く
4 天満宮より国分寺へと続く道 娘さんらとただすれ違う
5 山陽の紅葉の名所毛利家に 雪舟今も秋によみがえる
フェルメールの「真珠の耳飾りの女の子」も、オランダまで行けば、もっと自然に会えると思うのですが、いざ都会に連れてこられると、警備は厳重だし、お客はたくさんだし、せっかくの出会いも、人混みにかき消されてしまって、何だか本当に会ったんだか、偽物を本物と思わされて見ているんだか、何のために来たんだか、わからなくなることがありました。
だから、雪舟さんの代表作を地元で見てみたいと、はるばる山口県の防府に出かけました。もう2年も前のことです。
山陽新幹線は、太陽を浴びながら、太陽を追いかけるように走るので、風景もずっと逆光の中でお城が浮かんでいたり、煙突が見えたり、岩山とまばらな木々に覆われた山また山の連続で、何だかずっと同じ風景の中を走っているような気分になります。
ところどころに大きな町があって、ああ、これが岡山、吉備団子と桃太郎かと思い、広島かぁ、マツダスタジアムは何だかキレイだなとか、そんなこんなを思っていると、山口県に入ってしまいます。
山口県は、とらえどころのない町で、たくさんちいさな町がありますが、みんなそれなりに魅力があると思われますが、なかなか縁がないと、そこへ降り立つことができないで、いつも素通りをしてしまいます。
でも、2年前は違います。まさに山口県の防府(ほうふ)に降り立つことが目的で新幹線に乗りました。徳山で降りて、山陽線に乗り換えて、やっとこ防府に着きます。
めざす毛利博物館は、萩に本拠を構えていた毛利の殿様が、明治維新の後、萩からこちらに移転して、お屋敷を作ったらしいのです。だから、お城もないし、城下町もありませんでした。
名前の通り、今の山口県の瀬戸内側が周防(すおう)で、その都だから「防府」になるわけです。日本海側は旧国名でいくと長門(ながと)で、長門市は今でもあります。そういう歴史があちらこちらにちらばっていて、岡山県出身の雪舟さんの作品が、山口県の毛利家に所蔵されていたというのも、歴史の結果によるのでしょう。
とにかく、駅を出て、防府八幡宮をめざし、そこに着いたら、東側に向かうことに決めていました。
どれくらい歩いたでしょう。30分以上東に行くと、お屋敷の門とその向こう側の紅葉が見えました。たくさんのお客さんたちが見学に来ています。みんなが雪舟さんを見に来たわけではなくて、お屋敷で紅葉見物をしにきただけの人たちもいるようです。家族連れ、老夫婦、みんな三々五々の感じです。
靴を脱いで、お屋敷をめぐるようにしていけば、雪舟さんの作品にめぐりあえるようです。
そして、十数メートルの山水長巻の部屋にたどり着きました。予習はしてありました。どこから始まり、どんな風に終わっていくのか、頭につめこんでいたのを、実際に右から左にゆっくり眺めさせてもらいます。
旅人が、にぎやかな町を通り過ぎたり、大きな海のような開けたところを通ったり、静かな山里にたたずんだり、それはもう静かでありながら、壮大で1歩ずつ世界が広がっていく楽しい旅が、たったの十数メートルにつまっています。それを見るものは、立ち止まり、引き返し、主人公を探し、自分をそこに入れてみたり、いろんな楽しみ方をして味わうことができます。
お客さんは、それほどいるわけではなくて、立ち止まるのもOKで、好きなだけ数百年前の雪舟さんの世界に浸ることができました。そして、向き合う時間をある程度過ごすと、もうそれだけで満足できて、ほかのものはいい加減に見たら、すっと外に出てしまいました。
★ 2年前の短歌(?)を書きます。
1 山陽の防府の町に来た私 山水長巻見るためだけに
2 岩山のふもとに開けた海辺の街 東奔西走人は過ぎゆく
3 昼前にたどり着きたる防府市の山ふところをめざして歩く
4 天満宮より国分寺へと続く道 娘さんらとただすれ違う
5 山陽の紅葉の名所毛利家に 雪舟今も秋によみがえる