甘い生活 since2013

俳句や短歌などを書きます! 詩が書けたらいいんですけど……。

写真や絵などを貼り付けて、二次元の旅をしています。

鹿実vs相模 1974.8.17

2018年07月05日 21時32分02秒 | 父たちの日記やことば

 第100回ということで、最近の朝日新聞はものすごく過去の大会のあれこれを掘り起こしたり、今の話題を探したり、盛り上げるためにあの手この手でやっています。

 それで、1974年の8月17日、土曜日、準々決勝の最終試合だった鹿実と東海大相模の試合も取り上げていました。鹿実は後にジャイアンツ入りした定岡正二さんがいて、サガミには後にジャイアンツの監督までした原辰徳さんがいました。

 原君は二年生で、定岡さんは三年生でした。ここで勝利した鹿実は、準決勝で防府商業に負けてしまって、決勝には進出できませんでした。それは残念でした。でも、カゴシマびいきの私たちは、サガミを倒した戦いである程度は満足していたのかもしれません。

 私は、実はこの時、一塁側のアルプススタンドにいて、初めてのナイターも経験して、夢のような時間を体験できましたので、それだけでも満足はしていたのだと思います。

 てっきり父も一緒だと思っていたら、そうではなかったようでした。


   八月十七日、土       雨

 台風が近づいているとかで、朝からくもっていたが、八時ごろより小降りになります。

 六時十分目覚めてすぐに起床。朝起きづらいなあと感じたのです。二十分出勤する。体調はまあまあといった状態であった。雨が降り出して暑さは幾分やわらぐのです。仕事も良い方であった。

 十四時十分帰ると、誰もいないのである。市場かご(母が買い物に使っていました)を見たら(いつものところに)あるので、「あは……ん」と思った。高校野球見物に行ったんだなあとね。

 やむをえん。自分もパチンコ(にでかける)。

 十六時ごろ(パチンコより)帰る。テレビ一人で見ているのである。鹿実対東海大(相模)である。どちらにも負けてほしくない好試合をやっているのである。

 十八時ごろ整理清掃する。夕食準備してからまた一人でテレビを見る。

 鹿実戦の結果はラジオにて鹿実の勝ちを知る。

 (家族の)みなさん二十一時ごろ帰る。すぐに行水です。

 夕食(二十一時)三十分になる。いろいろと戦いの模様を聞くのです。

 二十二時三十分寝よう。Kさん来てくださる。(せっかく来てもらったが、肝心の妻はおらず、私が)留守番中であった。


 てっきりお父さんも一緒にスタンドにいたのだと思っていました。母が思いつきで、カゴシマチームを応援しに行こうと私たち兄弟を連れて出かけたんですね。お父さんには何も言わないで。

 そういうところもある母なんですよね。私たちは、ただ連れて行ってもらうだけだから、ホイホイついていったはずだけど、今思うと、お父さんも一緒だったらよかったのになという感じです。父は仕事があるし、仕事から帰ってきてすぐに出かけるのは大変と思ったのかな。

 試合は、どんなだったんでしょう? 今度新聞記事から抜き書きして書いてみようと思います。

 時間はどんどん過ぎていきます。思いついたらすぐにやってしまうことを大切にしていきたいです。ね、お父さん! でも、ゴメンナサイね。ガッカリしたでしょう。


★ 表紙は、うちに三冊あるアサヒグラフの高校野球特集のもので、1974年の大会のものがうちにあるんですね。まあ、ひとつの宝物です!


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